三
かねてより土地に根付いた
「せっかく修繕をするのですから、いっそのこと内側は新装してしまおう、と……いうことらしいですよ」
交差形の
「盛大に、財を扱っておいでね」
「そうですね。曰わくこういった危難の時ほど、
七橋家に属するからこそ語られるのだろう
細い管を介してすすると、舌が刺激される。それでもゆっくりと飲み過ぎて、いい加減、アイスクリームは溶けかけていたし、炭酸の刺激も徐々に軽やかなものとなってきていた。
一方、窓辺の席であるのをいいことに、金魚玉を卓上に置いた
あれほど『
「ずるい。わたしだって、そちらも食べてみたかったわ」
「もう一品、頼みますか?」
「……長居をなさるおつもり?」
「それでも結構ですよ。
「あに様も、お好きだったわ。それ」
ふと、もしかしたらこの人となら、わたしの無念さは共有できやしないかと魔が差した。わたしをのぞけば、誰よりわたしの花嫁の近くにいる彼を盟友とすら呼びあって、彼との間に信頼を育んだ、わたしの三年間がその試みの背を押した。
わたしは言葉を選び、窓辺の金魚へ視線を遣りながら、
「あんみつも、クリームソーダも、お好きだったわ」
「甘味をお好みのお方でしたか」
「ええ。一度だけ、お相伴させていただいた。その時に、どちらにしようか。こちらにしようか。いやしかし。だなんて、とても迷っていらしたの、憶えているわ」
金魚はきらきらとしたひかりを浴びて、水の隙間でたゆたっている。背びれ尾びれが、いかにも優美である。
「甘味も、甘味を楽しむ時間も……金魚様や、
――
「そういったものを守るのだよと、出征なさっていった」
さらにさかのぼれば、幼少のみぎり。その頃、齢十六にして、それまで金魚様の婿をつとめていた叔父がお役御免となり、あに様と金魚との婚礼はまとまった。宗教上のおこないとはいえ、若くして花嫁を娶ることとなったあに様は、妻となるべき金魚の代わりに、幼いわたしの手をひいて、
そうやってうんうんうなって、いまはもう修繕の末になくなってしまった、
そうして最後に「今日は助言をありがとう」と、わたしはこのパーラーで、今日と同じようにクリームソーダをごちそうになったのだった。
十も離れた妹は、助言もなにも、ただただ、初めての供連れのない気ままな外出に、憧れる長兄とふたりだけのみちゆきに、はしゃぎつつも彼のあとをついていただけだというのに。
とはいえ、彼がとうとう帰っては来ないいまとなっては、悩みに悩んであんみつを頼んだあに様と、半分ほど中身が減ったところで、そっと器を交換したことすらも、ひどく懐かしい。兄は甘味については、大層に欲張りだったのだ。
――ふるくふるくより変わらずに、
「
「憧れなの。気さくな方でね、高等学校にいらした時分から、ご友人とのお出かけも、多くて。土地を離れられない跡取りの身の上でなければ、帝大へも志願されていたのではないかしら。それにね、やはり
そこで、言葉はとぎれた。兄は、その戦地で死んだのだった。
そして我が
「ねえ、
饒舌すぎた己を自覚しつつも、わたしはようやく、本音を
わたしは、ずっと怒っていた。なにもできず、なにをする力もなく、緩慢に過ごそうとも。あるいははしゃいでみせようとも。兄の死とともに金魚との離縁を告げられた、あの卯月の末日からずっと……怒りを飲み干せずにいた。
あなたがたは、
「まこと婿君でいらっしゃったからこそ、明日、あなたは嫁がれるのでは?」
けれども――
そんな言葉を耳に受け入れてしまっては……さみしさに、わたしの喉から発せられようとしていた次の音など、言葉など、たやすくくびり殺されてしまった。
そうなってしまってはもはやわたしには、あかい金魚から視線を動かさず、くちびるをひきむすぶほかなかった。もはやふたたび口を開く勇気は持てなかった。
この街を、この土地の生活を、故郷のしあわせを崩れさせないためにと出征していった、兄の心残りの為だとしたって。盟友と呼んだ男へすら胸の内を明かせないわたしは、こんなにも臆病なのだなと思い知る。
「
しばしの沈黙ののち、わたしは精一杯つくろった微笑みを維持するために、杯にのこったクリームソーダを、行儀良く飲み干した。
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