98 「物語」に縋った僕の話。 ②

 倉木さとしとの電話は仕事の休憩時間にしていました。

 考えるべきことは山ほどあったとしても、仕事に戻る時間は訪れます。 


 仕事に戻ると、店の前を通り過ぎる人は殆どいなくなっていました。

 アルバイトの子が暇そうに床の掃除をしていました。

 軽く話をして、時間になったらレジのお金を数えて、閉め作業をアルバイトの子に任せてあがりました。


 すっかり暗くなった道を歩きながら、僕の頭の片隅にあったのは余計なことをしたのだとしたらどうすればいいのか、でした。


 倉木さとしの友人が人を×したとしても、僕の日常に何の変化もありません。

 実際、翌日は休日で僕は友達と遊びに出かけました。

 何をしたかは覚えていませんが、遊びに行った友達は覚えているので、おそらく一緒に映画を観に行ったか、街コンにでも行ったのでしょう。


 思い返してみると、昼前に合流しました。

 電車でに二十分ほどの駅でした。

 友達と一緒にいながら考えていたのは、当然のように倉木さとしからの電話に関することでした。


 その考えは友達と別れ自分の住む最寄駅に着く頃に、一つの疑問に変わっていました。

 僕は何をしたいのだろう。


 僕が倉木さとしの友人と無関係であることはどこまで行っても変わらない事実です。

 また、僕が言った余計なことも口から出まかせで、倉木さとしは無視して良いことです。


 今回、僕が頭を悩ませていたのは

 倉木さとしから電話を受け彼の友人が犯したことについて、どのように関係していくべきか、という理由探しでした。

 ニュースを見ても、まだ彼の動機についての報道はありませんでした。

 その動機を知ったところで、あるいは他の何を知ったところで、僕は彼らとはまったく無関係の場所に立っています。

 そして、間違いなく彼がしてしまったことは許されないことです。

 本来であれば、それで終わりなのだと思います。

 僕が倉木さとしを、あるいはその友人について考え続ける理由なんて、この世界のどこにもありません。


 けれど、理由は結局のところ言い訳でしかありません。

 僕は今回のことについて考え続けたいと思っている。

 無視をしたくないと感じている。


 この先のどれだけの時間を使ってでも――。


 それが全てで、それで充分でした。

 

 

 僕は倉木さとしにエイプリルフールで送ったプロット(倉木作品の世界観を使った物語)を小説にし始めました。

 完成した小説は原稿用紙換算で百枚に満たないものでした。

 内容はプロットと殆ど変わりませんでした。


 と言うよりも、まさに僕が考えたいことがそのプロットの中には組み込まれていました。

 完成したものは倉木さとしに送りました。

 読んでほしい人は倉木さとしだけでした。


 感想をもらったあと「○○ってキャラに兄妹がいる設定にしても良い?」と言われました。

 とくに何も考えず良いですよ、と答えました。


 倉木さとしとその友人について考えた小説を難なく完成させた僕は、

 その勢いで手が止まっていた弟をモチーフにしてた小説も完成させられるのではないか、と書き始めました。


 その間に、倉木さとしから小説が送られたきました。

 今回の経験を含んだ小説でした。

 そして、その中には僕が作ったキャラの兄弟が今回の件を踏まえたような事件を起こしました。


 事件に対する倉木さとしの態度が、そこには書かれていました。

 一貫して彼は友人の味方でいようとしていました。


 世間的に言えば、倉木さとしの友人は後ろ指を指される人間と理解されるでしょうし、彼が起こしたことを肯定する人はいないでしょう。

 それも分かった上で、倉木さとしは友人側に立とうとしています。



 この話は随分と長くなっている訳ですが、次のエピソードだけ書いて終わりにしたいと思います。

 もう少しだけお付き合いください。


 僕は年に一回の頻度で倉木さとしの住む県へ遊びに行きます。

 理由は単純に、倉木さとしが結婚して時間がないので、独身で時間のある僕が動く方が簡単だからです。

 ついでに言えば、旅行は嫌いじゃありません。

 むしろ、好きな方です。


 他の友人を誘ったりする場合は宿を取りますが、僕だけが倉木さとしのもとへ行く場合は基本的にネカフェに泊まります。

 倉木さとしの部屋には奥さんがいるので、泊めてもらうのは難しいという事情のもとです。


 これも変な話ですが、僕はネカフェに泊まるのは嫌いではありません。

 漫画もあってネットもできる。そんな場所で一晩過ごせ、と言われるのは端的に言って嬉しいです。

 体が休まらない、という問題はありますが、一日くらいのことですし帰りのバスでは眠るので問題ありません。


 そんな訳で、僕は倉木さとしの友人の件があった年に彼の住む町へと遊びに行きました。

 会えば僕と彼は小説の話と最近、見た映画や読んだ漫画や小説の話ばかりします。

 今回はその中に互いの小説の話が追加されていました。


 昼は食べ放題のお肉を食べて、夜は倉木さとしの住む近所にある居酒屋へと行く予定でした。

 しかし、居酒屋は休みでした。

 理由は書かれておらず他の居酒屋も近くになかった為、近所のスーパーで酒とお惣菜を買って車の中で一杯やることにしました。


 正直、僕は酒があって倉木さとしと喋れれば、何でも良いのです。

 狭い車内にお惣菜を並べ、乾杯をしました。しばらく変わらぬ会話を続けました。

 今まで見てきた漫画、アニメ、映画の中でのベストヒロイン10を決める、とかそういう毒にも薬にもならない話です。


 三本目の缶ビールの缶を潰した時、倉木さとしが封筒を差し出してきました。


 なに?


 と尋ねると、


「**くんからの手紙」

 刑務所に入っている倉木さとしの友人からの手紙でした。


 読んでいいの?


「良いよ」


 と倉木さとしは頷きます。

 戸惑いつつ、手紙を受け取りました。

 少しだけ手が震えていましたが、倉木さとしは気づいていないようでした。


 僕は封筒を開け、三つ折りに入っていた便箋を取り出しました。

 一枚目には彼の刑務所の中の日常が丁寧な字で書かれていました。


 二枚目から、自由時間に貸し出される本の感想が書かれていました。

 便箋は何枚あったか覚えていませんが、手紙の内容の九割が本の感想で埋め尽くされていました。

 印象的だったタイトルはドストエフスキーの「罪と罰」、村上春樹の「ノルウェイの森」です。

 そして、最後に「刑務所にはまだ倉木さとしの本はありません」とありました。

 友人は当たり前ですが、倉木さとしが小説を書いていることを知っていました。

 よく分かりませんが、僕はその時に少し泣きました。


 便箋三枚目を読む辺りで倉木さとしは電話をする為に車から出ていました。

 なので多分、僕が泣いたことは倉木さとしには気付かれなかったと思います。


 最後まで手紙を読むと、僕はもう一度、一枚目の便箋から内容を読みました。二度目の精読をした後、便箋を閉じました。

 目を閉じて何かを考えました。


 浮かんだのは、映画「愛を読むひと」の台詞でした。

「刑務所は人が学ぶ場ではなく、罪を償う場所です」

 そう発言したのは被害者側の遺族でした。

 一面として、それは真実です。しかし、罪を償うことで結果的に人は何かを学びます。

 それも一つの真実です。


 電話を終えた倉木さとしが車内に戻ってきました。

 僕は便箋を揃えて折り目通りに畳んで、封筒に戻し倉木さとしに渡しました。何を言ったかは覚えていません。

 ただ、「これを読んだ経験が小説になるのを待っているよ」と言われたのは覚えています。

 この体験を僕はまだ小説にはできていません。

 けれど、今回エッセイにはしました。


 倉木さん。

 小説にするのはもう少し待ってください。ちゃんと小説にします。


 その後、エイプリルフールネタで作ったプロットの短編を長編小説に書き換えました。

 それが「南風に背中を押されて触れる」でした(短編の時は「南風」と名付けていました)。


 後半、倉木さとしが僕の短編を読んで付け加えた設定を組み込んで、長編小説としました。

 その為、「南風に背中を押されて触れる」は僕の小説の中で、最も手探りで書かれた非常にバランスの悪い小説となっています。

 全体に不必要なエピソードやキャラクターで溢れています。


 当時の僕の頭の中にあるものを全て詰め込んでいる、とも言い換えられます。

「南風に背中を押されて触れる」はカクヨムにも載せている小説です。


 これを読んでいる人の中で「南風に背中を押されて触れる」を読んでいる方は殆どいない、という前提の上で一つだけ内容に触れさせて下さい。

 僕が「南風」を長編小説にしている最中、倉木さとしは友人の親を一度訊ねたそうです。

 その話を聞いたから「南風に背中を押されて触れる」の最後、行人くんは加害者の身内に会いに行ったのだと思います。

 必ずしも必要なシーンという訳ではありませんが、僕にとっては書かずにはいられないものでした。

 読み返してみると意外と重要な会話をしていました。

 まったくの不必要で浮いたシーンになっていなくて一安心です。


 少々長く書き過ぎてしまったように感じています。

 自作の「南風に背中を押されて触れる」に関しては、今まで書いた量以上のページを割いて書きたいことはあるのですが、言い訳がましいことこの上ありませんので我慢します。

 ただ、あの手紙を読んだ夜から「今、書いている小説をあの刑務所の中で**さんが読むとしたら、どう思うのか?」という視点が生まれたことは、ここに残しておきたいと思います。

 実際の現実世界で倉木さとしの友人と会うことはありませんが、僕の中にいる読者の席の一つに彼は座り時折、あの手紙の中にあった丁寧な言葉使いで感想をくれます。




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