94 魂を汚す者と戦う「君は永遠にそいつらより若い」。

 村上龍のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」の当初のタイトルを御存知でしょうか?

 ウィキペディアなどで調べれば出てくる話なのですが「クリトリスにバターを」でした。


 そのタイトルを初めて知った時、

 「限りなく透明に近いブルー」というセンスの固まりのようなタイトルからは、かけ離れた露骨さに、逆に笑ってしまいました。


 実際、「限りなく透明に近いブルー」の本編に当初のタイトルに関連するシーンがあった気はしますが、

 どうしてもそこに重要な意味が隠れていたようには思えませんでした。


 正直な話、多くの作家はタイトルをつけるのが苦手なんじゃないか?

 と疑っている部分が僕にはあります。

 というのも僕自身、小説のタイトルを決めるのは苦手なんです。


 もっと言えば、人の名前をつけるのも苦手で、学生時代に古本屋で「赤ちゃんの名前辞典」なるものを買っているところを、母親に見られて、白い目を向けられたことが僕にはあります。


 ちなみに、友人の倉木さとしはAV女優の名前をもじって使っている、と真顔で言っていたことがあります。

 AV女優に詳しくない僕ですが、なんとなく嘘だろうな、と勝手に思っています。

 少々、話がズレました。


 小説のタイトルの話です。

 最近、津村記久子の「君は永遠にそいつらより若い」を読みました。

 第21回太宰治賞を受賞し、デビューした本作の後ろのページには小さく以下のように書かれていました。


 ――本書は二〇〇五年十一月、筑摩書房より刊行されました。

 本作品は第二十一回太宰治賞受賞作「マンイーター」を改題したものです。


 マンイーター?

 こちらの言葉の意味を調べてみますと、


 ――マン‐イーター(man-eater) 人食い。 人を食うライオン・トラ・サメなどの動物。


 と出てきました。

「君は永遠にそいつらより若い」を読んだ後に、この当初のタイトルを知ると断然、改題して良かった、と思います。


 読んだ最初の感想としては、

 あらすじを引用して、つらつらと思ったことを書ける小説ではない、ということでした。

 けれど、あえてエンタメ的に、ややアレな話をしますと「君は永遠にそいつらより若い」の視点人物のホリガイは、二十二歳で処女だと言います。


 ――しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しなかいような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。


 と飄々と言い換えてきます。


 そんな訳で、童貞の女ホリガイは二十歳からの二年間で十人の男性に結婚しよう、と思い実際に半分の人に言います。

 反応は以下のようでした。


「最悪食わしてあげるよ、と言うと、皆が皆眉を下げて笑って、ホリガイさんは変わっているなあ、と言った。」

 そんなホリガイが作中で、女の童貞を捨てようとするシーンがあります。


 なんとなく、僕は捨てないで欲しいなと思いながら読んでいました。

 感覚としては、絲山秋子の「イッツ・オンリー・トーク」を読んだ時と近いものがありました。

 「イッツ・オンリー・トーク」の主人公は、女の童貞ホリガイとは真逆に位置する人物です。

 男と寝るのはパンをトーストに変えるくらい簡単だ、

 と言い、実際に作中であらゆる男とそういう関係に陥ろうとします。


 しかし、作中内では決して一線を超えません(ちなみに、文庫本の解説では一線は超えない男たちの紹介から始まります)。

 あくまでメインは男との関係ではない、という点で「イッツ・オンリー・トーク」と「君は永遠にそいつらより若い」は共通します。


 その為か、男と一線を越えて恋愛だったり、男女のあれこれを描かれてしまうと作品のバランスが崩れるような気が僕はしてしまいます。

 もっと言えば、津村記久子も絲山秋子も別段、男のことなんてこれっぽちも書きたくないのだけれど、一人の女性を視点に置く以上、視界に入るので言及しない訳にはいかないので、書いている。

 みたいなスタンスが透けて見れる気がします。


 なので、繰り返しになりますが、ホリガイには作中で女の童貞を捨てないで欲しいなぁ、と思っていました。

 僕の勝手な思いとは裏腹にホリガイは、正攻法ではない手段で女の童貞を卒業します。

 この展開には、個人的にびっくりしました。


 などと、つらつらと書いてみましたが、これでは「君は永遠にそいつらより若い」がどういう小説なのか分からないような気がします。

 そして、分からなくていい小説というのが世の中にはあって、その一つが「君は永遠にそいつらより若い」です。

 解説の松浦理英子が冒頭で以下のように書きます。


 ――文学作品が人の魂の糧となるというような考え方を、全面的に信じているわけではない。

 そのような考え方に抗う作品も数多く書かれてきたし、そもそも文学は魂と無縁のところにも成立し得るものだ。しかし一方で、文学の孕むものが読む者の胸の底、魂と呼ぶしかない深みにまで沁み入ることも確かにある。

 それが文学の本質ではないにせよ、文学という大きな器は魂に及ぼす力を含み持つことも可能なのである。


「魂が潰されないために」がタイトルでした。

 松浦理英子は「君は永遠にそいつらより若い」を「孤独な魂の物語である」とも書きます。

 東野圭吾が「白夜行」で魂の殺し方として、レイプを利用するシーンがありました。

 僕たちの中には魂と呼ぶしかないものがあって、それを傷つけられた時、肉体よりも修復が難しいものを失ってしまいます。

 その失われたものを取り返すことが如何に難しいことか、

 と僕は考えてきましたが、「君は永遠にそいつらより若い」のホリガイは他人の魂に寄り添い、それを守ろうとします。

 魂を深く傷ついた人間の味方であろうとします。

 そして、それがタイトルの一文に繋がります。


 ――わたしはそのことに、暗い救いを覚えた。君を侵害する連中は年をとって弱っていくが、君は永遠にそいつらより若い、その調子だ、とわたしの悪辣なまでに無責任な部分が笑った。


 魂を深く傷つけられた見知らぬ少年を思い、

 ホリガイは「君は永遠にそいつらより若い」とエールを送ります。

 その後に、「悪辣なまでに無責任な部分が笑った。」

 と続けるホリガイは、事実その魂を傷つけられた、救いたくて仕方がない少年を救えないと理性的に理解しています。


 ホリガイは絶対に達成できない望みを抱えて生きる人間であり、

 それ故に彼女は彼女でい続けているとも言えます。


 同時に、僕の頭に浮かぶのは、村田沙耶香という作家のことでした。

 村田沙耶香と西加奈子が新潮で対談をしていました。


 そこで西加奈子が以下のように言っています。


 ――西 作中にあった「子供とセックスしたがる大人って、たくさんいるのに。子供同士だと駄目なの?」っていうのが答えなんじゃないかな。『しろいろ~』でもそうやったし、沙耶香の作品では子供がするセックスの方が幸せに見える。奈月のお母さんはそれを「汚らしい」と言うけど、本当は汚らしくしているのは大人の方なんですよね。


 この後に西は「でも、いざ自分の目の前で小学生がセックスしようとしたら、私も止めてしまうかもしれない」と続けます。


「君は永遠にそいつらより若い」とは少しずれることは承知していますが、「汚らしくしている」ものに抗っているのがホリガイであり、傷つき魂を潰されそうになっている人にエールを送るのも彼女です。


 そんな姿勢に僕は羨望と尊敬の念を抱きます。

 個人的に、世界を汚らしくしている大人にはなりたくない、と思います。

 難しいことは重々承知しているのですが。

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