95 二十歳の頃、天才と呼びたかった友人について。

 部屋の掃除をしていると、二つのフォトアルバムが出てきました。

 一つは僕が高校生の頃にアルバイトしていたレストランで最後にもらったもので、

 もう一つは十九歳から二十三歳まで働いたカフェでもらったフォトアルバムでした。


 カフェの店長からのメッセージカードを改めて読むと

「飲み会があったら呼ぶから来いよ。来ないとシバくぞ」

 と書いてありました。


 写真の中の店長は40歳を超えているはずですが、30代前半の女性にしか見えません。

 改めて見ても美人だなぁと思います。

 僕が実家を離れ一人暮らしを始めて、何とかやってこれた理由は、学校の友人と、このカフェの店長の存在が大きかったと、今になって実感します。


 ちなみに、僕はカフェの仕事を辞めたあとの飲み会には参加しませんでした。

 ただ、時々カフェに行くと久し振りに実家へ寄ったみたいな、歓迎を受けます。

 あれ持って行きなさい、これ持って行きなさい、と。


「ありがとうございます」

 と、へらへら笑うしかないのですが、そういう場所があるのは嬉しいものです。


 カフェについては色々語りたいことがあるのですが、今回はフォトアルバムの中で、美人店長の横に座ってニコニコ笑っている男性の話をしたいと思います。


 その男性は僕の紹介で、カフェに入ってきました。

 正確には、人でが足りないので今面接に来れば断られることはないよ、と伝えただけでした。

 面接の時、彼は確か二十四歳フリーターで、店長が「大丈夫かなぁ?」と僕にぼやいていました。


「大丈夫じゃないですか?」

 答えた僕は大丈夫であることを知っていました。

 実際、店長の不安も分かります。


 フリーターの男性が働きに来るようなカフェではありませんでしたし、

 来るとしても掛け持ちだったり、短期だったりしました。

 そして、掛け持ちや短期だと、遅刻や飛ぶ確率が高くなります。


 当時、人手不足は深刻で僕は朝、店を開けて、夜に店を閉める、なんて日が日常でした。

 けれど、それは別に苦痛ではなかったですし、本当のことを言えば友人を呼んでまで解消したい問題でもありませんでした。


 問題は他にありました。

 その友人に、まずは名前を付けたいと思います。

 彼も小説を書いていて、一度本を出したことがあります。

 その時のペンネームをもじった上で、彼が「らき☆すた」好きだったので、かがみんと呼びます。

 おそらくバレることはないでしょう。

 本人に読まれることも、まぁないでしょう。


 かがみんは僕と同じマンションに住んでいました。

 僕が三階で彼が四階でした。

 カフェのアルバイトに誘う前、彼は深夜のコンビニのアルバイトをしていました。それと並行して、小説の仕事も進めていました。


 仕事は、学校の先生から任された映画のノベライズでした。

 映画公開と同時にノベライズ版も出版する予定、と記憶しています。

 シナリオを小説にして、先生に見てもらう。見てもらって不備があれば、直して再度提出。


 そんな工程でした。

 かがみんは今の僕が振り返っても、綺麗な文章を書いていました。

 僕が小説の模写をパソコンでしていたのも、彼が宮部みゆきの小説を模写したことがある、と言っていたからです。


 安易に天才とか才能がある、

 とは言いたくないですし、作品を書き続けられない以上、そう称することはできません。

 ただ、僕は彼を天才だと言いたかった。

 それは今も、同様に思うことでもあります。


 話を続けます。

 かがみんは次第に小説の仕事を滞らせ始め、連絡が取れなくなりました。

 先生が心配して、僕らに声をかけ彼の様子を見に行って欲しいと言いました。


 五人か、六人で彼の住むマンションを訪ねました。

 ドアを叩いても反応はなく、ドアノブに手をかけるとすんなり扉は開きました。

 玄関に鍵はかかっていませんでした。


 カーテンが光を遮っていましたが、薄暗い中でも彼がいないこと、室内が異常なまでに荒れていることは分かりました。

 彼は煙草をよく吸っていて、部屋の至ところに灰が散らばっていました。

 座布団も黒ずんでいて、その上に携帯が転がっていました。

 意味は分かりませんが座布団の近くに白い卵の殻が散乱していました。


 何かが生まれたにしては、汚すぎる部屋です。

 僕らはマンション周辺を探すことにしました。

 まず、僕が行ったのは、彼が働いているはずのコンビニでした。

 どう考えても、彼はそこにいない。

 分かっていましたが、そこを訪ね、次に時々一緒に行っていたラーメン屋に行きました。


 僕は、本気で彼を探していませんでした。

 今となっては不思議ですが、僕はあの時、彼に、かがみんに会いたくありませんでした。


 その後、友人から連絡があって、彼が部屋に戻ってきたと言いました。

 マンションから少し歩いた先にある川に行っていた、と電話口で聞きました。

 意味は分かりませんでしたが、部屋へ戻りました。


 肩を丸めて、彼は泣いていました。

 川に半身を浸けたのでしょう。

 凄い臭いでした。

 それはお風呂に入った後も続きました。


 友人たちが(その中に倉木さとしもいましたが)、彼を慰め事情を聞いている間、僕は妙な罪悪感に突き動かされて、部屋の掃除をはじめました。

 鍋の中に腐った味噌汁があって、それをビニール袋に包んで、黒く汚れたスポンジで鍋の中を洗いました。


 まるで、贖罪みたいでした。

 彼が大変な状態になっている。

 そんな彼に会いたくないと願ってしまった自分に対する罰。


 事情は後で聞きました。

 仕事の小説が上手くいかず、死のうと思って近所のドンキで好きな酒をボトルで買って、それを全て飲んだら川に身を投げる。

 つもりだった。


 彼の近くに転がった酒のボトルは八割も減っていませんでした。

 部屋の掃除があらかた終わってから、倉木さとしがラーメンを奢ってやる、と言い皆でラーメンを食べに行きました。

 かがみんはラーメンをしっかりと食べました。


 それを見て、倉木さとしが

「吐くと思ったわ」と言いました。


 死のうとしたにしては、彼は元気でした。

 実のところ、彼にそれだけの勇気はありませんでした。

 ただ、友人の一人が僕に「かがみんのこと、頼むな」と言いました。


 僕とかがみんは同じマンションに住んでいます。

 友人がそのように発言することは理解できます。ただ、その一言は僕の中で重い意味を帯びていました。


 どうすれば、彼のことを頼まれたことになるのだろう?

 もっと言えば今回、彼は死ぬ勇気がなく、未遂で終わったけれど、

 しっかりとした理由ができて完璧に死んでしまった時、

 その死体を見つけるのは僕なのではないか?


 あのカーテンが光を遮った部屋で、彼が死んでいるのを僕が発見する。

 その想像は、実に嫌なものでした。

 彼が川から帰ってきた日を境に、僕はマンションに帰り着く度に、

 マンションを見上げ彼の部屋に電気が点いているのか確認するようになりました。


 そんなある日、僕は彼にカフェのアルバイトを紹介しました。

 かがみんは、アルバイトしていたコンビニを飛んでいた為、無職でした。


 つなぎで良いから、少しカフェで働いてみない?

 店長、美人だよ?


 そんな意味の分からないことを伝えました。

 かがみんは

「おれ、店長のことマジで口説くわ」

 と訳の分からないことを言って、カフェで働くようになりました。

 そして、僕のフォトアルバムでもしっかりと、美人店長の横に居座っています。


 アルバイトを紹介した頃、かがみんは二十四歳で、辞めたのは僕と同時期だったので、二年から三年ほど、カフェで働いたはずでした。


 かがみんの送別会の幹事は僕がやりました。

 彼が「この職場で働いて良かった」と言って泣きました。

 記憶が確かなら、川から帰ってきた時以来に見る彼の涙でした。


 ちなみに、かがみんが放り出したノベライズの仕事は、倉木さとしが引き継ぎました。

 信じられないくらいの短期間で、倉木はノベライズを完成させ無事出版となりました。


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