75 ポスト涼宮ハルヒとしての「階段島」シリーズ。

 ツイッターの「新潮文庫nex」のアカウントが三月二十二日に


 ――映画化!

 河野裕『いなくなれ、群青』の実写映画化が発表されました!本日、ティザービジュアルが解禁です。主演:横浜流星、飯豊まりえ。映像作品として描かれる階段島、七草、そして真辺。公開は、2019年9月です!


 とつぶやきました。

 マジで!? と実際に声がでました。

 

 ちなみに、ティザービジュアルってなんだ? となって調べたところ、tease「じらす」という意味で、宣伝したいことを全部明確に提示するのではなく、わざと一部だけを公開することによって興味を引きつける手法だそうです。

 なるほど。


 いやぁ、じらされてやりますよ。

「いなくなれ、群青」の映画化そして、4月26日に発売されるシリーズ完結作「きみの世界に、青が鳴る」を僕は超楽しみにしています。

 前作の「夜空の呪いに色はない」で、僕はまぁ泣かされた上に、次を読まないままに死んだら化けて出る、と思ったレベルです。「いなくなれ、群青」から始まる一連の小説は「階段島」シリーズと呼ばれ、第5弾の前作の時点で累計70万部突破したと帯には書かれていました。


 個人的に死ぬほど好きなシリーズですが、こんなに売れるとは思っていませんでした。ちなみに第一弾の「いなくなれ、群青」の帯には書評家で翻訳家の大森望がコメントを寄せています。

 また、創元推理文庫で書き下ろされた「最良の嘘の最後のひと言」の解説も大森望でした。この文章が非常に良くて、河野裕を知らない人間に対しても親切に、どういった立ち位置の作家で、どういう作風かと言う部分も解説されています。

 一部抜粋します。


 ――河野作品の共通項は、超自然的な要素と、細部まで計算された構成、それに思春期の切なさ。奇抜な設定とミステリ的なロジックと豊かな感情が混然一体となったところに河野ワールドが生まれる。


 べた褒めですし、おっしゃる通りと同意します。

 とても個人的に言うと「細部まで計算された構成」、「奇抜な設定とミステリ的なロジック」の部分から僕は、ゲーム的な小説という印象を持ちます。

 ゲームをプレイする時、まずはルールを理解する必要があります。

 河野裕のシリーズもの「サクラダリセット」や「階段島シリーズ」の最初の二冊くらいは、物語内ルールを説明する意味が強く、面白いのは面白いんだけれども、その先にある物語の為の下準備をしている印象が強いです。


 その為、僕は「サクラダリセット」も「階段島シリーズ」も三冊目からジェットコースターの落下するような勢いに呑みこまれる感覚が好きです。ただ、これを説明しようとすると物語の根幹に当たるネタバレをしないといけなくなります。

 正直、このネタバレはなく読んだ方が絶対に面白い物語です。

 とりあえず、読んで!


 だけでは、あまりにもな紹介ですので、少し迂回的な物言いをさせていただきます。河野裕が書こうとしているのは「ポスト涼宮ハルヒ」の物語です。

「ポスト」は「後から来るもの」ですので、涼宮ハルヒの後に来るもの、こそが「サクラダリセット」であり「階段島シリーズ」だ、というのが僕の考えです。

 以前にも涼宮ハルヒについては書きましたが、あの作品はとても誤解されたものだった、と言うのが僕の認識です。そして、多くの人間が誤解したまま、涼宮ハルヒの物語群を踏まえた上で、何かを作ろうとはしませんでした。

 その理由には「らき☆すた」なる涼宮ハルヒをパロディ化するお祭り作品の登場があったように思います。


 結局、オタク業界にあれだけの影響力を持った涼宮ハルヒシリーズとは何だったのか、誰もしっかりと考えぬままに消えていった印象が僕にはあります。

 今となっては角川の一般文庫での再出版がされ、SFとして優れた作品という触れ込みで読者に受け入れられています。

 そこには何かライトノベルという業界の限界や敗北のようなものさえ感じられてしまいます。あくまで僕の主観で、そうだというだけで今ライトノベル業界は「なろう」系なる転生もの、というジャンルで本屋の一角を支配しています。


 実際、僕は「リゼロ」とかは結構な熱量で好きでしたから、そういうジャンルが盛り上がるのを好ましく思っている部分もあります。ただ、以前にあったムーブメントが何故起ったのか、その議論なく次に行く節操のなさには少々辟易としてしまいます。

 そんな僕のもやっとした気持ちを晴らしてくれたのが、河野裕でした。

 彼は「細部まで計算された構成」を使って、作られた世界(人工的な温かい環境)について、書きつづけています。


 ハルヒの物語は「涼宮ハルヒは世界を変える力を持っている」とされてきました。その力を他人が使う物語が「涼宮ハルヒの消失」でした。この時点でヒロインは涼宮ハルヒと長門有希の二人になったと言って良いでしょう。

 河野裕の「階段島シリーズ」で、このハルヒの力は「魔法」という形を取ります。その魔法を前にして、「夜空の呪いには色はない」で主人公の七草は言います。


 ――「魔法なんて、ただの道具ですよ。責任というのは、それを使った結果に対して発生するものでしょ。目をそらさないでください。貴女の罪も、不幸も、責任も。魔法なんて、関係ない」

 

 涼宮ハルヒがもたらす圧倒的な力は、結局のところ道具です。

 それ故に「消失」で、ハルヒの力の一部が長門有希の手に渡りました。道具は如何に使うかであって、道具に使われてはいけない。人が生きる上での罪も不幸も責任も、道具に求められる訳ではない。それを使う人に求められるべきです。


 では、その「世界を変える力」を道具として、どのように使うべきなのか?

 それが「階段島」シリーズの最後の主題です。

 七草が、真辺が、堀が、如何なる結論を出すのか。

 僕は今から楽しみで仕方がありません。

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