71 人はいつでも変われる? 本当に?


 Q19「家を出て行かれると寂しいので、結婚しないでほしい」と懇願する母親をできるだけ悲しまず、結婚するにはどうすれば良いのでしょうか?


 うんと悲しんでもらって、憎んでもらって、絶交してもらって、でもまた会いに行って、こんなことがあるならやっぱり嫁に行ってよかったとなって、そのあいだにもいっぱいけんかして、いっしょに買い物して、ごはんを食べて、行き来して世界がお互いに大きく広がり…最後ほんとうにお別れするときが来たら、それだけの時間があったこと、あのとき意地を通して結婚して、結果的に世界が大きくなったことに感謝するようになるのがいちばんだと思います。


                よしもとばなな「Q人生って?」より。


 僕がよしもとばななの名前を初めて見たのは古本屋でした。

 高校に上がった最初の春で通学の電車内で読む本を求めて、百円の棚の前で、吉本ばななの「うたかた/サンクチュアリ」を見つけました。その少し横には村上春樹の「ノルウェイの森」もありました。

 当時の僕はライトノベルや漫画ばかりで一般書籍と呼ばれるハードカバーや文庫本などは殆ど読んだことがありませんでした。


 きっかけは進学でした。

 高校へ行く為に僕は満員電車で三十分を過ごさないとならず、その時に少し背伸びした本を読みたいと思っていました。一般書籍や純文学を読めば大人になった気になれる、なんて子どもの想像力ですが、当時の僕には必要な背伸びでした。

 結局、手に取ったのは「ノルウェイの森」で、「うたかた/サンクチュアリ」は買いませんでした。

 高校時代の読書体験を思い返しても、吉本ばななの名前は出て来ません。


 そんな僕の前に吉本ばななの名前が再登場したのは、二十歳を超えた頃でした。学校の関係で知り合った純文学に詳しい先輩の紹介で、吉本ばななの「キッチン」を読みました。

「キッチン」の感動を言葉にするのは少し難しいのですが、日々生きていく上で見えなくなってしまうルールを改めて提示されたような感じがありました。

「キッチン」でも「うたかた/サンクチュアリ」でもない例で申し訳ない上に、正確なタイトルを覚えていませんが、吉本ばななの初期作品で、恋人が死んでしまった男の子が登場する話がありました。男の子は学生で、恋人もそうでした。恋人の死後、男の子は彼女の制服を着て学校へ通うになった、そういう話でした。


 僕はそれが好きでした。

 人は自分の手には負えない悲しみに直面した時、常識を無視して自分の悲しみや苦しみと向き合うべきなんだ、と。

 それが僕の吉本ばななを読んで常に感じる一つのルールでした。人は他人の目や常識といったものに囚われず、自分の中にあるものと向き合って、時にそれを貫けば良い。

 貫くべきだとさえ思います。


 最初の引用した文章に触れると、よしもとばななのアンサーはあまりにも綺麗過ぎると僕は感じます。


「うんと悲しんでもらって、憎んでもらって、絶交してもらって、でもまた会いに行って、こんなことがあるならやっぱり嫁に行ってよかったとなって、」


 となるくらい大人になる人間は多くありません。

 世界が広がることで人は変わるかも知れません。

 けれど、それを自分以外の人間に求めることは綺麗過ぎる。人間が自分の世界を広げる為には周囲の、環境の変化が必要だったとしても。

 嫁に行き、絶交しても、会いに行って、その度に罵倒を受け続ける人間だっていないとは言い切れません。もちろん、よしもとばななの言いたいことは、そこにある訳じゃないのも分かります。

 ただ、拘らずにはいられない部分でもあります。


 少女漫画家の吉田秋生の「海街diary」の2巻「真昼の月」で

「人は信じたいものだけを信じて 見たいものだけを見るのよ」

 という台詞が出てきます。

 人と人の関係の変化には時間が必要なんじゃないか? という問いに対する答えです。


「人はそう簡単に変わらない」


 それこそ、死の間際になっても。

 僕は人は変わろうと思えば、いつでも変われると思っています。それは吉本ばななの一連の小説を読んできたからこそ、僕の中で培われた思想でもあります。

 けれど、人は変わろうと思わなければ、変われないとも言えます。その上、いつでも変われるからこそ、いつまで変われない場合もあります。

 あるいは、その「いつ」を捕まえ過ぎて、目まぐるしい変化の結果、自分が何を求めていたのかさえ分からなくなることもあります。


 僕が言えるのは世の中にはタイミングあるということです。それによって高校生の僕は「ノルウェイの森」を古本屋で手に取り、その後に「うたかた/サンクチュアリ」もしっかりと手に巡ってきました。

 変われるタイミングがあって一つを選んだ時、その後に選ばなかったものも結局は選んでしまう。

 世の中には、そういうことも起こるんでしょう。

 そういう偶然を陳腐に言えば、運命と言えるのかも知れません。が、僕はあまりこの言葉を信じていません。

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