67 【前編】美しいアニメを握り潰す暴挙「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」論。
武道家で翻訳家の内田樹がカウボーイ映画について、こんな記述をしていました。
開拓時代のアメリカでは男性の数が多く、女性の数が少なかった。
必然的に、女性に選ばれる男性は限られてきます。その「選ばれる男」を見た男はそれに不満を持ちます。選ばれる男よりも遥かに良い男がいるのに、なぜ女性はそれを選ばないのか?
そのような不満が「カウボーイ映画」には含まれていると、内田樹は書いていました。
つまり、女性が選ぶ男は常に間違っている。
そのような理念の下でカウボーイ映画は作られました。
孤独な、あるいは孤立した男が、あるコミュニティーと出会い、そこでの問題を解決し、そのコミュニティーの中で最も美しい女性に好意を寄せられるも結ばれずに、男は旅立つ(あえて、選ぶ側に立って選ばないという、屈折)。
カウボーイ映画は開拓時代のアメリカで選ばれなかった男たちの怨念を鎮める為に作られたのだと、内田樹は書きます。
今回、僕が書きたいのは「カウボーイ・ビバップ」というアニメの劇場版についてです。TV放送は1998年4月から放送がはじまり、劇場版は2001年に公開されました。
内田樹のカウボーイ映画論に則って考えると、「カウボーイ・ビバップ 天国の扉(劇場版)」もまた、ある種の怨念を鎮める為に作られたように僕は思えました。
まず、ビバップはTV放送中はルパン三世の類似について語られたそうですが、こと劇場版に関して見れば、間違いなく「新世紀エヴァンゲリオン」の影響が色濃く出ているように感じました。
その理由について記述していきたいと思います。
「新世紀エヴァンゲリオン劇場版/Air/まごころを、君に」が公開されたのは、1998年でした。
エヴァゲリオン論は数多く存在しますが、今回僕が採用したいのは東浩紀の語るオタクの世界から抜け出す為の物語です。
東浩紀いわく、エヴァの作中内で語られる「人類補完計画」とは世界が一つになる、ということであり、母親の子宮の中(オタクの快楽現象)に入る、と解釈していました。
「まごころを、君に」の最後で主人公、碇シンジは人類補完計画(オタクの快楽現象)から抜け出し、現実に帰還した時、共にいるのは惣流・アスカ・ラングレーでした。
アスカとはシンジにとって最も理解できない女の子です。
「まごころを、君に」のラストで人類がアスカとシンジだけの二人きりになっても、「気持ち悪い」とアスカはシンジに言います。
彼らは最後まで理解し合うことができません。
どころか、そこが現実である以上、殺し合うことになりかねない、というのが劇場版エヴァの結論でした(ラスト、シンジの手はアスカの首を絞める格好になっています)。
そこで相手を殺してしまって世界でたった一人の人類になれるほど、彼らは孤独に強くもなかった。
エヴァのメッセージは「オタクの快楽現象からは抜け出しても、自分のことを『気持ち悪い』と言う女の子しかいない。それでも、そこから抜け出すしかない」です。
とても単純に言えば、現実を生きろ、です。
さて、ここからが本題です。
「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」において、現実を生きていないキャラクターが一人いました。それは敵キャラクターであるヴィンセント・ボラージュです。
今回の僕の文章は言ってしまえば、「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」の主人公はヴィンセント・ボラージュだった。
ヴィンセント・ボラージュは人類補完計画から抜け出せなかった碇シンジだったのではないか、です。
それを説明する前に「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」のあらすじの説明をしたいと思います。
舞台は2071年の火星の都市、アルバシティ。
高速道路に止まったタンクローリー車が突如爆発するという事件が発生します。
事故が爆破テロかと思われたが、付近にいた人間が謎の症状に見舞われて、正体不明が生物兵器によるバイオテロの可能性があると報じられます。
この事態を重く受け止めた火星政府は、犯人に対して史上最高額である3億ウーロンという賞金を懸けます。
賞金3億円を狙って、犯人をカウボーイビバップメンバーが追っていくことになります。
この犯人が、さきに名前を出したヴィンセント・ボラージュです。
彼はナノマシン(生物兵器)の人体実験の被検者でした。そこで幾つかのものを失います。共に過ごした部隊の仲間と過去の記憶。
その結果、この世のものとも思えない蝶が見えるようになったと彼は語ります。
自分が誰かさえ分からないヴィンセントが求めるものは、現実に戻る為の扉です。それがあらすじの中のバイオテロです。
ヴィンセント・ボラージュは人体実験の被検者の為に、自分が夢の中にいるのか、現実にいるのか分からない、と語ります。
そして、それこそが「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」の主題です。映画の冒頭でスパイク・スピーゲルはこう語ります。
――そいつはただ一人ぼっちだっただけさ。自分以外の誰ともゲームを楽しめない。夢の中で生きているような、そんな男だった。
注目すべきは、その語りは過去に向けて語られていることです。「そんな男だった」。彼は、最後まで「夢の中で生きて」いたと、スパイク・スピーゲルは言います。
では、人類補完計画の中に取り残された碇シンジこと、ヴィンセント・ボラージュは、どのようにすれば現実の回帰が可能だったのでしょうか?
それが僕の今回の主題なのですが、ここからがやたら長いので、前編、中編、後編で分けさせていただきます。
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