66 人工的な温かい環境で守られる「涼宮ハルヒ」。
今回は「涼宮ハルヒの憂鬱」について書きたいと思います。
涼宮ハルヒは第8回スニーカー大賞を受賞し、2003年6月に刊行されました。2006年にはアニメ化もし、爆発的な人気を博しましたが、一部で過剰な評価や誤解を受けた作品にも思えます。
誤解の一端は、SF的な要素を含んだ部分や、閉鎖空間なる空間の描写が阪神淡路大震災の光景に酷似しているとか、テレビアニメーションで放送された時に描かれた風景描写が村上春樹の描く世界の一部を引き継いでいるとか、です。
傍から見ると、言いたい放題のやりたい放題です(村上春樹と涼宮ハルヒを比較する評論本が出たりしています)。
「涼宮ハルヒちゃん(本編のキャラクターを使ったギャグ漫画)」が発売された時に著者が「本当はこうしたかった」とぼやいていましたが、そうなるのも頷けるほどの誤解や解釈が涼宮ハルヒシリーズにはありました。
その一つに語りがあると思うのですが、今回それには触れず涼宮ハルヒの根本にある核ようなものについて書きたいと思います。僕もまた、涼宮ハルヒを誤解している一人です。
さっくり言ってしまえば涼宮ハルヒは、世界改変能力を持つ超ワガママ少女を、その能力に気付かれないように保護し甘やかす話です。
この形式、つまり女の子を保護し甘やかす話の系列の最も古い作品として、僕は夏目漱石の「文鳥」が思い浮かびます。
文鳥飼育は手間がかかり、人工的な温かい環境で守る必要があります。
そして、人工的な温かい環境とは、昔の日本でいう「家」(ハルヒで言えば、SOS団つまり部室かな)です。
旦那が妻のことを家内と呼ぶ理由の一端には、人工的な温かい環境で妻を守っている、保護しておきたい、という気持の表れとも受け取れます。つまり文鳥=女の子と受け取って構わないでしょう。
現代ではその人工的な環境は形を変えていっているとは思いますが、文鳥を大切に手間をかけて守り甘やかすことの心地良さは現代でも健在です。
むしろ、現代の方がその心地良さはより顕著に表現されているのかも知れません。
涼宮ハルヒの根幹には文鳥的に保護し、甘やかす作りがあり、その上で超ワガママでそれに振り回される男の子の物語が据え置かれています。
ここにも一つの心地良さが隠れています。
それはハルヒの好意です。
涼宮ハルヒはキョン(主人公)のことが好きだと「憂鬱(第一巻)」で明かされます(閉鎖空間からの帰還後、ポニーテールにして学校に登校)。しかし、それ以降の「溜息」「消失」において、ハルヒとキョンの関係が先に進むことはありません(信頼感の結びつきは強く?なりますが)。
好意の交換だけを済ませ、その先に進まないのは何故か。
それが心地いいからなのではないか、と考えられます。つまり、この心地良さにも系列があります。というか、僕がハマり込んだ日本文学の系列はここにありました。その原初、最も古い作品が、川端康成の「伊豆の踊子」です。
伊豆の踊子は、一目ぼれしたらしい旅芸人の一座の踊子をこっそりストーキングしながら旅しているところから始まり、やがてうまく道連れにしてもらった「私」が、結局、踊り子と好意を交換して別れるだけの話です。
さっくり言いますと、せっかく女の子が自分を好きになってくれたのに、それ以上の関係から逃げ出してしまう、この本来もったいないことが、なんだか気持良い小説です。
三島由紀夫が伊豆の踊子に対し、
「世間ではこれを抒情というが、『伊豆の踊子』の終局に見られる<甘い快さ>がどうして抒情であろうか。これはむしろ反抒情的なものだ。まるでこの見事な若書の小説は、<甘い快さ>だけではこのような作品が成立しないことの証明として書かれたようなものだからだ」
と言っています。
相変わらず面倒臭い言いまわしをしていますが、三島由紀夫の言う<甘い快さ>こそが一つ大事な鍵です。
抒情とは自分の感情を述べ現すことを言います。つまり、女の子が自分のことを好きになってくれたら当然、キスもセックスもしたい(抒情的)けど、それをしないこと(反抒情的)が、なんだか心地良いのです。
好意を確認し合うだけのセックスのない心地の良い関係を現代では、ラブコメディと言います。
涼宮ハルヒは、文鳥のように人工的な場所で保護し甘やかす心地良さと並列して、好意が確認できている男女がしかし、それ以上の関係には進まない心地良さが隠れていることになります。
そして、その二つが揃うことで、ハルヒがワガママを言う理由も説明することが出来ます。
本来、ワガママとは子供の象徴を意味します。
ハルヒがワガママを言い、ハチャメチャな行動を取り続けることは、――寒い季節に温かい部屋で大切に飼育されている文鳥のように、いつまでも成長できない(させない)証しとなります。
ハルヒが成長しない以上、キョン(主人公)に対する好意は保たれたままです。なので、好意が確認できる状態で、常にセックスをしない心地の良い関係(ラブコメ)が続きます。
過去の日本文学の心地良さ(文鳥と伊豆の踊子)の二つをそのまま引き継いだ「涼宮ハルヒ」が爆発的な人気を博したのは、至極当然のことだったように思います。
※前回までの話の流れを読んでいて、今回のものを掲載しようと思いました。僕がこれを書いたのは2015年の7月16日です。
「やがて世界はラブコメになる」
と、ある評論家が書いていて、本当かいな? と思って書いたのを覚えています。今、世界はラブコメになっているのかな?
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