64 「スクライド」痛みがなければ実感ができない世界。

 今更な報告ですが、実はすでに無職ではなくなり働き始めています。

 と言っても研修中です。が、それはそれで疲れる、という日々を送っています。

 という訳で、無職中だから毎日更新します、という理由が崩れてしまったんです。なんですが、色々な人に読んでいただけているようで……。

 先日、倉木さとしに電話した時も「仕事始めるっすよー」と言ったら、「エッセイの毎日更新終わんの?」と返されました。

 ううむ。

 完全に僕、エッセイの人になりつつあるなぁという実感があります。が、それはそれで楽しいことに気づいたので、もう少し毎日更新を続けたいと思います。

 仕事が本格的に始まって難しくなったら、それはそれで考える、という方針でいきます。

 

 仕事初めの前日に僕は倉木さとしに電話をしていました。

 倉木さんが新作の小説を送ってきてくれていて、その話を最初にしました。

 基本的には倉木さんの小説に対して、僕は長い感想文とも評論ともエッセイとも言える文章を書いて送ります。ただ、今回送ってもらった新作の小説が、途中の状態だった為、先の展開によっては意見が変わってきてしまうなぁと思って電話にした次第でした(という言い訳で、単純に「明日から仕事かぁ、不安!」って思っての電話でした)。


 倉木さんの作品の話をしつつ、一つ僕から話題を出したのが、「平成30年間のアニメ」というものでした。

 その日、本屋に行った際に、そういった類の特集を組んでいる雑誌を見かけて、エッセイの中で「平成アニメについて」と言うものでも書こうかな? と思っていました。

 で、倉木さんに「平成のアニメで一作だけ選ぶとしたら、なんですか?」と尋ねました。


「スクライド」


 と間髪入れずに彼は答えてくれました。

 そういえば学生時代から倉木さんのアニメのベストはスクライドだった、と思い出しました。僕がスクライドを見たのも、そう言えば彼の部屋でした。

 当時の僕らは同じ学校に通っていて、授業終わりなどによく僕は倉木さんの部屋にお邪魔して一緒に酒を飲んだりしていました。

 一度、夕方から飲み出して、気付いたら昼過ぎになっていたこともありました。


 よくもまぁ、あんなにお互い喋ることがあったなぁと思いますが、今も年に一回、彼の住む県へ遊びに行けば基本それくらい喋っている気もします。そろそろ出会って10年とか過ぎようとしているのに、変わらず話題があり続けているのは嬉しいものです。

 そんな訳で僕はスクライドというアニメを倉木さんの部屋で見ました。夕方から朝方までかけて、26話一気見だったと記憶しています。


 眠気もあって途中ふらふらな状態で見たのですが、それでも最終話である26話を前にすると、分かり易く眼が冴えたのを覚えています。

 倉木さとしいわくスクライドは「男の物語」だそうです。

 その通りだと思うと同時に、これは「男が成長する為の物語」だと感じました。

 今回はその成長について書きたいと思います。


 まず、スクライドの世界感は二層社会で形成されています。

 市街の住民と崩壊地区の住民です。主人公は二人いて、市街側と崩壊地区側との二つに分けられます。市街側が「劉鳳(りゅうほう)」崩壊地区側が「カズマ」で、これはエリートと不良の区分けとも変換できます。ストーリーとしては、この二人の対立、共通の敵の出現によっての一時的な協定関係を経て、また対立に戻る形です。

 重要なのはラスト(26話)、対立に戻る点です。


 が、その前に斉藤環の「関係する女 所有する男」の最終章「ジェンダー」の精神分析の「女性だけが身体を持っている」から一部抜粋します。


 ――男性は、例外もあるとはいえ、ほとんどの場合は自らの身体を意識していない。彼らは勃起している時以外は、自分のペニスの存在を忘れている。そればかりではない。男性にとっての身体は、かゆい時、痛い時、といった、障害された状態において、はじめてその存在を主張しはじめるのだ。苦痛をともなわない時の男性の身体は、ほとんど意識にのぼらないという意味で、透明な存在なのである。


 男性は勃起している時以外、自分の身体を意識できない為、女性だけが身体を持っている、というのが斉藤環の考えのようです。そして、それはおそらく正しい。

 男性はそれ故に自分の肉体をスポーツという名目でいじめたり痛めつけたりすることを好みます。

 そうしないと自分の身体を意識できない、とするなら、男性が喧嘩を一つのコミュニケーションと捉えるのも納得ができるような気がします。


 スクライドの話に戻りましょう。

 アニメの25話で敵は倒し、二人の主人公、カズマと劉邦が対立する理由はなくなっています。それでも彼らは対立し、26話(最終話)まるごとを使って喧嘩をします。

 二人の喧嘩を目の当たりにして、桐生水守という劉邦の幼馴染で、カズマとも関わりを持つ女性は彼らの対立を「意味がない」と非難します。

 それは身体を持つ女性からすると、意味がないように見えます。けれど、透明な身体しか持たない男性からすれば、意味がないと見える、それにこそ重要な意味があります。


 痛みがなければ彼らは実感ができない。

 故に、野蛮に殴り合いながら、スクライドの26話のカズマと劉邦は自分が本当に欲しいもの、欲しかったものを夢想します。

 それはもはや手に入らないものです。

 自らの馬鹿さ加減に自虐的に笑いながら、目の前にいる憎い訳ではない相手を更に殴ろうとしていきます。


「男の成長」をあえて簡単に言うなら、痛みによって自分に身体があると実感した上で、自分が何を求めていたのかを理解すること。

 その為に、男の前には痛みを与えてくれる他人が必要となります。

 馬鹿馬鹿しく見えるかも知れませんが、スクライドから見る男の物語はそういうものでした。少なくとも僕は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る