45 平成の終わり、時代と一体化した人。
前回、家族旅行の話を書きました。
その数日後に祖母が亡くなりました。八十歳でした。
十日ほど前に誕生日を迎えたばかりでした。
家族旅行と祖母の死の間に、作家の橋本治が亡くなっています。
ツイッターで橋本治を偲ぶ呟きがあり、その中で彼のエッセイのURLを載せているものもありました。
「遠い地平、低い視点」というWEBちくまでのエッセイ連載の一つで、
――人が死ぬこと
というタイトルでした。
そこで、
――多分、人はどこかで自分が生きている時代と一体化している。だから、昭和の終わり頃に、実に多くの著名人が死んで行ったことを思い出す。
と書いています。
あと、数ヶ月で平成が終わります。
一つの時代の終わりを感じ、祖母が亡くなったのだろうか? と僕は考えます。なら、平成は終わらなくて良いし、新しい時代なんてこなくて良い。
もちろん、そういう話じゃないと分かっています。
同時に橋本治の「人はどこかで自分が生きている時代と一体化している」という部分も分かります。
通夜と葬儀の為に祖母の家に行った時、祖母が一体化した時代が、そこにはあったように思います。
僕が幼年の頃から見慣れた黒電話。
毎日、火が灯される仏壇。
玄関に入ってすぐにある客間に飾られた通行手形。
車が走っている道路が確認できる縁側。
そこにあるのは祖母の常識に即した物たちです。もちろん、その中には平成という時代が作り出した便利でスマートな電気機器の類も存在します。
が、家の中の比率は圧倒的に祖母の時代、あるいは母の時代から存在した物でした。
また、祖母の住む家は普通の一般的な家とは少し違った性質を持ってもいました。祖母の旦那、つまり祖父が大工でした。
祖父は母が中学生の頃に亡くなっていたのですが、大工だと言う話は聞いていました。大工だから、と言うのも変な話かも知れませんが。
祖母が住む家は後から離れや二階が増築されたような部分がありました。
作家の古川日出男が何かの対談で言っていたのですが、日本の建築は、まず家を建てるのだそうです。そこから、必要になれば、その家と繋げる形で部屋や二階を作っていったのだとか。
つまり、祖母の家には計画性というものがありませんでした。
おそらく空間をデザインするような現代においては、勿体なく、ナンセンスな家だったのだと思います。合理性に欠けた家、とも言えるかも知れません。
しかし、僕はそういう祖母の家が大好きでした。
少なくとも、そこには祖母や祖父、母や叔父たちの生活の歴史が垣間見えました。二十数年という短い時間ですが、それを僕は記憶してもいます。
祖母は亡くなりましたが、家の歴史はまだ続いています。
それで良い、と言うつもりはありません。
祖母が生きていてくれていた方が良いに決まっていますから。
けれど、人は死にます。
肉体は年老い、精神は疲弊していきます。人間の肉体は決して強固ではありません。
僕は祖母が苦しんでいたことを知っています。
自分の肉体を思い通りに動かせないじれったさを、苛立ちを、怒りを、焦りを、悲しみを僕は知っています。
おこがましいけれど、僕は祖母が死によって、もう苦しまなくて済む場所に行き、会いたい懐かしい人たちと笑い合っているのだとしたら、戻ってきてほしい、とは言えません。
寂しいことですが、祖母はもう苦しまなくても良い場所にいます。それは僕にとって嬉しいことでした。
やり残したことを数え出せばきりがありません。
が、できることは限られています。
その中でも今できることと後にしかできないことがあります。
とても平凡で目新しさのない結論ですが、僕は僕のできることを実行しながら日々を生きていきます。
そうして、あちら側で祖母と会ったら時代のこと、家のこと、家族のこと、僕のことを伝えたいと思います。
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