44 旅行先で考える、不条理な偶然性について。

 家族旅行に行きました。

 母と弟と僕の三人という面子での旅行でした。弟いわく、値段は気にせず母が行きたいところへ行く、がコンセプトで温泉旅行に決まりました。

 場所は有馬温泉。


 実家が広島で母と弟が車で来て、僕は電車で行き、三ノ宮駅で落ち合いました。

 母と弟を見た時の僕の印象はどうにも言葉にしづらいものがありました。今年のはじめに、弟とその友人が大阪の僕の部屋に来ていたので、弟に関しては久し振り、という軽いものでした。

 問題は母でした。


 母の歩き方や、喋り方には何の変化もありませんでした。

 ただ、母の背が低くなったように見えました。あとで確認しましたが、弟もそれを感じたようでした。

 そこで僕と弟が気付いたことですが、僕らが実家に戻った時、基本母と対面するのは家の中です。一緒に歩くにしても、近所のスーパーとか、行って古本屋くらいのものです。

 広島は車社会で、とくに僕が住んでいる地元は車が無ければどこにも行けません。


 つまり、僕と弟は街中を母と一緒に歩くという経験を、成人してから殆どしてきませんでした。

 その結果、街中を歩く母の姿は他の人よりも小さく、弱々しいものに見えました。僕たちを育ててくれていた頃の母の面影は当然あります。が、その面影を覆う母の歳の重なりを感じない訳にはいきませんでした。


「婆ちゃんに似てきた気がする、母さん」


 弟が僕と二人きりになった時、そう言いました。

 分かる、と思いました。

 僕と弟はお婆ちゃん子として育ってきました。それは僕らが育ち月日が経つごとに、婆ちゃんの腰が曲がっていき、一日の活動時間が短くなっていくのを目の当たりすることを意味しました。

 そういう時間の積み重ねが母に起きている、という事実を寂しさとも違う感情として僕の中に沸き起こりました。


「俺、今年、結婚すると思うんだよね」


 弟が言いました。

 去年から彼は結婚すると言い続けてきました。

 それは百パーセント弟だけの想いだけで、出てくる言葉ではないことを僕は知っていました。


 おそらく、結婚は自分の為というよりは周囲の為にしようと思う側面があるのでしょう。当然、パートナーの理解や関係があった上で、それは浮かび上がる理由の一つだと思います。

 真ん中にはパートナーがあって、その周囲をぐるりと巡るように、社会的な理由や、今回のような家族的な理由が並んでいるように僕は見えます。

 そして、それが自然な感情であるのかも知れませんが、そういうパートナー外の理由を強く持ちすぎている人間に対して、僕はやや懐疑的な視線を向けます。


 親の為に結婚するとか、親に孫の顔を見せたいとか、そういう想いは善です。けれど、その為に誰かが犠牲になったり、誰かの想いが踏みにじられるのなら、僕はそれを善とは受け取れない気がします。

 もちろん善の想いを常に抱き、善の行動をし続けなければならないと、僕は言えないし、言うつもりは欠片もない訳ですが。


「俺、ずっと結婚した後の、俺のことを考えるんだ」


 弟は言います。

 結婚した後、家に帰ると今の彼女がいる空間を、良しとできなくなる瞬間が自分の中で必ず訪れてしまう予感を弟は(多分、とても素直に)語ります。

 それでも、今の彼女と結婚する、と言う弟を前にして浮かんだのは、以下のような言葉でした。


 ――結婚というのは、この人ではなくてもいいのにこの人と一緒になるという不条理な偶然性を引き受ける「気合」であり……


 不条理な偶然性を弟は引き受けることを決めている。

 僕はそれを目の当たりにして、何を考えるべきなんだろう? と考えました。

 考えるべきことは浮かびませんでしたが、すべきことは浮かびました。弟が引き受けた不条理な偶然性がどこへ行くのか、それを確認することは家族である僕の仕事でした。

 いつか僕も不条理な偶然性を引き受ける日がくるのかも知れませんが、今はもう少し無力で能天気に生きて行こうと、甘っちょろく考えました。

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