38 静かな怒りが変える世界。
僕はあまりツイッターを熱心にするタイプではないのですが、それは書かないというだけで、他の人のツイートを見るのは好きです。一日中、ツイッターを見てるなんて休日を過ごすことも珍しくありません(単純に無気力に病んでいるだけとも言えるけれど)。
僕の閲覧用のツイッターアカウント(郷倉四季名義ではないものです)のフォローした人たちを見ると、僕の趣向が全て詰め込まれたようなメンツで思わず笑ってしまいます。まるで僕の脳みそがツイッターのフォローという形で可視化されたような気がしてくるんです。
そこには作家や哲学者、出版社、イラストレーターにライター、裏垢女子に男子、etc.
ツイッターのホームを見ると、そこには政治的なもの、アニメや漫画の情報、はっとするような哲学、出版社の宣伝、イラスト、なんかエロい発言と様々な法則性ゼロのカオスが流れて行く訳です。
それを見ながら僕が思うのは、こういうカオスな小説を書きたいな、ということでした。
村上春樹が自分の長編小説を「総合小説」として語るのを読んだことがあります。「総合小説」の定義は置いておいて、僕は言葉としての総合小説という響きに惹かれます。
哲学的な意味もあって、ライトノベル的な軽快さもあって、ミステリー的であり、ホラーにも読めて、官能的な刺激も入り込んできて……、そういうカオスな混ぜ込んだ小説を僕は書きたい。
と、考えてみると、僕は色んな要素をぶち込んだ長編小説を書きたいんだな、と気づきます。2019年は、どういう生活のリズムで生きていけるのか分かりかねてしまいますが、長編小説を書くを一つの目標としたいと思います。
それは岩田屋町の物語ではないものでも良いのかも知れない、と今になって思います。
と言うのも、郷倉四季ではない名義で2019年は活動を開始しようとも考えているからです。せっかくですから、色々と挑戦したいと思います。その為の準備は大変ですが、行動あるのみとも言いますし、話を聞いてくれる人も周囲にいる訳だし、やれるだけやります。
ダメだったら、指差して笑ってもらえればそれで良い訳ですし。
さて、ツイッターの話で、自分の書きたいものについて綴ってしまいましたが、僕がしたかったのはツイッターで怒ったツイートをしている人についてなんです。
前回のライターお茶会で僕は主催者さんに挨拶する際「○×さんをツイッターで知りました。お茶会の存在もそうです。で、そのツイートの大半が怒っているツイートで僕はそれが好きです」と言いました。
本当に失礼極まるお話なのですが、その人を前にすると自然とそういう言葉が出て来てしまいました。
貴女の怒っているツイートが僕は好きです。
なんて、本当に僕は何を言っているんだろう? と、自己嫌悪に陥ると同時に、僕の中に芽生えたのはツイッターにいるちゃんと怒っている人のアカウントを僕はとても信用している、ということでした。
少し前ですが、「保育園落ちた。日本死ね」と言った文章が、世間を賑わせたことがありました。そういう、その場の感情だけで書かれた怒りには興味は引かれますが、僕は信用しません。
ただ、静かに燃えたぎるような怒りをツイッターで示す人たちは、確かな知識と経験を持ち、その上で怒ったツイートをしているように見えました。今の時代、ツイッターでの呟きが世界が変わってしまうことは珍しくありません。
それが良いか悪いかは置いておいて、もはや本で、物語で世界(社会)が変わるのではなく、SNSでインターネットで世界は目まぐるしく、時に大胆に変化していきます。
その変化のきっかけになると、正確に理解した上で静かに怒りのツイートをしている。世界を変えようとしている。
僕はそんな人たちの怒りを見て、自分がどれだけ無知で何も考えずに生活をしているか、と実感します。
世界を変えることの大きさを僕はまだ正確に理解できていません。だから、ツイッターというツールは僕にとってまだ手に余るものです。
それで良いとも思っています。
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