26 恋は人を暴く、吉行文学と江國文学。
江國香織が選ぶ短編恋愛アンソロジーのタイトルが「ただならぬ午睡」というものでした。
短編の順番は江國香織が決めたのか、編集した日本ペンクラブなのか、読者である僕にはさだかではありません。が、その一編目が吉行淳之介の「謎」でした。
謎から始まる短編集というのは何やら味があるように思えます。
さて、江國香織はあとがきで、短編を選ぶ基準として「恋の話を、八篇」「うんとおもしろいもの」をと書いていました。
では一編目の吉行淳之介「謎」はどうでしょうか。
正直に申しますと、変な話ですが、少し詳しく書きたいと思います。
視点人物の男は部屋の窓から夕焼けを眺めます。
そんな男の耳元から見知らぬ男の声が聞こえます。そして、その男の導きで家の門を見ると豹の毛皮のコートを着た女がいるのを確認します。
見知らぬ男はその女がとても恐ろしいと言います。正確には女の持った小瓶が恐ろしいのだ、と。見知らぬ男と会話を重ねると、その男は茶巾鮨になります。
視点人物の男も玉子の鮨になってしまいます。
しかし、すぐに人間の姿に戻り、見知らぬ男は鮨になったのは女のせいだと言います。視点人物の男は取り憑かれたのだと言われて、理不尽だと怒り、門の前にいる女の前を通って外出することを決意します。
見知らぬ男はそれに協力すると言い、男に自動車になれと強要します。
にぎり鮨になったんだから、自動車ぐらいになれると言われ、男はタクシーになります。タクシーとなって門を出るのですから、女は手をあげ車を止めます。
運転している見知らぬ男は「乗車拒否はしない主義だ」と恐ろしいと言った女を車に乗せてしまいます。女は目的地を告げ、見知らぬ男は言われた通りの場所を目指し、車(男)を走らせます。
ある瞬間、男は女が抱えていたはずの小瓶が赤ん坊になっていることに気付きます。更に、目的地に着く前に、女は元の場所へ戻ってくれ、と言います。
運転している男は「どうしてだい」と尋ねます。
女は「口惜しいから」と言います。
すると、夕焼けに照らされる部屋に戻っています。男はこれは夢だと思います。
夢ならば醒めればいい、と考え、行動に移そうとしますが、口は塞がれ、手足は金縛りにあったように動かせません。
そして、「夢の皮が厚くかぶさり、夢の膜の中で、身もだえつづけている。」という一文で締めくくられます。
起きる出来事が突拍子もない為に、あまり恋の話という感じがしませんが、注意深く読んでみると紛れもない恋の話です。
それも「うんとおもしろいもの」です。
またとても吉行淳之介的な話でもあります。
まず、女の為になりたくもない鮨になって、恐れていながら、車(自分)に乗せて、目的地を目指し、その目と鼻の先で女に「口惜しい」と言われて戻れと言われる。
そして、夢だと分かり現実に帰還したいと考えながら、口は塞がれ、手足は動かず、夢の中で身もだえつづけるしかない自分。
夕焼けの描写から始まり、女に「口惜しい」と言われて戻った部屋もまた夕焼けに照らされている点も面白い部分です。
決して性の始まる夜にはゆけず、その入り口(夕焼け)で留まり続ける。
まさに、吉行文学の中核にあるテーマの一つを明白に拾い上げた短編でしょう。
江國香織が「謎」を選んだのは本当に見事です。そんな江國香織の作品群の中にも吉行淳之介の「謎」に通じるものがあります。
それは路傍の石文文学賞を受賞した「ぼくの小鳥ちゃん」です。
あらすじは、「ぼく」の元に訪れた小鳥ちゃんと、その「ぼく」のガールフレンドの三人の物語です。小鳥ちゃんというように、小鳥は女であり、「ぼく」を女らしく振り回します。
吉行文学的に言えば、「ぼくの小鳥ちゃん」は「夕焼け」的な物語と言えます。
さすがに「ぼく」である人間と、鳥類である小鳥ちゃんが性的な深みに落下していくことはありえません。
しかし、だからこそ、「ぼく」と小鳥ちゃんのやり取りにはどことなく性的なニュアンスが含まれます。それにガールフレンドの女の子が嫉妬するシーンなど、男の僕でも正直頷く他ありません。
「ぼくの小鳥ちゃん」と「謎」の共通点は性に対する怯えです。
「ただならぬ午睡」のあとがきで、江國香織は「恋は人を暴く」と書きます。男と女を書くということは、人間とは何か、という点を過剰に晒してしまうことに繋がります。
人間とは何か?
その問いの最初の問題は「自分」になります。
自分が最も知っている人間こそが自分な訳ですから。
ツイッターであるライターの人が吉行淳之介に触れ、「彼の小説で分かるのは女のことではなく、吉行淳之介自身のことだけだよね」といった意味のことを書いていました。
それで良いのかも知れません。
人を暴く、男と女のことを書き続け、それによって分かるのは自分(吉行淳之介)のことだった。
僕はその自分を発見していく為の文学としての吉行文学をこよなく愛していますし、それを引き継ぐようなテーマを持つ江國香織の作品群に注目し続けています。
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