⑰ 信じたいが、いつか愛になればいい。

 恋愛関係の考えで僕がもっとも同意しているのは遠藤周作です。「愛情セミナー」という本で遠藤周作は以下のように書いています。


 だから私は繰り返して諸君に言う。今日ほど不信の時はないゆえに諸君たち若い者にとって恋愛が大事な時もないのだ。なぜなら、諸君たちはこの何もかもが信じられぬ時代に、人間を信ずる行為を君の恋愛を通して恢復しようとしているからだ。


 恋愛は相手を信じることであり、一人の人間と恋愛ができれば社会(多くの人間)を信じることもできる。

 それは同時に一人の人間が僕を信じてくれる体験でもある訳で、一つ前のエッセイで不道徳な行動によって男の子が成長する、と書いたけれど、一人の人間から向けられる信仰に応えるという行為も成長に繋がると僕は思います。


 そう言えば、「僕だけがいない街」という漫画がありましたが、そこで「信じるって変な言葉だよな」というのがありました。

 本当に信じているのなら、「○○を信じる」という言葉は使わない。例えば、空気があると信じる、とは言わない。

 信じる、という言葉は信じたい、という希望の言葉だと「僕だけがいない街」では言っていたように記憶しています。


 つまり、恋愛も相手のことを「好きだ」と伝えることは、好きになりたいという思いがあるからだとも言えます。そういう意味で「運命の人」や「愛」というものに出会っても、僕たちはそうであると信じることしかできないのだと思います。

 その信じる心が、結果的に愛だったと分かったりする。


 遠藤周作の言う「時代」を信じられるようになるのか、僕は分かりません。ただ、愛が簡単に手に入るものではないと分かるように、時代を信じることも決して簡単ではないことは分かります。

 僕は無邪気に愛を信じられないように、今の時代も信じることもできません。それで良いとも、心のどこかで思っています。信じられないものが信じられるようになっていくことほど、幸福な経験はないとも思うからです。


 信じていたものに裏切られて失望し、信じられなくなる経験よりはずっと良い。けれど、前回も書きましたが、正しい努力の積み重ねによって人は報われる訳ではありません。

 どれほど愛を積み重ねても、信じる気持ちを持っていたとしても、費やす時間や想いが多ければ多いほどに裏切られた時の失望は大きくなります。パートナーが不倫をしていた時、あるいは自分の心の弱さによってパートナーを裏切ってしまった時。

 今までの愛がまがい物のように見えてしまう瞬間。

 僕たちはどうすれば良いのでしょうか?


 何も間違っていない行動をしていても、世界は残酷に積み重ねてきた愛や信じる気持ちを踏みにじってきます。それを試練だと乗り越えようとするのか、見て見ぬフリをするのか、背を向けて逃げ出すのか。

 そのどれもが僕は正しいように感じます。

 当事者になった時に込み上げてきた感情に基づいた行動。それこそが、正しくなくてどうするのだという気持ちさえあります。


 ただ、その当事者ゆえに抱いた感情による行動を振り返った時、それが間違いだったと思うことがあります。どういう時に何が正しかったを考えて行くべきです。何が正しかったのか、と考える為には間違って後悔する必要があるんです。


 最初から正しく、間違わない道などない。

 それが二十七年間、生きてきた僕の実感です。

 信じて、裏切られて、それでもまた信じる。これが正しい道なのか、と疑いながら。

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