⑭ 取り戻した言葉。君の名は?

 新海誠の一連の作品の中で失語から立ち上がり、言葉を取り戻したのが「言の葉の庭」だったというのが僕の考えです。

 取り戻した声によって何を語ったかと言えば、それこそが君の名は? だった。


 your name.


 映画「君の名は。」の後半で、主人公がヒロインの手のひらに名前を書こう、と言うシーンがあります。名前を書いておけば、目が覚めても忘れないだろ? と。

 しかし、主人公はヒロインの手に文字を書けますが、ヒロインは主人公の手のひらに文字が書けぬまま、別れてしまいます。

 二人は別れた瞬間こそは名前を憶えていますが、その後は相手の名前を忘れてしまいます。残るのは相手が大切だと言う感情だけです。

 結果、ヒロインの手のひらに主人公が書いた文字が残されます。そこに書かれた文字は主人公の名前ではなく、「好きだ」です。

 ここで疑問になってしまうのは、なぜ「好きだ」だったのか。


 ――これじゃあ、名前、分かんないよ。


 というヒロインの独白はごもっともです。が、「君の名は。」を最後まで見れば納得です。

 君の名は?

 その名前を伝え合うことが忘れて、消え去ってしまった感情(記憶)を呼び起こす呪文だったのですから。そこにある感情こそが、「好きだ」であるのは疑いようのない事実です。


 つまり、「君の名は。」で語られた隕石の落下は君の名は? と尋ねる為の布石でしかなく、それ自体は忘れて良い現実だった。

 それ(糸森町の住民)よりも、失語から言葉を取り戻して語る君の名は? の方が重要だった。何故なら、そこには好きだ、という感情も含まれていたのだから。


 批評家の佐々木敦が「君の名は。」について、ツイッターで呟いていたのを見た覚えがあります。そこでは、糸森町の住民を救うか、主人公とヒロインの再会をするか、そのどちらかだけが描かれていれば、納得ができた。

 けれど、それでは売れなかっただろう、というものでした。


 僕の友人も同じようなことを言っていました。

「君の名は。」はハッピーエンド過ぎる。それでは詰まらない、と。

 詰まらないか、どうかは脇に置いておいて、あまりにも綺麗過ぎる、という意見については、なるほどと僕は思います。


 ただ、綺麗過ぎることの何が悪いんだろう? と僕は首を傾げてしまいます。

 たまには、綺麗過ぎるエンディングがあっても良いじゃないか。失語症から立ち上がって得た言葉を使って愛しい人の名を呼ぶ。

 それが「好きだ」という意味を含む。

 こんなハッピーエンドが世界に一回だけで良いから、あって良いじゃないか。


 もちろん、この先の新海誠の作品がバッドエンドを僕が願っている訳ではありません。ただ、「君の名は。」は、一回だけ奇跡のように起きた物語だったからこそ、素晴しい物語だった、と僕は思います。

 丁度、「僕は明日、昨日のきみとデートする」のような偶然の重なり合いによって、起きた奇跡。

 都合が良いと誰かに言われても、そうなったのだから仕方ない、と言わざる負えない物語が世の中にはあるのだと僕は思います。

 そして、そういう物語に対する批判があるのは僕も分かります。僕も何かが違っていれば、批判する立場だったと思います。


 というか、「君の名は。」を批判する人を僕はとても正常にも感じます。何故なら、売れすぎた物語は本来の制作者の意思を無視して暴走してしまうものだからです。

 それこそ、ノルウェイの森を書いた村上春樹が百万部を売った時、「僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分がみんなに憎まれ嫌われているように感じた」と語っています。

 異常なヒット、売れ方をした作品は、商業的にはどれほどの成功であったとしても、製作者(作家)にとっては良いことにならない場合がある、と僕は思います。

 もちろん、そうでない場合もあるのでしょうけれど。


 そういう意味では「君の名は。」が、新海誠にとって良い作品だったのか、「みんなに憎まれ嫌われたように感じ」なくて良い作品になるのか、はこの先の彼が作る映画にかかっている、と僕は考えます。

 僕は新海誠が好きだからこそ、「言の葉の庭」のような短いけれど、センテンスの籠った作品をこれかも作って欲しいと願っています。もしかすると、それは「君の名は。」で得たファンをがっかりさせる作品かも知れませんが、流行や売れ筋とは違った部分で作品作りをしている、というクリエイターとしての芯を見せてくれる指標になる、と僕は思います。

 僕はそういう作品を(無責任に)新海誠に望んでしまいます。

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