前編*光り輝くような幸福に包まれて


 二人が出逢ったのは、二十二年と半年前のこと。


 彼らは、自然の恵みに溢れた田舎街ケレイスで生まれ育った。


 家がお隣さん同士で両親同士の仲も良かったルディとリタは、自我が芽生え始めた頃には、当たり前のように一緒に過ごすようになっていた。


 青い瞳で男の子の方がルディで、碧の瞳で女の子の方がリタ。幼い頃はそんな風に称されるくらいに見た目も雰囲気も似通っていた二人は、いつ、どこへゆく時も一緒だった。


 春が訪れれば山へピクニックに出かけ、夏が来れば川へ透明な魚を釣りにゆく。秋になったら森へ色とりどりの果実を採取し、冬には同じソリにまたがって軽やかに銀世界の中を駆け抜けてゆく。


 ルディは天真爛漫で健気だけど抜けている彼女のことを実の妹のように可愛がっていたし、リタは賢くて優しいけれども少しだけ泣き虫な彼のことをの本当の兄のように深く慕っていた。


 幼い二人が無邪気に駆けずりまわっている姿は微笑ましく、ケレイスの人々はじゃれあう二人の姿を和やかに見守っていた。


 どこへいくにも双子星のようにぴったりと寄り添って行動していた二人にとって、お互いのことが誰よりも大切になるまではそう時間がかからなかった。


 その親愛の情が歳を重ねるにつれて異性愛へと花開いたのは、水が高いところから低いところへ滑り落ちるのと同じくらいに自然なことだった。

 

 十五歳で義務教育を修了し同じ中学校を卒業した二人は、生まれて初めて別々の地で暮らすこととなった。


 卒業後、リタは地元の女学校に進学することが決まっていたのに対し、ルディは都メルクの教員養成学校に通う為にケレイスを発つことになっていたからだった。


 今までどこへ行くにも一緒だったルディが出立する前日の夜、リタは星空の下で小さな子供のように泣きじゃくっていた。大粒の涙をこぼし続ける彼女を見つめていたら堪えきれなくなってしまって、彼もぽろぽろと泣いてしまった。


 ルディはリタをやさしく抱きしめると、嗚咽を漏らして震える彼女をなだめるように、その背中をさすった。


「リタ、そんなに泣かないで。手紙だって書くし、長いお休みには絶対に帰ってくる。そうやって過ごしていったら、きっと卒業するまでの五年間なんてあっという間だよ」

「ううっ……それ、でもっ、今までみたいに、毎日は会えなくなっちゃうわ……。ルディは……淋しく、ないの?」

「……もちろん、淋しいよ。今までと同じように、リタと片時も離れずに暮らしていけたらいいのになぁって思ってる」

「それ、なのに……どうして、行っちゃうの……っ」

「これからも、リタと呆れるくらいずうっと一緒に過ごしていくためだよ」


 その瞬間、彼女はぴたりと泣き止んで、自分よりも少しだけ背の高いルディを呆けたように見上げた。


「先生に進路について聞かれて、将来どうやって生きてゆこうかって考えた時にね……真っ先に思い浮かんだのが、大人びたリタが相変わらず無邪気に僕の隣で笑っている光景だった」

 

 予想だにしていなかった大胆な彼の発言に、リタの赤い心臓はびくりと飛び跳ねた。ルディはどうにか胸を落ち着かせながら、言葉をつづけた。


「その時にね、ああ、僕の未来はこれしかないなぁって胸にすっと光が差した。でもね、同時に、今の僕はまだまだ未熟で……思い描いたように君を幸せにする力なんて、これっぽっちも持っていないんだってことにも気づいたんだ」


 彼は、驚いて言葉も出せなくなっているリタの瞳の端に浮かんでいた涙をそっと指で拭うと、微笑んだ。 


「僕は、生まれ育ったこの場所で、誰よりもリタを幸せにしたい。胸を張って、堂々と君の隣に立っていられる自分になりたいと思った。その時……教師になったら良いんじゃないかって思ったんだ」


 この田舎街では、教師は皆が一度は夢見る憧れの職業であるとともに、目指すのが困難な職業でもあった。


 ケレイスには、教員を養成する機関が存在しない。


 故に、ケレイスで教員になりたいと志す者は、一番近くともこの町から馬車で二日程はかかる都メルクにまで足を延ばす必要がある。このため、たとえ子供が成績優秀で学費の安い国立の教員養成学校に合格できたとしても、都で五年間一人暮らしをさせるだけの潤沢な資金が要される。


 この田舎街では、それほど膨大な金貨を貯め込んでいるとう意味で裕福な家は珍しい。かといって莫大な奨学金を借りて、将来そのすべてを返してゆくだけの決意もできないままに教員への夢を断念してしまう若者は非常に多かった。


 このような経済的な事情から教員を目指し辛い状況に置かれているケレイスは、慢性的に教員不足に晒されていた。どうにかこの困難をクリアし、都にまで足を延ばして無事に教員試験に合格した若者が、そのまま都の華やかさの虜となって故郷に帰ってこなくなることもざらだったことがさらに輪をかけていた。


 進路のことを真剣に考え始めるようになる以前のルディは、最低でも五年間はこの街を出て暮らす必要に迫られる教師になろうとは考えたこともなかった。


 彼は、ただ漠然と、これからもケレイスでずっと一緒にリタと過ごしていけたら良いと思っていた。やさしくて可愛いリタの隣に立つにふさわしい、立派な自分になりたいという思いが一番強かった。


 樫のテーブルに頬杖を突きながらうーんと唸っていた時、ルディはふっとひらめいた。


 ――そういえば……先生は、教師を目指してみても良いんじゃないかと言っていた。今の成績なら、奨学金を無償で借りることも夢じゃないって。


 彼は、元々、勉強が嫌いではなかった。教えた経験はリタにねだられてしたことくらいしかなかったけれど、『ルディはすごいなぁ』って彼女にきらきらした瞳で褒められると、くすぐったくて幸せな気持ちになった。


 五年間リタと離れて暮らすのは淋しいけれど、本当に教師になることができたら、今のなんとなく頼りない自分から卒業して、堂々と胸を張れるんじゃないかと彼は思った。


 一度、決意を決めたルディは血の滲むような努力をした。

 そして、都メルクでも難関とされている国立の教員養成学校に見事合格した。


「ルディ……それ、って」


 ルディは、放心したようになって彼のことを見上げているリタの赤い唇を指で押さえると、「……五年後、夢を叶えて帰ってきたら、ちゃんと言わせて」と照れ臭そうに微笑んだ。

 

 ルディがケレイスを出て行って二年後、女学校を卒業したリタは地元のレストランに就職して、彼からの便りとたまの帰省を励みに、日々健気に働いていた。


 そうして、あっというまに三年が経った。


 ルディは、あの宣言通り、教師になるという夢を叶えて故郷の街に帰ってきた。

 五年前にケレイスを出て行った時よりも随分と背が伸びていた。


「ただいま、リタ。僕の、お嫁さんになってください」


 やわらかな日差しの下、真っ白なウエディングドレスを身にまとってはにかんだように微笑んでいるリタを、ルディはこの世界で一番に愛らしく美しいと思った。


 ケレイスで誰からも祝福されながら誓いのキスを交わした二人は、虹色に輝くような幸福に包まれて、天にも昇れるような気持だった。

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