その夜、はじめて彼女のいない夢を見た

久里

序章*この美しく残酷な夢の中で永遠に君と

 ルディがゆっくりまぶたを押しあげると、木漏れ日にまだら模様に照らされた彼の最愛の妻であるリタが、天使のようにやさしく微笑んでいた。

 

「ルディ。今日も、おつかれさま」


 リタの鈴を転がしたような透き通った声だけが、現実世界で痺れて動かなくなり始めていた彼の心臓にすっと溶け込む。


 ――ああ。やっと、君のいる世界に戻ってくることができた。


 ルディは高鳴り始めた心臓にけしかけられるようにして、樹木に預けていた上体を起こした。両膝をついて自分のことを見下ろしていた妻の姿を、真正面から見据える。

 

 リタの白い頬は幼い少女のように林檎色に気色ばんでいて、エメラルドのつぶらな瞳はきょとんとルディのことを見つめ返していた。ほっそりとした首筋に、控えめにふくらんでいる胸、身に着けている深緑のワンピースに零れ落ちている柔らかい亜麻色の髪。 


 彼女は、食い入るように自分のことを見つめてくるルディに、気恥ずかしそうに頬の朱を少しだけ深くして茶化すように言う。


「ヘンなルディ。わたしのことを、見つめすぎよ」


 純真な二人を見下ろすようにどっしりと構えている大木の幹がそよ風に揺れる。葉っぱ同士が擦れ合い、さわさわと涼しい音が降り注いだ。


 楽園と呼ぶにふさわしい、うららかな青空の下。


 リタが、瑞々しく生きていたあの頃と全く同じように、はにかんでいる。


 こうして夢の中で彼女の笑顔を目にする時だけ、ルディは泣きたいくらいに安心して、ようやくほっと胸をなでおろせる。現実世界で溜め込んできた苦しさではちきれそうになっている彼の胸の痛みが、じんわりと溶けてゆく。


 もう半年近くずっと、彼は眠るたびにこの残酷で幸せな夢を見続けている。

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