星が酔う

 これはべに、あれはあい、むこうにきん、となりにぎん、……。どれほどっても星に変わりはありません。

 それに、ちかちか、目いっぱいに広がるのを見つめていると、ほかのものが、なんにもなくなってしまったような気になります。その心地が不思議でたまらずに、わたしは夢中で天を向いていました。


 ようやくして、首がくたびれた、と思ったときです。すぐ横で年よりの声がしました。

 「今夜はげいうたげじゃと」

 「そりゃあ、めでたいことさな」

 いつの間にかとなりの石に、ふたりの老人がこしをかけていたのです。わたしはおどろいて変な声をあげましたが、向こうはまったく気にしないというふうに話を続けます。

 「ところで酒瓶かめれちゃあおらんよな」

 「もちろん涸れちゃおらんさ。くちびるもさかずきも、湿しめってええ具合だわい」

 ほ、ほ、ほ。ふたりは笑って、ふところからみどりにひかる鉱石盃いしさかずきを取りだしました。あんまり見てはいけないと思いながら、けた器から目がはなせません。話はさらに続きます。

 「けっこう、けっこう。もう、そうしたら、あとはぞうを湿らすだけのこと」

 「そうともさ。しかし、いくら酒瓶かめとて、わしらふたりでんでは足りるだろうか」

 「実はわしもそれがひとつ心配じゃった」

 「ほ、ほ、ほ、そんなら酵母たねを落としてやろう。今夜は天も、よう煮えておるで、よう湧くじゃろ」

 「そりゃいい案だわい」

 ふたりがなめらかなさかずきのふちをなでると、たまのこすれあうような音が、そこらいっぱいにころがります。

 「せっかくのこと、友人も呼びたいものじゃのう」

 「そうすると、しゃくぼし太白たいはくせいさちぼし、あと、だれじゃったかいな。ええい思いだせんわい」

 「わしもじゃわい。ええて、ええて、酒のにおいをかげば、みな寄ってくるじゃろ」

 そして、ひとりがまた懐から真珠のような、ひと粒を取りだしました。これがきっと酵母たねなのだろうと考えるうちに、虹いろが遊ぶその粒は、天へとのです。

 ひと呼吸するかしないか、みるみるうちにもんが伝って、夜が満ちなおしていきます。星々の輝きは、いっそうんで高まります。ほ、ほ、ほ、の笑いとともに一面かぐわしい清酒おさけの気が立ちこめました。


 わたしはくらくらしながら、この宴のゆくえを見つめるしかありません。やがて話にあったとおりに、どの星も酵母たねが落ちたところへ集まりだして、あふれる夜を泳ぐように呑みはじめたではありませんか。

 老人たちも一緒になって盃をあげ、お祝いのうたをぎんじたり、そこらじゅうを舞ったりしました。星たちが前後不覚ぜんごふかくおどったので、あっという間にその並びも燃えかたも、めちゃくちゃになりました。

 あっけにとられていると、赤ら顔した老人のひとりが、わたしに近づいて一盃いっぱいを差しだしてきます。

 「どんなみずにもまさる天の酒じゃ。呑んでみなさい」

 その声を聞くだけで、夢とうつつとの真んなかにいるような、ほってりとした気もちになります。目のさきにある清酒おさけには、めるほどのさわやかさに、甘さがとろけて見えています。

 盃を受けようと、ふるえる手を伸ばしたわたしは、はっとして目が覚めました。


 「シャオファ、だいぶ待たせてしまったねえ。冷えていないかい」

 隣に腰かけた乳母かあさんが、かたを抱きよせてくれました。まだ、まぶたのなかが、ちかちかしています。わたしは天をながめながらねむってしまっていたのです。

 「さ、甘酒を持ってきたよ。お祈りをして、いただこうね」

 何度もうなずいて夢のなごりをふり落とします。このままでは、またおんぶの道になるでしょう。今夜はなんだか、それがいやなのです。

 意地になって、うんともすんとも言わないまま胡桃くるみまんの入った袋をきだすと、乳母さんが、ありがとう、と笑ったのがわかりました。

 深いさかずきい白いろがそそがれます。わたしたちはふたりで乾杯かんぱいをして、新しい季節のお祝いをしました。

 「“星さえ酔うのに、われらがどうして呑まずにいよう”……」

 湯気の立つ甘酒を手に包んで、ひとくちふくんでみます。舌のうえでほどける熱で、ようやく体がなかからあたたまるようでした。

 「見てごらん。いまちょうどえんたけなわだよ」

 乳母さんの言葉に、わたしはふたたび顔をあげました。そこでは、いく那由他なゆたの星がおどるように、匂うぞらを飛び交っていたのです。


(おしまい)

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迎夏の宴 きし あきら @hypast

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