第60話
――ゴットハルト坊ちゃまは、怒濤の1週間を終えて慈悲王様との旅に出られた。
フラウお嬢様も商会連合の実務へと戻り、今回のヘイズによる事件は本当の意味で収束を迎えたと言えるだろう。
……この夏は終わった。ならば、私もまたこのグリューネバルトを離れるときだ。
(……こういうときに、坊ちゃまのそばにいられたのは、本当に良かった)
元来、私は様々な場所を転々としている風来坊にすぎない。
グリューネバルト家料理人筆頭という地位も、前々回にここに訪れたときに与えられた地位だ。
随分と気に入られたものだし、本当に嬉しい話だと思う。身に余る光栄だと。
「――まどろみの時に失礼する。
紅茶を一杯、いただけるかな? レイモンド・マクスウェル」
昼過ぎ、屋敷の食堂を閉めようとしたまさにその時だ。
不意の来客が”いつの間”にか座っていた。――お得意の転移術式、というわけか。
「ふふっ、こんなところまで、わざわざ紅茶を飲むためだけに来たのかい? 食べていけよ、金は取らん」
ひとつふたつ残っていた白みかんのタルトをスッと差し出しつつ、それに合う紅茶を淹れる。
そして、給仕に相応しくなく、来客者の眼前に腰を下ろす。
ここからは料理人筆頭としてではない。ただ1人のレイモンド・マクスウェルとして応対する。
「フン、いつの間に料理人に転向したんだ? 何かきっかけでも?」
「別に特別なことはないさ。君みたいにひとつの役職に邁進していなければ、様々なことに手を出す暇はあるんだ。私たちの人生は、長いからね」
紫色の鋭利な瞳と、にらみ合う。
まさか、こんなところで彼とこうやって真っ正面から相対することになるとは。
「その長い人生で、相も変わらず”人間”の味方かい。なぜ不老の命を、有限の者たちのために使う?」
不老の命を、有限の者たちのために使うのか?とは。
フン、彼らしくもないズレた問いだ。
もっと、本題に切り込んでこないから、こういうことになる。
これでは簡単に反論できてしまう。
「フフッ、そんなことを、君が聞くのかい?
ドルンに肩入れする、希有なドラガオンである君が――」
ドルンの寿命は、永遠ではない。対してドラガオンの命は永い。
戦って死ぬ以外の死は、用意されていないといっても過言じゃない。
なのに、こいつは、か弱い彼らに肩入れする。
その意味においては、彼の在り方は”人間”に肩入れする私と何ら変わらない。
「――なぁ、そうだろう? ビルコ・ビバルディ。
いや、ドラコ・ストーカー首領閣下と、お呼びしようかな」
こちらの問いに、静かな視線を持って返すビルコ。
……かつての人竜戦争では、まだほんの少年だったはずの竜人が、随分と成長したものだ。今ではもう、ドラコ・ストーカーの首領閣下なのだから。
「こちらのことは好きに呼んでくれ。そして、そちらの問いに答えよう。
私がドルンに肩入れをするのは、私が竜族だからだ。そう生まれたからさ。
では、お前は何だ? いったいなぜ、竜の身でありながら人間に肩入れをする?」
フッ、最初からそう言えば良いんだ。ここら辺の論理展開が、やはりまだ若いのだよな。
そして、だからこそギラついてもいる。強い野心が、彼の心にはまだ燃え盛っているのだろう。
「この身が竜人のそれであろうとも、私は人間に育てられた。
だから、そのように生きている。それは君も同じだろう? 違うかな」
「フン、相も変わらず、その回答か――ひとつ、確認させてもらうぞ」
ビルコ・ビバルディが、指先をこちらに向けてくる。
ふふ、こいつもマメな男だな。いちいち私に確認をしてこようだなんて。
「――私とクリス、そしてあの御曹司が戦っていたとき、お前ずっと見ていただろう?」
「ふふっ、おかげで君は手を抜いたよな?
少なくともゴットハルトは殺せたはずだ。でも、それをやらなかった」
このレイモンド・マクスウェルという男が、いったい何者であるのか。
その真相をグリューネバルト家の人間は知らない。
だが、私は今回の事件において、それを晒す覚悟さえしていた。
晒してでもなお、守りたいと思った。
フラウ殿下は私には救えなかったけれど、せめてゴットハルトだけは守りたいと。
「当たり前だ、背後にお前が控えていると思えば、体力の調整くらいはする。
クリスもあの御曹司も存外に強かったからな。なおの事そうしなければならなかった」
そうか。私の存在は対ビルコへの牽制になっていたか。
正直なところ、控えていたはいいものの、何の出番もなかったことに安堵と少しばかりの落胆があったのだ。
けれど、こうして私の存在に意味があったのだと分かれば、その落胆も薄く消える。
「なるほどな。それで君は私にそんなことを伝えてどうするつもりだ?
私は嬉しくなったが、私を喜ばせるために君は来たのかな」
――そんなはずはあるまい。
そう思いながら、自分で淹れた紅茶に口を付ける。
「まさか。なに、あのときお前から発せられていた”殺気”と、グリューネバルト家の深いところにまで食い込む”諜報力”
端的に言って”欲しい”んだ。レイモンド・マクスウェル、貴方のような実力者を、私は求めている」
ッ――勧誘、か。こいつ、凄いな、明らかに無理筋だと分かっているはずだ。
それでもなお、こんな真っ正面から勧誘を仕掛けてくるなんて。
そういう振る舞い方自体は、嫌いになれない。
「悪いね、私は人間を愛している。
この身が人でないそれであろうとも、私からの愛は揺るがない」
たとえ永いときの中で取り残されようとも、人間でないことを理由に刃を向けられようとも、私が与える愛だけは揺るがないのだ。
「お前が、ドラガオンだとバラ撒いても良いのか?」
「フフ、それは困るな。グリューネバルトへの出入りが、できなくなってしまう」
だが、そういう風に失った居場所は、既にいくつもある。
人ならざる身で人として百年近い時間を生きてきた。
ならば、それくらいの経験は、幾度となく通ってきたのだ。
「……余裕があるようだな」
「ああ。私の居場所は、ここだけではない。それに、居場所なんていくらでも作れるものさ」
ビルコと視線をぶつけ合う。
こちらへの脅しが、無意味なものだと悟ってくれれば良いが。
「なるほど、やはり生半可ではないな。この程度では、揺るがないか」
「そういうことだ。私への脅しは無意味だよ。
君が”竜族と人間”の”和平”のために、ドラコ・ストーカーを運用しようというのならば、その話に乗らないこともないがね」
あちらが仕掛けてきた脅しと勧誘。
そこから逆に、こちらから揺さぶりをかけてみる。
まぁ、おそらくは無理なのだろう。
そう分かっていながら、試さない理由はないから。
「――和平? 私が? 人間と? つまらない冗談だな。私が求めるのは”支配”だよ、マクスウェル。
武力による戦争、諜報による誘導、いかなる形であれど我々は人間を”支配”するために動いているのだ。我々”竜族”がより、豊かに生きるために――」
やはり、か――私の愛が揺るがぬように、彼の野心も揺るがない。
知っていたんだ。以前の人竜戦争から”ビバルディ”という名前には関心があった。
だから、なんとなく本当に迂遠な形ではあるけれど、彼が駆け上がった”首領への道”を知っている。
ゆえに分かるんだ。ここまで支配欲の強いドラガオンは、そうそういないことを。彼の在り方が、揺るがないことを。
「君のその野心自体は否定しない。きっと私も、竜族として生きていたのならば、より君に近い男になっていたはずだ。
だが、そうはならなかった。今、ここにいるのは人間を愛する1人の男だ。ゆえに君の道と、私の道は、交わらない」
――交渉は、決裂した。
そのことを理解したビバルディは、こちらの用意していたタルトをひとつ、無造作につまみ上げた。
そしてそれを一口で食らいつくす。
「素朴でありながら、調えられた味だ。これほどの食事は”娯楽”と呼べるだろう。
……なぁ、マクスウェル。こういう娯楽を味わえるドルンが、この世にいると思うか?」
ッ――胸が、痛む。彼の求める”豊かさ”は、ひとえにドルンのためでもあるのだ。
ドラガオンの駒として掃いて捨てられる弱者にさえ、豊かさを与えようとしている。
そのために人間という富の源泉を支配しようと望んでいる。
「君の部下ならば、あるいは――」
「フン――そういう世辞は、要らないよ。
真に同情しているのならば、君と私の道は交わるはずだからな」
こちらの用意した紅茶を飲み干す、ビバルディ。
そして、首領は、立ち上がる。
「これが最後通告だ、ドラゴニアの裏切り者よ。
私の元へ来い。ドルンたちへの同情心が、君にあるのならば、な」
「――悪いな、俺はドルンと人間を天秤に掛けられる。
そして重きは人間だと、断言できるんだ」
――刃を、抜き合うかと思った。そこまでの殺気が充満していた。
安定を取り戻したグリューネバルトの屋敷を、騒がせてしまうのは忍びないな。
そう覚悟を決めていた。だが――
「分かった、それがお前の答えなら――次に会うときは、容赦しない」
「今、殺さないのか……?」
こちらの視線に、怜悧な瞳を返すビルコ・ビバルディ。
「そんなことに、何の意味がある? 数十年単位で生き残り、存在さえ殆ど忘れられているような”裏切り者”を処刑することに使う体力など、私にはない」
ッ、私を殺すことに、他のドラガオンへの牽制効果はないと考えているのか。
それは正解だろう。私の存在がもっとも大きかった”人竜戦争”は既に遠い過去だ。
だから、ビバルディのいうことは正しい。
今の私は既に、殺す価値さえない裏切り者にすぎない。
「だが、今回の一件で分かった。お前の存在は充分に障害になりうる。
だから、次に会えば、殺す。そのことを忘れるなよ、レイモンド・マクスウェル」
――ッ、これが、私よりも十数年若いドラガオンの纏う空気か。
ああ、なんて、重い……ッ!
「フン、たとえ何があろうとも、私の振る舞いは変わらないよ、ビルコ。
今回だって、あと一歩何かが違えば”私”が”お前”を、殺していたぞ」
こちらの回答に口元を吊り上げるビバルディ。
そして、背後に転移魔術式が開く。
「良いだろう。お前との再会、楽しみにしているよ。その時は必ず――」
――殺してやる。
それは、ビバルディの言葉であり、私の言葉でもあった。
私たちは、ドラガオンでありながら、人間を愛する異端とドルンを愛する異端だ。
だが、真逆の極致にいるからこそ、私たちの道は交わらない。
だから、次にぶつかることがあれば、殺す。それが、当然の在り方なのだ。
(ああ、本当に良かった。
この男を前に、クリスさんもゴットハルト坊ちゃまも、失わずに済んで。
あと少し、何かがズレていれば、その未来もあり得たはずだ――)
――私の貢献は最小限にすぎない。だけれど、私は祝福する。彼ら彼女らが引き寄せた結果を。
”竜魔法王ヘイズ・グラント”の策略を前に完全なる勝利を果たしたあの子たちの勝利を。
(――願わくは、あの子たちの未来に”女神の祝福”があらんことを)
金髪ボクっ娘の太陽神話 神田大和 @kandayamato
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