《ローエンシュタインの遺書》の真実
早速僕とレドロネットは本棚を、リリィは引き出しの方に分かれてそれぞれ遺書を探し始める。
本棚に並ぶ背表紙を眺めていると、題名の読めない本が先程よりもかなり少なくなっていることに気がついた。
どうしてだろう?
試しに一冊取り上げて題名を読み上げる。『魔術辞典』と書いてあった。
思わずレドロネットの方を見るが、彼女は肩を竦めるばかりだ。
そうこうしていると、リリィが声を上げて僕らを呼んだ。
「こ、これ! 見てください、引き出しに『ローエンシュタイン』と書いてますわ!」
リリィが指し示した先には、金属製のプレートでローエンシュタインと書かれた引き出しが確かにあった。
思わず顔を見合わせると、彼女は緊張したようにぎこちなく頷いた。引き手に手をかけて一気にひくと、中からは拍子抜けするほどあっさりと、古びた紙の束が出てきた。
──これか。
これが、僕達が探し求めていたものなのか。
三者三様の思いが引き出しに注がれる。リリィは震える手でそれを持ち上げて目を通した。
永遠とも思えるほどに長い時間が過ぎて顔を上げた彼女の表情は、実に奇妙なものだった。
「……これは、確かに私達が求めていたもののはずですわ。でも、違う。これはローエンシュタインの遺書じゃない。いいえ。正確に言えば……ローエンシュタインの遺書なんて最初から存在しなかった」
ローエンシュタインの遺書は、存在しない?
その言葉に首を傾げる僕らに、リリィは無言で紙の束を手渡してきた。視線を落とし、一緒に覗き込んできたレドロネットにも見えるようにして、僕らはそれを読みはじめる。
紙束の一番上は、どうやら資料管理のために図書館でつけられた管理票からはじまった。
・資料分類:(特別管理資料指定)自筆原稿
・資料名:『大錬金術』編纂用草稿
・保管場所:特別管理資料室
・保管日:2580年1月23日
・資料概要:フローリアン王による勅令で編纂予定の国策大事典『大錬金術』に向けて錬金術士ローエンシュタイン氏が手がけた原稿や取材等の草稿、全六百四十五枚
・備考:補完資料(特別管理資料指定・書簡)を同封。
──事典の、草稿?
この記述が本当であれば、僕らが求めていたものとは些か違うようだった。
その言葉に、急ぐように管理票をめくって他の資料を確かめる。
幸いなことに僕でも読むことができたそれは、何十、何百枚もの紙の束に、薬品や金属の製法からその原材料の調達方法といった事柄はもとより、自然現象や物理法則、果ては生物や植物に至るまで、非常に多岐にわたる情報が裏表にわたってびっしりと書き込まれていた。
そして、どこまで捲ってもそれは遺書と呼ぶにはあまりにも似つかわしくない、筆者の迸る情熱と気迫に溢れた内容であることが見て取れた。
これは、遺書などではない。
圧倒的な情報量をまとめ上げた、知識の塊。
まるでこの本自体が一つの図書館のようだった。
草稿だなんて書いてあるけど、冗談じゃない。
これ一冊だけで十分に事典と呼ぶにはふさわしい、そんな内容だった。
「《ローエンシュタインの遺書》……ね。これはまた一杯食わされたよ。それで、このXXX王家が編纂を命じたっていう事典は今も実在するのかな?」
手元の遺書──正確に言えば《ローエンシュタイン手稿》とでも言うべきか──を返しながらそう問いかけると、リリィは首を横に振った。
「それが『大錬金術』なる事典を私は存じ上げませんの。ワークラフト帝国のフローリアン・バルトスの勅令で編纂されるほど大規模なものであれば、しかもローエンシュタインが関わっているとなれば世間で知られていないなんてこと、有り得ないと思うのですが……」
リリィが言葉の先を確かめるようにレドロネットの方を見る。
すると、彼女もまた首を振って答えた。
「私も知らないわ。ということは、おそらく『大錬金術』は編纂しようとする準備まではしたものの、何らかの事情で頓挫して完成せずに終わったのではないかしら? ローエンシュタインまで迎えて作ろうとし内容よ、もし完成すれば錬金術の……いえ、世界の歴史さえも変えていたかもしれないわね。でも、結局その本は日の目を見なかった。だから代わりにこの草稿だけが幻となって、人々の世に広まったのかもしれないわね」
レドロネットがそう言うと、リリィは手元の手稿に目を落とした。
「でも、ここに書かれている内容はどれも本当に素晴らしいものばかりですわ。今では失われてしまった知識や、魔女狩りで滅んでしまった生物なんかの貴重な情報もたくさん載っていますもの。噂通りの『遺書』ではなかったけれど……私にとって、いいえ、世界にとっても、言い伝え通りの貴重なお宝には違いありませんわ」
そう言ってリリィは花のように笑った。
その表情があまりに晴れやかだったので、僕はこれ以上何かを言うことはやめておいた。
元々、彼女が探したいと言い出したのがきっかけでここまで来たんだ。
どのような帰結になろうと、それが例え探していたものがちょっと違おうと。
本人が喜んでいるのならそれで十分だろうと思ったからだ。
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