バンフォーブスの大図書館


《バンフォーブスの大図書館》といえば、ローエンシュタインの遺書と同じくらい人々に馴染み深くて有名な、世界に遺された古い伝説の一つだ。



 かつて、バンフォーブスという非常に栄えた国があった。


 バンフォーブスはその隆盛を誇り自らの文明力を知らしめるため、また各地の叡智を結集してさらなる文明を築き上げるために、王の勅令で大きな図書館を建設した。

 十年の歳月をかけて完成した図書館は世界中のどんな建物より豪華絢爛で、世界中のどんな本も集められていたという。


 それからしばらくしてバンフォーブスという国は王が死に、後継者争いを発端として分裂してしまう。図書館はそれが建つ土地を治めていた新しい国がそのまま受け継いだ。

 その国が滅びた後も、更にその後も、バンフォーブスの図書館は毎度奇跡的に残って、その土地を支配した歴代の国々が受け継いだ。国が変わるごとにそれぞれの文化も取り入れることで、図書館は奇遇にも更なる発展を遂げていった。


 伝承によれば、収蔵されている書物の数は実に七十万冊とも言われ、名実ともに世界最大の図書館としてその名を轟かせた。


 だが魔女狩りが盛んになった時代と前後して、この図書館は歴史の表舞台から忽然と姿を消してしまう。

 それ以降、現在に至るまで遺跡や蔵書等は発見されておらず、その伝説のみが今に伝わる幻の図書館となってしまったのであった。


「左上が大きく破れているから全文は読めていないけど、文脈から判断するに何かとても大事なものを誰かが図書館に寄贈したらしいわね。その所有者移管手続きみたいな書類のようね、これ」


 レドロネットの言葉から瞬時に仮説を組み立てる。

 遺書を所持していたと言われる人物の屋敷から出た紙片、それはかつて存在した大図書館へと何かを寄贈したことを証明する書類だった。


 だが、その人物が寄贈するほどの希少価値のあるものなんてそうそうないはずだ。

 いや、もう一つしかなかった。


 答えが近づく足音がする。もしかしたら、近づけるかもしれない。

 そう思って覗き見たリリィの横顔は、不敵にも笑っていた。彼女は何やら思い至ったらしく、まるで発表会の子供のようにゆっくりと、だが堂々と口を開いた。


「つまり、何か大事なものがバンフォーブスの図書館には置いてあるということですわね? そして、それを寄贈したのは遺書の有力な所持候補者として知られる魔法使い。この二つを結びつけると──」


 そうだ。

 ローエンシュタインの遺書は行方不明になった。

 遺書所持者の有力候補は長らく魔法使いデュプリとされていた。

 デュプリは何か大事なものをバンフォーブスの大図書館へと寄贈した。

 デュプリの家にはそれ意外既に何もない。


 これらから導き出される仮説は、つまり──


「ローエンシュタインの遺書は、バンフォーブスの大図書館にある可能性が高い。そういうわけですわね?」


 レドロネットは言葉に答えを返す代わりに、まるで生徒を褒める先生のように拍手をした。リリィを見つめて微笑む。


 やはりこの森に、屋敷にきて良かったと思う。

 どうやら僕らは正解に一歩近づいたらしい。


 ここまで順調に物事が運ぶと、さすがの僕も本当に見つかるんじゃないかと期待をしてしまう。急かすように二人をけしかける。


「それじゃあ、次は早速その図書館を探すしかないんじゃないかな……って、それができたら苦労はしないか。大図書館が今どこにあるのか、何か少しの情報でもいいんだけど、本当に全然わからないものなの?」


 僕がそう聞くと、リリィが弱ったような顔をした。


「勿論、長年様々な研究がされてきましたし、それは今も続けられておりますわ。でも実は、そもそもバンフォーブスという国の場所すら実は詳しくわかっておりませんの。いくつか仮説はあるのですが、有力な決め手には欠けてどれも推測の域を出ない……」


 そうだったのか、それは初耳だった。そうなると場所におおよその当たりをつけて探したりすることも難しいということだろうか。


「ええ、その通りですわ。先程も申しました通り、遺構や蔵書の具体的な所在が不明なのは勿論のこと、肝心の周辺の歴史文献なんかも、ある時期を境に図書館に関する一切の記述がなくなってしまいますの。それこそ古代の、創設当初なんかの話のほうがよほど残っているくらいですわ。肝心の近代の記録が消失していると、専門の研究者も手も足も出なくて……確かに最近まで残っていたはずの施設なのに、どうしてこんなに情報がないのかしら?」


 そこまで言うほど徹底的に情報がないとなると、これは弱ったな。一つの手がかりをようやく解いて次の手がかりへと思った瞬間、あまりにも高い壁が立ちはだかってしまった。ぬか喜びさせておいてすぐに谷底へ突き落とすなんて、随分と難儀な話じゃないか。


「せっかく魔女さんのお力を借りて──レドロネットさんには本当に感謝しておりますわ。それで、私だけでは絶対に辿りつけなかったところまでようやくこれましたのに、まさかこれまでなんて……」


 僕とリリィの間には、なんとも言えない気まずい雰囲気が流れ始めていた。

 特に、リリィの落ち込みようは見ていて気の毒なくらいだった。


 遺書を見つけると息巻いて僕を巻き込み、レドロネットの家までやってきて、実際に手がかりの謎を解明することまでできたのに、ここで万事休すとなりかねない事実を突きつけられれば無理もない。


 そんな中、僕らの会話を黙って聞いていたレドロネットがおもむろに口を開いた。


「あら。私、知っているわよ」


「……え?」


 思わず彼女の方を振り返る二人。今、何を知っていると言った?


「ええ、大図書館の場所でしょ? 私は一度行ったことあるのよね。でも三百年くらい前の話になってしまうから、その後……」


 衝撃的な事実を次々となんでもないことのように言い出すレドロネットに、リリィが食い気味で尋ねる。


「さ、三百年前の大図書館をご存知ですの? さっきも言った通り、その時代を過ぎるとぷっつりと情報が途絶えてしまいますの。だから辿れる中では事実上一番新しい時代と言っても過言ではありませんわ。ぜひ詳しく教えていただけないかしら?」


「私が大図書館に行った時は、まだ施設も旧バンフォーブス地域──その当時はブロフエルドという地名だったけど──にあったのよ。え? 何の用で行ったのかって? まあ、アレよ。つまんないお使いよ。その時お世話になってた私の師匠みたいな人が、どうしてもあそこの本が必要だって聞かなかったのよ。……話が反れたので戻すわね。行ってみたら本当に大きくて重厚で豪華で、私は宮殿意外であんなに立派な建物を見たことはなかったわ。でもね、その時既に諸々の事情で場所を移転することが決まっていたそうなのよ。私の記憶が正しければ、当時の図書館施設をまるごと廃棄して、カラブニクという街に蔵書だけ移すという話だったわ。でも──」


 レドロネットは途中で話を区切ってそのまま黙ってしまった。

 珍しいことに、話しにくそうにリリィの方をちらちらと見ている。


「──聞いてもあまり落ち込まないでね。図書館が移ったカラブニクという街だけど、その後魔女狩りの時代にいざこざがあって、結局街ごと焼け落ちて住民は散り散りになってそのまま滅亡してしまったみたいなのよ。それももう二百年以上前の話だから、街として残っている可能性は正直かなり低いわ。それに、私もカラブニクへは行ったことがないから、場所まではわからないの……」


 あまりお役に立てなかったわね、と付け加えてレドロネットは目を落とす。

 テーブルの上では、三人分の紅茶がすっかり冷めてしまっていた。


「ここで行き詰まりかなあ。レドロネットが紙片の正体を見破った時は、もしかしたらいけるかもしれないと思ったんだけどなあ」


 僕は頭の後ろで腕を組み、天井を見上げるようにして眺めた。

 どうやら、いつの間にやらすっかり僕まで遺書を探す気になっていたらしい。


 リリィのほうはといえば、先ほどのレドロネットの話を聞いてから、ずっと俯いたまま沈黙を守っている。


「……お茶、冷めてしまったかしら。淹れなおしてくるわね」


 レドロネットがそう言って皆のカップを手に取った。

 あまり大げさにならない程度に、だがさりげなくリリィを気遣っているのがわかった。


 そんな彼女の姿を見ながら思う。

 もしかしたら、彼女の素の性格はこんなだったのだろうかと。


 頼られた時にはなんだかんだと文句を言いながらも真摯に応え、落ち込んだ相手には無理に踏み込まず適切な距離をとり、それでも冷たくあしらうことなく気遣ってくれる。


 僕はレドロネットを物語でしか知らなかった。

 僕が知る彼女は、《終局の魔女》と呼ばれた英雄譚の主人公だ。


 でも彼女もまた僕やリリィと変わらない、物語にはならないその他大勢の人々と変わらない、普通の人間だったのではないだろうか。喜んだり悲しんだり、好きなものや嫌いなものがあって、でもそんな些細なことは物語には残らない。


 もしそうだとしたら、僕が見るべき彼女の側面は果たしてなんなのだろうか。

 僕は彼女と、どう接すればいいのだろうか──。


 いつの間にか結構な時間が経っていたらしく、レドロネットが再びお盆を持って戻ってくるのが見えた。その時、ふいにリリィが顔を上げた。


「お茶、淹れなおしてき……「思い出しましたわ!」


 急に大きな声を出したリリィに驚いたのか、レドロネットの小さな身体がほんの少しだけ宙を浮いた。

 レドロネットとティーカップ、ポット、お盆がそれぞれ綺麗に垂直に飛び上がり、そのまま同じ位置で着地した。


 突然のことにレドロネットが目を丸くして固まる一方、リリィは興奮した面持ちを隠せない様子で声を出す。


「カラブニクという地名に、どことなく聞き覚えがありましたの。どこで聞いたのか全然思い出せなかったのですけど、でもこれを思い出せたらきっとまた遺書に繋がるはずだって、一生懸命にずっと考えていたのですけれど……」


 続けてレドロネットのほうを見る。彼女は何がなんだかわからないといった感じで、お盆を持ったままじっと様子を伺っている。


「最近発見された大規模な都市遺跡群があるのですけど、そこがカラブニクの跡地なのではないかという仮説があります。私も歴史学は専攻ではないので、小耳に挟んだその話を思い出すのに随分と時間がかかってしまいました。でも魔女さんのお盆を見た時にカップが3つ並んでいるのを見て、都市遺跡の位置関係について話していた教授の話を思い出せたのです。ローセルトを頂点に、南方のスルトクと西方のカラブニクで正三角形を形成する。これが古代から続く交易路琥珀街道──」


 そう言うとリリィは立ち上がってふらふらとレドロネットに近寄り、思い切り抱きしめた。


「ああ、本当にありがとうございます! 紙片の解読ができたのも、そこから遺書が大図書館にあると突き止められたのも、それにその場所までわかったのも! 全部魔女さんのお陰ですわ!」


 抱きしめられたレドロネットがしどろもどろになりながら何かを叫んでいる。面白いのでしばらくこのまま放っておくことにした。


「わぷ、ちょっとお嬢、離しなさい。離して、ちょ、ちょっと待って……」


 リリィの頼み事はここへ来て大きく前進し、レドロネットが淹れてくれた紅茶は美味しかった。


 窓から覗く陽気は相変わらずの快晴だ。

 視界の横では、リリィがレドロネットに頬ずりしようとしているところだった。

 今日はいい日だな。


「次はもう、実際にカラブニクへ行ってみるしかないのかな」


 僕がそう呟くと、やっとのことでリリィを引き剥がしたレドロネットが腰を下ろした。リリィも不満そうに隣に座り直す。


「ええ、そうですわね。ある程度出発前に下準備はしておく必要があるとは思いますが、あとは実践あるのみですわ。私達が現地へ行って探すしかないのですわ!」


 そう息巻くリリィを横目に、よれた服を直しながらレドロネットが言う。


「言っておくけど、本当にカラブニクにあると決まったわけじゃないからね。あくまで私が最後に聞いた時には、そこに大図書館を移転するというだけの話なのだから。仮に大図書館に行き当たったとしても、そこに目指すものが必ずあるとは思わないで欲しいわ。もっとも……私も、現地へ行くことまで止めたりはしないけどね。まあ言っても結構広い街だったと聞くし、なかなか見つからないとは思うけど、せいぜいがんばりなさいな」


 手をひらひらとさせながら微笑むレドロネット。

 そんな彼女の姿に、僕とリリィは二人で顔を見合わせて頷いた。


「君も来るんだよ」「魔女さんも一緒に行きましょうよ」


「……へ?」


こうして《ローエンシュタインの遺書》探索隊に、“終局の魔女”が加わることとなった。


「ちょっと、私は行くなんて一言も言ってないわよ!」


……多分。

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