魔女の家、再び


「本当にこんな陰気で何もない森に、その方はいらっしゃいますの?」


 傍らを歩いていたリリィが音を上げるように息をついた。

 足を止めて休み、僕のほうを恨めしそうに睨んでいた。


 森に入ってから約一時間、ここまで歩いてきたものの人の気配を感じるものは何一つなく、見えるものといえばただひたすらに生い茂る木々ばかりだった。


 訝しむのも無理は無い。

 だけど、彼女──レドロネット・ザトラツェニエは確かにそこにいるんだ。



 一ヶ月前に訪れたこの森へ、再び足を運ぶことになるとは正直思いもしなかった。

 でもリリィが持っている紙片にまつわる情報に一番近い人物として、真っ先に思い浮かんだのがレドロネットだった。


 勿論、彼女がこの件について知っている確証なんて全く無い。

 それでも、何か手がかりになることを教えてくれるような気がしてならなかった。


 ちなみにリリィにはこれから会う人物のことを「三百年前の文化に精通していて、触れざる者についての第一人者であり、国とも関わりがあった人物」としか伝えていない。


 おそらく彼女の中では、森で隠匿生活を営む引退した学者かなんかだと思っているはずだった。


「もう結構歩いたし、そろそろ着くはずだよ──ほら、見えてきた」


 僕が指差した先には、目指していた赤い屋根と煙突が木々の間を縫ってその先端を覗かせていた。リリィは静かに驚嘆し、無言のまま急ぎ足で駆け寄った。


「兄様、家ですわ! 陽も満足に届かないような森の奥深くに、こんな立派なお屋敷があるだなんて……この家、本当に人が住んでますの?」


「ここが僕らの目指していた場所だから勿論だよ。さあ、いつまでも驚いていないで早速訪ねてみようか。もしかしたら、釣りに行ってて留守かもしれないけどね」


 そう言って僕が玄関の前に立つと、こちらが訪ねる前に向こうから扉が開いた。


「表で騒いでいるのは一体誰? まったく、おかげで中まで丸聞こえじゃない! ……あら?」


 迷惑そうな声を上げながら、少女がひょっこりと顔を出した。

 特徴的な大きなリボンが頭の動きにあわせてゆらゆらと揺れている。


 彼女はやってきたのが僕と知るやいなや一瞬面食らったような顔をして、それから呆れたように首を振った。


「確かに、私もこの前は『また会う気がするから』なんて言ったわ。それにしても、まだ一ヶ月も経たない内にもう訪ねてくるなんて随分とせっかちなのね……まあ、いいか。久しぶりね、アクスウェル」


「やあ、久しぶり。今日はちょっと聞きたいことがあって君に会いに来たんだよ。ちなみに彼女はリリーベル。今回君に用があって訪ねてきたのは、実は彼女の方だ」


 僕の横に立ったリリィに目線を向ける。急に振られたリリィはそれでも慌てることなく、悠然と構えながらお辞儀をした。


「突然のご訪問を大変失礼いたしました。私はリリーベル・ヘクスタティックと申します。兄様、いえ失礼。アクスウェル様のご紹介で、私が今調査していることに関して熟知された方とお聞きしました。よろしければ、お知恵を拝借させていただけないでしょうか……えっと、失礼ながらお名前は……」


「私はレドロネット・ザトラツェニエよ。まあ、名前なんて好きに呼んでくれて構わないけどね。それにしても私が知っている程度のことで役に立つことなんてあるかしら?」


「そんなことありませんわ、レドロネットさん…………んん?」


 彼女の言葉を聞いた瞬間、リリィの目が点になった。僕を見て、それからレドロネットのほうを向いて、もう一度僕を見て首を傾げる。やっぱり、最初は誰だってそういう反応になるよな。僕はリリィに向かって頷いた。


「今聞いた通りだよ。彼女の名前はレドロネット・ザトラツェニエ──ここに住んでいるのは、かの有名な《終局の魔女》だ」


 僕がそう紹介した途端、リリィの驚愕するような声が森に響き渡った──。



「そ、その、だって兄様? この子、どう見てもまだ……子供ですわ!」


「む、どう見ても子供で悪かったわね。これでもあなたの十倍は長く生きてるのよ、お嬢さん」


 リリィの言葉にあらからさまに不服そうに、頬を膨らませながら反論するレドロネット。


 しれっと語尾に挟んだ痛烈な皮肉が火打ち石となって、会話の端に火花を散らす。


「ま、まぁまぁ……。リリィ、伝承でも“終局の魔女”は幼い女の子の姿をしていたって言われてるじゃないか。だから今出会った魔女が子供のような姿をしていても不思議じゃないだろ?」


 むうっとむくれたレドロネットは僕らのことをじいっと睨んでいる。


「……それからレドロネット。君は……えーっと、なんだろう。その、いつまでも若く見られて素敵じゃないかな……?」


「そちらのお嬢さんくらいの歳ならまだしも、子供の姿で何百年も過ごしていいことなんてないに決まってるじゃない。損したことは数あれど、得したことなんて一度もないわ。昔っから色んな人に舐められるし、逆に気持ち悪いくらい妙に優しくされたりもするし、進軍の時なんていつも一人だけ悪目立ちしてたし、そこにいる誰よりも歳上のはずなのにいつまで経っても子供扱いされるし……」


 僕の言葉も火に油を注ぐだけに終わり、レドロネットは一人でどんどんと温まっていった。


 積もり積もった数百年分の鬱憤が溜まっていたのかもしれない。


「言っておくけど! 私はヘンリック一世がまだ鼻垂れたクソガキだった頃から知っているのよ! あいつ、戴冠された時には若ハゲがかなり進んでて頭頂部がもう薄くなってたのがコンプレックスでね、彫像も肖像画も全部フサフサで長身痩型のスマートそうな見た目にしろって命令してたのよ! ダサイったらありゃしないわね! その上本当はハゲデブチビの三重苦で、そりゃもう死ぬほどダッサイ格好してた上に、いつも王妃の尻に敷かれてはケンカする度に負けては引っ叩かれてたのよ! それが何を偉そうに“勇敢王“なんて讃えられちゃってんのよ! 歴史なんてね、語る人のさじ加減一つで英雄譚にもなれば滑稽話にもなるのよ。本当にアテにならないのよっ! どう!? 知らないでしょう!」


 一応補足しておくと、ヘンリック一世は帝政ヴェルウェストの初代皇帝だ。

 別名勇敢王とも呼ばれ、非常に高潔な人物として知られている。


 だから彼女の意外な裏話には個人的に非常に興味をそそられるところだったけど、でも今日はそんな歴史スキャンダルを聞くためにここに来たわけではなかった。


 僕は横に立つリリィに目配せをする。

 早く本題、入らせてくれないか。


 リリィは困ったように辺りを見回してから、諦めたように肩を落とした。

 それからまだ延々と何やら──おそらく僕らの預かり知らぬくらい遠い過去の愚痴を──言い続けているレドロネットのほうへと向き直った。


「あ、あの! 魔女さん……その、ごめんなさい!」


 そのまま胴体を直角に折り曲げて頭を下げる。


「私は魔女さんに失礼なことを言ってしまいましたわ。悪気はなかったのですが、不快な気分にさせてしまいました。折り入って謝罪します。そしてどうか、許していただけないでしょうか?」


 リリィの真摯な謝罪に毒気を抜かれたのか、レドロネットもばつが悪そうに声を鎮めた。


「え、あ、うん……。あなた、意外と素直なのね。まあ私もよくよく考えたら全然関係ないことを思い出して怒ってた気もするしね、お互い様ってことで忘れましょう」


……効果覿面だった。


 お嬢様然とした見た目のリリィは、いかにも高飛車で傲慢そうで、よく謝罪とか生まれてこの方したことありませんといった誤解を受ける。


 だがその実、根はとても素直な女の子なのだ。

 それは僕がよく知っていた。


「別に頭なんて下げなくてもいいから、早くこっちへ来て家に入りなさいな。聞きたいことがあるのでしょう? それにしてもあなたたち、なんだか似た者同士って感じね。初対面でやたら失礼なことをした割に、そのくせ話してみたら案外と素直なところとか。もしかして兄妹だったりする?」


 その言葉に、リリィが間髪入れず訂正に入った。


「いいえ、私と兄様に血の繋がりはありませんわ。幼い頃から毎日一緒に過ごして、兄妹同然には育ってきましたが……。私のほうが一歳下だったので、いつの間にか自然と『兄様』と呼ぶ癖がついてしまっただけです」


「まあ、実は僕ら互いに許嫁だったりするんだけどね」


 そう言った僕に対して、リリィはまるで親の敵でも見るかのように睨んでくる。本当のことを言っただけなのに……。


「あら、そうなの? 許嫁? へえ……あなた、好きなの? アクスウェルのこと」


「お・さ・な・な・じ・みです! 私が兄様のこと、その……好き、だなんて。そんなことありませんわ! ……あれ? ところで、どうして魔女さんは兄様のことを名前で呼んでらっしゃるのかしら?」


「え? 今そこ大事?」


「……夫婦漫才をやるつもりで来たのなら、何もここでなくてもよかったのではないかしら?」


「ふ、夫婦ではありません!」


 からかうように問いかけたレドロネットに対して、リリィはあからさまに顔を赤くして反論した。


 口ではレドロネットに勝てないと思ったのか、リリィはやり込められた分をそっくりそのまま僕にぶつけてくる。


 とにかく家に入ろう、そうしよう。ここでは分が悪い。


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