幻の至宝《ローエンシュタインの遺書》


 いつまでも本部前に溜まっているわけにもいかなかったので、僕はひとまずリリーベルを連れて、中心街にあるコーヒーハウスにやってきた。


 店の雰囲気は明るく、性別、年齢を問わず様々な客層でごった返している。

 店内では果てしない議論や噂話、自慢話に説教話といったように皆が思い思いの会話を弾ませており、休日の昼下がりを有意義に無駄遣いすることに勤しんでいた。


 テーブルに置かれた二つのティーカップから立ち上る湯気を眺めながら、僕は対面に座るリリィに問いかけた。


「それにしても、珍しく手紙をくれたと思ったら僕の元へ届いた翌日にはいきなり訪ねてくるなんて、一体どういう風の吹き回しだい?」


「あら、やはりあの手紙は昨日に届きましたのね。私の計算通りに事が進んでくれたようで、安心いたしましたわ」


 そう言って優雅にティーカップを手に取るリリィ。

 全く答えになっていなかった。


 というか、わかっててやったのか。

 そういうのはなおさら質が悪いと言うのだぞ。


「でも久々に兄様とお会いしますというのに、何の驚きもないのでは些かつまらなくはございません?」


 イタズラの成功した子供のように笑うリリーベル。だが彼女はそのまま手に持ったカップに目を落とし、黙りこくってしまった。


 心なしか寂しそうな顔をしているようにも思える。


「……まあ冗談はひとまず置いといて。それで、本当に今日は一体どうしたの? まさか僕の顔を見に来ただなんて言わないよね……? リリィ」


 僕はそう言ってリリーベル──今しがたリリィと呼んだ女の子──の顔をじっと覗いた。すると、彼女は微かに顔を上げて表情を緩めた。


「そう呼んでいただくのも、なんだか随分と久しぶりですわね……。やっぱり、忘れていたわけではないみたい。ねぇ兄様、本当にお久しぶりです」


 ちなみに“リリィ”というのは、僕が小さい頃からの彼女の呼び名だ。

 そういえばずっと、それこそ初めて会った時から彼女の呼び名は一貫してリリィで通しており、考えてみればちゃんと名前を呼んだことのほうが遥かに少なかった。


……まさか、さっきの寂しそうな表情はそういうことなのだろうか。


 しばらくぶりに出会った幼なじみにいつも使っていたあだ名で呼ばれず、代わりに殆ど聞いたことのない名前で急に呼ばれたら一体どう思うだろうか。


 きっと彼女からしたら、数年会っていない間に距離が生じてしまったように感じたかもしれない。

 なんだか急に申し訳ないことをした気がしてきた。


 そんなことを考えていると、気を取り直したのか彼女は一転して表情を引き締めた。


「今日お尋ねしたのは他でもありません。兄様に、手伝っていただきたいことがありますの」


 懐から何かを取り出して僕の方へと差し出す。受け取ってみると、手のひらより一回り大きいくらいのサイズで、玉ひもで口を留めた茶色い封筒だった。


「これは私が帝国大学の研究室から発見した、とある貴重な資料です。中をご覧になってみてください、これが一体何なのか、兄様にはおわかりでしょうか?」


 促されるままに中を開いて確かめと、そこには一枚の紙片が入っていた。


 随分と古びた印象で、全体的に乳白色だったであろう紙は茶色く変色している。左上部分が千切れたように大きく欠けていて、歪な台形のような形になっていた。

 僕には読めない文字が全体にわたってびっしりと書かれており、右下には何かの紋章のようなものが押されている。


 はっきり言って、全然わからなかった。


「随分と古そうな紙に見えるけど……いや、ごめん。僕には検討もつかないな」


 そう言った僕の目をまっすぐ見ながら、リリィはゆっくりとその名を口にした。


「ローエンシュタインの遺書」


 彼女の言葉に、思わず顔を上げた。

 横一文字に口を結んでじっと見つめてくる彼女の顔は、まさに真剣そのものといった表情だ。



《ローエンシュタインの遺書》といえば、この世界では古くから言い伝えられている、一種の伝説のような存在だ。


 それは、中世に実在した人類史上最高の錬金術士ローエンシュタイン氏が死の間際に遺したとされる、"秘匿されるべき事実"も含めて氏の持てる知識全てを記したと言われる幻の遺書。


 その存在はローエンシュタイン氏の没後すぐから噂となって現れ、以降錬金術士はもとより、学者やハンター、貴族、王族、大富豪から市井の好事家まで、長年世界中の様々な人によって探し求められてきた。


 何度か過去に発見されたという噂は流れたものの、そのどれもが偽物や勘違いといった誤報に終わり、結局本物が発見されたという話は今まで一度もなかった。


 そんな人類の至宝と言っても過言ではないようなものが、今この手の中にあるというのか。そう思いながらししげしげと受け取った紙片を眺めていると、リリィが口を挟んだ。


「まあ、実を言うとこれは遺書そのものではないのですが……」


「なんだ本物じゃないのか。道理でそう簡単に幻の遺産が手に入るわけないと思ったよ」


「でも、それに繋がる有力な手がかりには違いありませんわ……おそらく、世界中の誰よりも本物に近づける」


 彼女の話によれば、それは偶然の重なりによって手に入れたものだという。


 最近、古くから帝国大学に籍を置いていた老学者が亡くなった。

 彼の研究室は閉鎖されることとなり、リリィがその整理を任された。


 歴史を専門に扱っていたその学者の研究室には、本や書簡といった大量の史料が文字通り山積みとなっていたらしい。


 部屋に積み重なった史料の堆積層に苦労しながら一段ずつ掘り返して整理していると、紙の山の奥深くに埋もれていた小さな金庫が発掘された。

 中を開けてみると、そこには古びたファイルが大事そうに保管されていた。その表紙はすでにかすれて消えかけていたものの、かろうじて《ローエンシュタイン》という文字だけが読み取れたという。


 そのファイルがどうにも気になったリリィは、大学に黙ってこっそりと持ち出して詳しく調べることにした。


 ファイルの中に入っているのは、たった一枚の謎の紙片だけだった。

 紙片にはなにか書かれていたものの、この国で使用されているものとは別の言語で書かれていたため、彼女が解読することはできなかった。


 そこで彼女は紙片の正体を探るべく、他に手がかりはないものかと研究室を隅々まで捜索することにした。

 すると、ローエンシュタインの遺書の所在に関する研究内容をまとめた資料を発見することに成功した──。


「彼の遺した研究ノートは、遺書の成り立ちから噂の広まる過程、歴代の所持者、それに推測される遺書の内容まで、よくぞここまでと賞賛すべきほどの情報が書かれていましたわ。どうやら、亡くなった教授は何十年もの間誰にも知られることなく一人で、ずっとローエンシュタインの遺書について調べ続けていたみたいですの。そうして彼の研究内容を受け継いだ私は、今日お持ちしたその紙片こそが、現代まで残された遺書の在処を示す、唯一の手がかりであることを知ったのですわ」


 僕は話を終えたリリィを見やり、それから手渡された紙片──彼女が言うにはローエンシュタインの遺書に繋がる貴重な手がかりらしい──に目を落とした。


「なるほど。これが世界を揺るがしかねない、大層なモノに繋がる可能性があるってことは今の話でわかったよ。嘘だろうが本当だろうがそれは別にいいんだ。問題は、君が僕に手伝って欲しいというのは実際何だろうってことさ」


 わざわざ手紙をよこしてまで僕を訪ねてくるほどだ。

 どうせ厄介事かよほど面倒なことに違いない、そう思いながら問いかけると、彼女は不敵な笑みを浮かべながらこう言った。


「──私と一緒に、この遺書を探してくださらない?」


「……え?」

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