再び対峙


 ひとまず来た道を戻る形で歩きながら彼女と相談し、今持ちうる情報を共有する。


 怪物は全部で五体いる、彼女はそう言った。


 どの怪物も全て姿形が少しずつ異なるが、基本的には全て二足歩行し、自分にとって脅威であると判断したもの排除する。だから、倒そうとすればするほど向こうもこちらへの警戒心を強めてくる。


 それに、奴らには昼と夜の区別がない。そのため、日が落ちた段階で暗闇でも自由に動ける奴らに対して、灯りを持たないこちらは為す術がなくなるという。


「逃げるが勝ちよ、どう考えても」


 レドロネットはそう言った。


 僕らが出会った二体の怪物、遭遇したのはほんの一瞬だったが、それだけでも十分脅威的な存在だと感じた。あんなのが他にもまだ三体もいるとは。それだけで気持ちは尻込みし、果たして本当にできるのだろうかと不安になる。


 レドロネットがいうことは全て正しいと感じる。

 だが、口に出した手前、もう後には引けなかった。


「──それから、言っておくけど私は戦えないから。戦力としては期待しないでね」


 そんなことも言っていたが、敵の情報を貰えただけで彼女の働きは十分すぎるくらいだった。



 日が傾きかけてきた。

 完全に夜になる前にこの森を抜けないと、勝ち目はないに等しい。


 はやる気持ちを抑えながら歩いていると、僕の真横に付き従っていたレドロネットが急に足を止めた。こちらも立ち止まって神経を研ぎ澄ませる。


 四方に意識を向けると、遠くの森から何かがやって来る気配がした。



──奴らが、来た。



 まず、前方から最初に出会った奴が顔を覗かせた。


 改めて怪物と対峙する。努めて冷静に自分を保ち、慎重にライフルを構え、相手の頭を狙って引き金を引く。まずは一体。首尾よく命中し、相手の動きが止まった。だが、怪物はそいつだけじゃない。次に右前方にもう一体。さらに、右横からも近づいてきているようだった。


 素早く次弾を装填し、構えて、撃つ。続けざまにもう一体へも同じ動作を繰り返す。短時間で複数の敵を同時に相手にできるのは、新型ボルトアクションライフルの真骨頂だった。


 だが、三体目を倒すと同時に、最初に倒した一体が起き上がってきた。慌ててそいつへもう一度銃撃を加える。一体目が二発目の銃弾に倒れるのと同時に、今度は二体目が起き上がる。


 撃っても撃っても起き上がってくる相手はいつまで経っても倒れることはなく、キリがなかった。そのうちこちらの弾倉が弾切れとなった。


 仕方なく、体制を立て直すため場所を移動する。合図とともにレドロネットと走り出し、素早く弾倉を入れ替える。走っていると、狭い獣道のような場所に行き当たった。両側には所狭しと木々が並び、壁のようになっている。


「道に沿っていけば、敵を分断できるんじゃない?」


 広い場所で複数の方向から来る敵に対処するよりは、狭い道に入って敵を一体ずつに分断し、個別に相手をしていったほうが数で劣るこちらには有利だ。いい案だった。


 細い獣道を道なりに走ってゆく。途中、追いついてきた怪物を撃っては走り、撃ってはまた走った。的確に急所を狙っているはずなのに、怪物は一向に倒れる様子がなかった。消耗戦になりかけているのを感じ、僕の焦りは大きくなる。


 その時、横合いから急に殴りつけられるような衝撃が走った。視界が急に揺れ、横に倒れた。素早く見回すと、新顔の怪物が僕の前に立ちはだかっていた。どうも、獣道の横っ面から森をかき分けてやってきた怪物に体当りされたようだった。


 猛然と襲い掛かってくる怪物に、銃を構え直して撃っている暇はない。一瞬の判断で体を捻って起こすと、そのままの勢いでライフルを突き出す。銃口に着剣したナイフが銃剣となって怪物を出迎える。怪物は突進してきた勢いのまま、銃剣が腹の奥深くまで刺さって悲鳴を上げた。そのまま銃剣をひねり、横一文字に引く。


 まるで壊れたバイオリンをめちゃくちゃに弾いたような奇怪な鳴き声を上げて、怪物は崩れ落ちた。倒れた所に、念入りにもう一発銃弾を撃ち込む。まずは、一体仕留めた。


「軍人らしいとこ、初めて見たわ」


 そう言って僕をまじまじと見るレドロネット。


「えっと、今のはジョークだよね?」


 僕の質問に、彼女は肩を竦めるだけだった。


「さあ行きましょ」と彼女が前を向いた次の瞬間。彼女の横側で、木の葉が微かに動くのが見えた。


 咄嗟の判断で前に出て、彼女を庇う体勢に出た。少女の身体を抱きかかえながら飛び込んだ瞬間、左腕に鋭い衝撃が走った。


「あああぁぁっ!?」


 倒れこんだ瞬間、左腕に広がる痛みが急速に強くなっていく。


 振り返ると、さっきまで彼女がいたところを大ぶりの腕が掠めていた。

 新手の怪物だった。


 これで、ようやく五体揃い踏み。なんと間が悪ことだろう。


「ちょっと、どうしたのよっ」


 腕の中でもがくレドロネットが喚き立てるが、今は彼女に構っている場合じゃない。銃身の長いライフルはこの体勢では使えない。


 咄嗟にリボルバーを腰から抜き取り、さっきのお返しだとばかりに全弾撃ち込む。


 また聞き慣れない、今度は鉄製の鐘を百個並べて一斉に打ち鳴らしたような音が響いた。倒せたのだろうか?


「軍人さん、ねえ本当に……」


 腕の中でもがいていたレドロネットがようやく振り返った瞬間、彼女は顔面が真っ青になった。一体どうなってるんだ、僕の腕。


 小さな体を活かして腕から素早くすり抜け、傍らに跪いて僕を覗き込むレドロネット。首を回して気づいたけど、どうやら僕は左腕から結構な量の血を流しているようだった。腕の感覚がいまいちない。おまけに持ってきた弾ももう残り少なかった。


 だが、僕が倒れている間にも怪物は待ってくれない。


 後方から、横合いからと、どんどんと近づいてくるのがわかった。負傷した身体と弾切れ寸前の武器。それに今にも襲いかからんと迫り来る強靭な怪物たち。


 どうしようもないほどの戦力差がそこにはあった。

 だからだろうか、口をついて出たのはこんな言葉だった。


「えっと、やばそうだから、君は逃げたほうが、いいと思う」


 僕がひきつけて、その隙に彼女を逃がそう。左手がどうなっているのかわからないので、そちらをかばって右手で起き上がる。それからライフルを構えながら──最後の弾倉を叩き込み、銃剣として使えるように腰だめで構え直して──僕は精一杯にそう口にした。


「軍人さん、あなた本物のバカだったのね……」


 迫り来る怪物を見据える。

 一瞬、目が霞んだ。大丈夫。


 足が震えてうまく立てない。まだ大丈夫。


 後ろに控えたレドロネットはどんな顔をしているのだろう。

 自分では、そんなにバカじゃないとは思っていたんだけどな。


「ねえ、そんな今にも倒れそうな様子で『俺がここは守るから』みたいなこと言われても、説得力ないわよ」


 うるさいな、だからって今一緒に走っても追いつかれるだけだぞ。だから──


「だから、あなたが下がってなさい」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 いつの間にか、彼女は僕の前にいた。


「そういえば、まだ私のことあんまり信じてなかったみたいね」


 振り返って僕の方を見ながら彼女は少し微笑んで、



──だから、今から、信じさせてあげる。



 そう言って、怪物と対峙した。


 誰が?


《終局の魔女》レドロネット・ザトラツェニエが。






 それから先の光景は、目を疑うばかりだった。


 彼女が前に出た瞬間、今にも襲いかからんとしていた怪物たちが一斉に全ての動きを止めた。

 額縁をつければそのまま絵画にでもなりそうな光景だった。まるで時間が停まったかのようで、グロテスクな彫刻を森に放置したようでもあった。


 さらに驚くことに、空間に貼り付けにされた怪物たちは、さっきまで僕らを苦しめていた反則的なまでの耐久力がまるで嘘のように、その場で自壊を始めた。


 毅然とした姿で仁王立ちする少女の周りでは、少しずつ崩れゆく自らの身体に耐え切れず、怪物たちが次々と頭を垂れていく。

 その光景はさながら、女王に跪いて忠誠を誓う異形の家臣のようだった。


 圧倒的な力で殲滅されてゆく怪物たち。

 これが、これこそが魔女の力なのか。


“触れざる者達”を殲滅して歴史にその名を残した、終局の魔女。


 僕は今、レドロネット・ザトラツェニエを目の当たりにしている。

 伝説の魔女は、確かに目の前に実在した。



 レドロネットが振り返って、僕の持っていたライフルを手に取った。


 それから怪物に向き直り、既に半分以上の身体が崩れ、もはや自立もままならなくなったそれらにゆっくりと近づいていく。怪物たち一体一体に、僕には聞き取れない言葉で何かを一言ずつ話しかけ、それから慈しむように引き金を引いた。


 彼女の放った銃弾で怪物は地に伏し、そのまま二度と起き上がることはなかった。


 一瞬の静寂の後。

 今までの騒乱が嘘のように静まり返った森には、僕達二人だけがただ立っていた。



──そういえば。



 気持ちが緩んだのか、どうしてか今まで思い至らなかったことが、急に大きな疑問となって頭に浮かんできた。



──あの怪物の正体は、一体なんだったのだろう?



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