決意と理由


 走った。走って、走って、走り続けた先に、僕らは小さな洞があるのを見つけた。


「あそこに逃げ込みましょう」


 少女の言葉に頷き、二人で洞に飛び込む。そこは、大きな岩同士が重なり合った隙間に偶然出来た、天然のアーチといった様相だった。


 僕は奥まで進み、どさりと座り込んだ。無我夢中で走り続けた反動で、しばらくは動けそうになかった。そんな僕に、傍らの少女が声をかけてくる。


「ねえ、ちょっと」


 僕は上がった息を整えながら少女の方を向く。一緒に走り続けたせいか、彼女の頬も上気したように赤くなっていた。 


「ねえ、軍人さん、聞いてる?」


 ああ、聞いてるよ。よくここまで走り抜けたもんだよ、大したもんだ。それにしても、あいつはなんなんだ。あんな怪物がこの森にいるだなんて……。


「いえ、そういうことではなくて……。その、あなた、いつまで私の手を握っているつもり?」


 反射的に手を離した。全然思い至らなかった。というか、忘れてた。


「……あぁ、ごめん」


「まあ、ここまで無事二人で逃げられたことだし、いいわ。許してあげる」


 少女は頬を赤らめながら、さっきまで僕がしっかりと握っていた手をさすっている。彼女の赤い顔、もしかして走ったからじゃなかったのか。もしかして。


 そんな彼女の姿を見て、僕は改めて向き直る。


「……ごめんなさい。本当に申し訳なかった」


「え、そこまで畏まって謝られるほどじゃないけど……」


「いや、僕は今までの非礼を詫びたい」


「え?」


「君を、疑ったことだ」


 先ほどの広場の惨状、そして直後に遭遇した二体の怪物。あの信じられない光景を直に目の当たりにして、僕はやっとこの現実を受け入れることができた気がした。


 そして、彼女も僕とともにあの怪物に襲われた被害者だ。彼女がこの事件の黒幕とは、もはや考えづらかった。


「あ、あぁ、そっちね?うん、なんだそっちか。まあいいわ。これで私の言葉、信じる気になったかしら?」


 彼女はまだ少し赤い頬を緩め、冗談っぽくそう口にした。


「あぁ。あの伝説の魔女が今目の前にいるだなんて、まだ信じられないところだけどね」


 僕の答えに満足そうに微笑んだ少女──レドロネット・ザトラツェニエと名乗る少女──は、だがすぐに硬い表情に戻った。


「それにしても、あいつらどうしてここまで入って来れたのかしら。もうここまで来てしまったのであなたにも言うけど、あいつらがこの辺を徘徊してるのは前々から私も知ってたのよ。でも関り合いになりたくないから、私の家の近くには入ってこれないよう、ちょっとした細工をしていたの」


「細工?」


 なんのことだろう。おそらく彼女は今核心に近いことを話しているはずだ。焦らずに続きを促す。


「そう、あいつらが忌避する形を木で組んだ簡易的な魔除けね。それを等間隔に配置して、家に近づかないように誘導したり壁を作ったりしていたの。追い払える確証はなかったけど、今まではなんとなく防げていたのよ。まあ、結局は破られてしまったのだけど……」


(自称)伝説の魔女の言葉に、僕はこの森に来た時のことを思い浮かべる。木の細工で、等間隔。今日になって奴らに破られてしまったもの……。


 思い当たる節は、確かにあった。あの木組みの不気味なオブジェ。

 僕は、今の今まであれは事件の犯人か、怪物に関連する何かだと思い込んでいた。


 でも、ひょっとすると、すごい思い違いしていたのかもしれない。

 あれは怪物が作ったものではなく、のだとしたら。


「ごめん、その細工、僕が壊したかも……」


 自称魔女は驚愕の表情を浮かべる。


「君の家に来る前に、道を塞いでた不気味な木組みの案山子があったから、倒して通ってきちゃった……」


 僕の言葉に、開いた口が塞がらないとでも言いたげな表情で彼女はしばらくこちらを見た。


 たっぷり時間をとったあと、おもむろに腕を上げて──


「いてっ」


 再び無言で殴られた。


 僕はかなり怒られるか、もしくは相当呆れられるかと思ったのだが、意外にも彼女からは一言、「このバカ軍人っ」と言われるだけで済んだ。


 よし、と立ち上がり、服をはたきながら少女は言う。


「まあ、過ぎたことを言っても仕方じゃないの。今後の対策は後で考えるとして、とりあえずまずは私の家に戻りましょうか。そこまで行ったら、あなたも帰り道が……」


 その言葉を途中で遮り、僕は彼女に向かって言った。


「レドロネット。君をあの伝説の魔女と見込んで、折り入って頼みがある。協力してくれないか」


 強い決意を込め、彼女を見てゆっくりとそれを言う。


「僕はあの怪物を、倒したい。これ以上の子供達に被害が出る前に、この惨劇を止めたいんだ」


 僕の言葉をどう受け止めたのか、振り返った彼女の顔は歪んでいた。すぐに首を横に振る。


「駄目よ。このまま逃げましょう。私は家に、貴方は街に。それぞれの居場所に帰って、運のない一日だったでいいじゃないの。あとは忘れて、それで終わりにしましょう。大体、あなたがそこまでする必要がどこにあるの?」


 当然、なかった。僕に与えられた役割は事件を調査することだけだ。犯人を見つけることも、子供達を連れ戻すことも、全てを解決することも、それは僕に望まれたことではなかった。


「だったらいいじゃない。ねえ軍人さん、あなたはあなたの職務を全うすればそれで誰も文句言わないわ。私も人の世で何が起きているかなんて知らないし、興味もない。関わるつもりもないしね。だって、私は忘れ去られた森の魔女よ。魔女は人の世に関わらないし、関われない。人も魔女に関わることを望まない。それに、私が出て行ったところで、一体、今更何になるというのよ……」


 僕の申し出に対し、彼女は明確な拒絶を示していた。

 そこからは世間とのどうしようもない乖離と、深い厭世観を感じた。


 彼女は最初に会った時からずっと、のらりくらりと僕と、世間と、深く関わることを避けていた。


 何故そうしているのかはわからない。

 でも、ここで諦めてはいけないということだけはわかる。


 僕は彼女の腕を掴んで振り向かせ、僕の顔を見据える彼女の視線を正面から捉えて言った。


「……僕だって、本当はここまでやる必要があるなんて思ってはいないよ。やる必要があるとも感じないさ。正直『子供攫い?勝手にしろ』なんて、最初はそう思っていた。でも、僕はここに来る前に一人の女の子に会ったんだ。彼女は、自分の友達が攫われてしまったと泣いていた。大切な人が消えてしまったと悲しんでいた。僕は、あの子の泣き顔が頭から離れないんだ。世間のことなんて全部どうでもいいと思っていたけど、でも自分の目の前に突き付けられた現実に目を背けることは出来なかった。ここで僕が引き上げて帰る。僕の情報を元に、しばらくしたら軍がやって来るだろう。森の奥まで進んで怪物を見つけ、退治する。それで解決するかもしれない。でもその間にも被害は止まらない。また誰かが犠牲になって、また悲しむ誰かが増えるんだ。それはもう、僕にとって他人事じゃない」


──だから、僕の手が届く範囲の悲劇はもう無くしたいんだ。


 誰かの悲しむ顔は、もう見たくない。

 これ以上の犠牲者を出す前に、自分の手で食い止めたい。


 それが自分にできることなら、自分の役割だと思うから──



 僕は本心からそう言い切った。誰かに本音で自分の感情を話すことなんて、覚えている限り自分の人生であっただろうか。なかった気がする。そんな僕の言葉を受けて、小さな魔女は僕の目を見据えながらこう言った。


「軍人さんのくせに、なんだか甘いのね」


「僕も自分がこんな人間だとは思っていなかったけどね」


 彼女は諦めたように首を振って歩き出した。洞を出たところで振り返り、僕に言った。


「──まあ、お互い家に帰りやすくするためにも、協力は必要よね」


 彼女の申し出に思わず胸が熱くなった。

 僕はこの事件を止めるんだ。


 “終局の魔女”と。

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