家宅侵入者と殺人容疑者
「……うそ、だろ?」
たっぷり時間をとってからようやく僕が吐き出せたのは、そんなつまらない一言だった。
レドロネットと名乗るその少女は、僕の事もお構いなしにズカズカと家の中に上がり込んできた。
「いや、ちょっと待て。まだ動いていいとは……」
「自分の家に上がるのに、どうしてあなたの許可がいるのよ?」
目の前までやってきた少女は、僕の顔を見上げながら毅然と言い放つ。
「そこをどいて頂戴、銃が邪魔よ」
有無を言わさぬ彼女の態度に呑まれ、どうしてか僕は思わず銃を下げてしまった。横をすり抜けてすたすたと階段を上がっていく彼女の後ろ姿を、慌てて追いかける。
「なあ。待てよ。ちょっと、待ってくれって。僕は首都で今起きてる事件の調査でここにきたんだ。触れざる者の仕業だとか、この森には人を襲う魔女がいるだとかいう突拍子もない話を聞いて、でもそれを裏付ける証拠もあって、僕はこの森が怪しいと思った。だからこんな所まで来た。それで、怪しい家を見つけた。そしたら事件とは関係ないです、でも歴史に名を刻む伝説の魔女が偶然住んでましただなんて、そんなことすぐに信じられると思うかい? ねえ、レドロネット・ザトラツェニエといえば、誰でも知ってるくらいの有名人だよ──」
「そう、お勤めご苦労様。あとお褒めの言葉をいただきありがとう。でも私は人なんか襲わないわ。そしてこんな所で悪かったわね。おまけにあなた、喋り方がさっきから随分変わってるわよ」
指摘されるまで気づかなかったが、意識して振る舞っていた僕の軍人調はいつの間にか抜け落ちていた。完全に押し負けてる。
話しながら階段を上ると、三階まで上がっていた。僕が唯一まだ入っていなかった最後の部屋の扉へ手をかけてから、思い出したように少女は振り返る。
「ここ、もう私の部屋なのだけれど。まさかあなた……入る気?」
目の前にいる少女が果たして何者かも掴めていない、そんな状況で得体の知れない相手の領域へ入ることの危険性は十分承知していた。
しかし今は、改めて言われるとそんなことよりも本当に女の子の部屋に押し入ろうとしているように思えてきて、なんだか別の方向で気が咎めた。
「……事件調査のためだよ」
疑うような目を向ける少女の三白眼を一身に受けながら、僕はかろうじてそう言った。
「……まあ、いいわ。歓迎はしてないから、お茶は出さないけどね」
最後に残った部屋は、拍子抜けするほど普通の寝室だった。部屋を見回してみたが、ベッドと棚、それから書き物机と椅子があるだけ。他の部屋と同じく簡素で味気ない印象はあるものの、特におかしな所は見当たらない。
少女は椅子に座り、頬杖をついて不機嫌そうに僕を見つめていた。机に置かれた肘の横に積まれた本が目に入る。この地方の民話集と近代の歴史書。妙な組み合わせだった。鷹揚な姿勢を崩さぬまま口を開いた彼女が僕に問いかける。
「それで、軍人さん? 本日ははるばる首都よりこんな所までお越しいただきまして、私に一体何のご用でございましょうか?」
不機嫌さを隠そうともしない彼女のバカ丁寧な(皮肉も忘れない)口調に促され、僕はこれまでの経緯を語り始めた。
今首都で起きている子供攫い事件の概要とそれにまつわる噂話。村人の証言。地図に書き込んだ位置関係。それらから導き出した推測。
僕が話している間、彼女はあくびをしながらそれを聞いていた。一通り話し終えたところで、彼女から質問を投げかけられる。
「そう。それであなたの言うところの噂の『魔女の家』に入ってみて、探しものは見つかったのかしら?狙ってる子供達の名前を書いた手帳でも見つかった?台所に子供の食べ残しがあった?地下牢から助けを呼ぶ声が聞こえてきた?まあ、この家には地下牢なんてないのだけれど」
悔しいことに、彼女の言う通りここは確かに普通の家だった。怪しいところなど、何一つ発見できていない僕は、何も言えずに黙るしかなかった。その様子に、彼女は肩を竦めて続ける。
「その様子だと、何もないのはわかったみたいね。失踪した子たちには同情するけど、それが答えよ。私じゃないし、ここを探しても仕方ないわ。それじゃあ、満足したらそろそろ帰ってもらえる?私にはこれからやることがあるの」
彼女はそう言うと、椅子から立ち上がって部屋を出る準備を始めた。
「でも、そう簡単に犯人が事件と結びつく証拠をアジトに残しているとは限らないだろ」
「それ、仮にも容疑者の私に普通言うかしら?」
「大体、なぜ君はこんなところにいるんだ。そもそもからして言わせてもらえば、こんな森の奥にある地元の人も近寄らないような場所にぽつんと家が建っていて、しかもそこには小さな女の子がたった一人で暮らしてるときた。これで『普通の人間ですただここに住んでるだけなんです』と言われたところで、はいそうですかと素直に納得できるかい?それだけで十分に怪しいじゃないか」
「……別に、人がどこに住もうと勝手じゃない。王宮に忍び込んでるわけでもあるまいし」
彼女はこともなげにそう答えた。本当になんでもないことのような口ぶりだったが、そのあまりの平静ぶりがなぜだか逆に気にかかった。
僕の存在など意に介さず、少女はスタスタと今きた階段を降りていく。
「ところで、帰ってきたばかりなのに今度は一体どこに行くんだい?」
またもや少女を追いかけながら背中越しに問いかけた僕に、彼女は振り返りながらこう答えた。
「釣りよ」
* * *
本当に、釣りだった。
少女は倉庫から釣り道具一式を取り出し、家の真裏から獣道を歩き出す。後をついていく僕のことを、彼女は一瞥しただけで何も言わなかった。
歩いて数分もすると、大きな池に出た。
そして僕は今、彼女と並んで釣りをしている。
正確には釣りをしているのは彼女だけで、僕はその横にただじっと座っているだけだ。一度、気まぐれに一緒にやるかと誘われたが遠慮しておいた。「銃に糸をかければ釣り竿代わりになるんじゃないかしら」なんて聞かれたが、問題はそこじゃなかった。
僕は、ここに釣りをしに来たわけではない。
糸を垂らしてそろそろ一時間になるが、獲物がかかった様子はまだない。
あまりの退屈さに耐えかねて、なぜ釣りをしているのかを彼女に尋ねてみた。すると、釣り竿を眺めたままの彼女はしばらく黙り、それからぽつりと「……まあ、日がなこれくらいしかすることがないのよね」と言った。どういう意味なのだろうか。
もし彼女が普通の人間で、本当にただ一人でこの森のなかで生活しているのだとしたら、食料の確保は大事な問題だろう。
だが、それ以外にもやらなければならないことは山ほどあるはずだ。燃料となる薪をとらなくちゃいけないし、魚以外の食料もとる必要がある。
しかし、眼前の彼女にはそのような様子と必要性は微塵も感じなかった。
本当に、ただ、釣りをしているだけだった。
まるで釣りをすること自体が目的のようだった。
さっきなんて釣り竿を垂らしながら小さくあくびをしていた。退屈ならやめればいいと思った。
そして、極めつけは何だ。今僕の身に起きていることを整理しようにも、その状況はあまりにも奇妙で、説明が難しく、不可解で、僕は自分のことながら開いた口が塞がらなかった。
さっきまで彼女はあくびをしていた。それはいい、まだいい。百歩譲ってよしとしよう。だが、そこまでに留めるべきではないのだろうか?
今の状況を一言で説明すると、信じがたい事にこの女……寝ていたのである。
僕は、なぜついさっきまで自分が銃を向けていた相手、正体の分からない、得体の知れない、首都を騒がせている事件の容疑者かもしれない相手と一緒に、呑気に釣りを楽しんでいるのだろう。無為に時を過ごす喜びに身をやつしているのだろう。
しかも、相手の少女は今、僕に寄りかかって気持ちよさそうに寝息を立てているときたもんだから始末に終えない。
僕は肩に乗った少女の頭の感触──それは思った以上に軽く、重さを感じない小さな頭だった──を感じながら、遠大なる哲学と自身の存在意義についての思索を深める。
これでいいのだろうか。事件、調査しなくていいのだろうか。
僕はあさっての方向へと悩みを深め、頭を抱えた。
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