ファニルーシの森


 ファニルーシは首都からほど近い位置に隣接する広大な森林地帯だ。


 針葉樹林を中心とした木々が鬱蒼と広がるこの森は、古来より近隣地域への木材供給源として人々の生活を支えてきた一方、広大な面積ゆえに未だ人の立ち入らない地も多く残されており、容易には近寄りがたい神秘的な雰囲気に包まれている。古代には、この森を対象とした自然崇拝もあったと学校で習った覚えがあった。


 トランの村で木こりの話を聞いてから数日。僕はついにこの森にやってきた。


 例え僕が一人で来たところで調査に飛躍的な前進をもたらすとも思わないが、解決に繋がる糸道が少しは見つかるかもしれない。可能性で言えば二割あればいいとこだろうか。


 だが逆に言えば、二割もあればそれは理由としては十分すぎるくらいだった。



 森に入る前に、装備を念入りに確かめる。


 青年隊では個人への支給武器というものがまだ与えられないため、今回は独自で武器を調達する必要があった。我が家が大金持ちでよかったと思う。家の秘書経由で伝手を当たることができたから。実家が兵器廠の大株主でもっと良かったと思う。僕は無駄な拘りもないし、必要とあれば家の名前を活かすことも厭わない。


 使えるものはなんでも使う主義なのだ、僕は。


 おかげさまで、今回は下手をすると正規軍よりも良い装備を持ち出すことに成功した。


 一つは、今僕が持っているライフル銃だ。陸軍でもまだ試験配備がはじまったばかりのボルトアクション・ライフルは、マスケット銃とは段違いの命中率と発射速度を誇っている。

 今回持ってきたのは開発されたばかりの新型で、現状にさらに弾倉と呼ばれる金属製の箱に弾丸を詰めて装填する機構を備えることで、複数の弾を連発することすら可能にしている。近い将来、きっと歩兵の主力装備はこの画期的な銃に切り替わることだろう。(また実家が儲かってしまう。大変なことだ!)


 もう一丁は六発入りのリボルバーで、こちらは片手でも扱えるため取り回しに優れている。


 僕の無理を聞いてくれた(そして開発中の新型まで貸してくれた)兵器廠の営業主任さんにはこれからも頑張って欲しいと思う。


 主に、後始末とか。



*  *  *



 森に入ってしばらく歩くと、第一の事件現場付近までたどり着いた。


 この辺りはまだ道があり、人や馬車も通りやすい。木々の間から陽の光が差し込んで、近くを流れる川のせせらぎがうっすらと聞こえていた。こんな時でなければ、気分の良い場所として気に入っていたかもしれない。


 だが、あいにくと今日の僕はピクニックに来ているわけではなかった。しばらく周辺を探っていると、川を渡った反対側に獣道が通っているのを発見した。見つかりづらい場所ではあったが、その容易には見つからない雰囲気が逆に気になってこの道を更に奥へと進む。


 細い道を両脇から塞ごうとする木々に苦戦しながら半刻ほど歩いた頃、ふと前方の視界が開けた。僕が出たところは、まるで小さな広場のようにそこだけがぽっかりと開いた空間だった。周囲を見渡し、何気なく頭上を見上げたところで異変に気づく。


「なんだ、これ」


 周囲を囲む木々に吊り下げるように、それはあった。


 大小幾つかの木片を組み合わせて作られた、異様なオブジェ。


 大きさは子供の背丈くらいあるだろうか。形は縦長で一部が横に張り出しており、見ようによっては人型にも思えるかもしれない。近くまで寄ると木片は紐で括られており、一部には布が巻きつけてあるのが見て取れた。人為的に作られたものであることは確かだが、その用途は想像もつかない。

 振り返ると、全部で5つのオブジェがその広場には吊り下げられていた。


 一体、誰が、何の目的でこんなものを作ったのだろう。


 さっきまでは陽気な森のピクニックにさえ思えていたはずなのに、今や得体の知れない異世界に迷い込んでしまった気分だった。僕は精神が急速に冷えていくのを感じる。


 警戒心を一段階強めて、もう一度周囲をよく見渡した。変わったことはない、はずだった。


 だが、違和感は拭えなかった。


 研ぎ澄ました精神は絶え間なく信号を発して続けている。何かがあると僕に訴えている。僕は音を立てないようにゆっくりと移動した。木の幹に体を預け、先ほど違和感を感じた方をゆっくりと覗きこむ。



 そして、それを見た。



 森の奥でゆっくりと木々の間を移動する何か。


 数は一体。


 それは、確かに人の形をしていた。


 二つの足で、歩いていた。遠目では判別できないが、おそらく人間と同じくらいの背丈がある何者か。



 僕が見たものの正体を掴もうと目を凝らすと、木々の隙間からは見えた。


 肩くらいの位置にある長い房が風にたなびいて、木々の間から差し込んだ日に当たった瞬間、光を浴びて金色に輝いたことを。


 あれは、多分、いやきっと。人間の女性ではないだろうか。だがこんな森の奥を、何故女性が歩いている?


 子供攫い、古い伝承、森の魔女、ファニルーシの森。


 僕の頭のなかでバラバラにあった情報の欠片が互いに結合し、収束していくのを感じる。そして、極めて順当な一つの結論を得た。




──魔女は、実在しているのではないだろうか。




 魔女らしき人影の見えた方向へと慎重に足を進めていく。


 森は一歩歩むごとにその密度を増し、頭上から差し込む光もいつの間にか減って今はほとんどが生い茂った木々の葉に覆い隠されていた。辺りにはところどころに先ほどの奇妙なオブジェが吊り下げられており、不気味さを一層引き立てていた。


 その時の僕の心境を正直に言えば、今すぐ帰りたかった。


 あらゆる理性的な感情を、本能的な恐ろしさが上回っていた。森は、自然は、かつて人にとってはこんなにも恐ろしい場所だったのか。


 いくつかのオブジェを通り過ぎた時のことだった。今までとは少し違う形に組まれたオブジェを見つけた。木に吊り下げられるのではなく、それだけは道に刺さるようにして、まるで案山子のように立てられていた。よく見るとそのオブジェの奥にはどうやら空間があるようで、何かを隠すように立てられているみたいだった。


 奥に、何かある。


 僕は迷いなくそれを破壊し、覗きこむ。すると、案の定案山子の裏に隠されるようにして一本の道が通っているのを発見した。


 意を決して更に先へ進む。


 状況に変化が現れたのは、隠された道をさらに先へ進んだ時の事だった。前方に光が差し込み始めたと思いきや、次に少しずつ水の流れる川のような音が聞こえてきた。


 また森の雰囲気が変わったと思ったのもつかの間、それは唐突に現れた。



 初めてそれを発見した時、僕は全身が震えた。


 今までとは違う、ぞくりとした感情が僕を突き抜けた。まるで夢か幻を見たような、俄には信じられない気分になった。しかし今目の前にあるもの、自分の目で確かめたものが真実であるということは疑いようもなかった。


 それは、家だった。


 静かで薄暗かった森には不釣り合いなほどの立派な家が、まるで周囲から身を潜めるようにぽつんと建っていたのである。


 そして、これこそがもはや逃れられない決定的証拠であると感じた。ここまで深いところまで人が住んでいないことは、既に先日の木こりに確認済みだった。


 つまるところ。木こりの噂は、本当だった。この森には、魔女が住んでいる。そして今、その魔女の家が僕の目の前に存在していたのである。



 思えば、最初はここまで深く立ち入るつもりではなかった気がする。


 一体どこで間違えてここまで来てしまったのだろうか……という考えも一瞬頭によぎったが、結局これは全て僕の意志だ。途中で引き返すという選択肢もあったはずだった。それでも、既にこの段階において戻るという考えは僕の頭から消え去っていた。


 僕の足は自然と家のほうへ向かっていく。



 しっかりと固められた石造りの基礎の上に、煉瓦と漆喰、木材を組み合わせて建てられた三階建ての大きな家。おおよそ一般的な家屋と言って差し支えない。


 違和感といえば、こんな場所に建っていることくらいだろうか。


 赤茶色の屋根の上には二本の煙突が立っているが、今は煙も立っておらず、中に人がいるのかどうかを判別することはできなかった。


 家の周囲をぐるりと一周するが、外から見て特に怪しいところは見当たらなかった。

 正面玄関まで周りこんだところで足を止め、扉の前に立つ。腰に提げたホルスターから拳銃を抜き取り、大きく深呼吸をしてから軽くノック。しばらく耳を澄ませるが、中からの返事は聞こえない。


 僕はもう一度深呼吸し、意を決して扉を押し開ける。思いのほか扉は軽く、開けた勢いに任せた僕の身体まで家の中へと一緒に吸い込まれていった。


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