【第一話】レドロネット・ザトラツェニエ

「これはお前の卒業試験も兼ねている」


 日々被害の拡大する子供攫い事件に苦慮した政府は、治安維持の観点から警備活動の大幅強化、及び大々的な本格調査による事件の早期解決を目的に、本件に陸軍の介入を決定した。


 これは、未確定ながらも触れざる者達が絡んでいるとも思われる可能性によって、警察だけでは対処しきれない場合も想定に入れた結果だった。


 これに対して陸軍参謀本部より、事件の本格調査に乗り出す前に情報の収拾と整理を目的とした、予備調査の実施が下された。従事する予備調査員には、単独行動によって調査を遂行できる能力を持ちながらも、比較的自由に行動できる立場にいる人員が望ましい。


 勿論、機密保持の観点から外部の人間を使うことは憚られる。

 しかし、正規軍から条件に当てはまる人材を確保するのは難しかった。


 そこで、近衛兵青年隊から適性のある者を選抜して派遣することに決まる──


 白羽の矢が立ったのは、つまり僕だった。



 こんな重大な任務を士官候補生なんかに任せてよいのですかいやそんなはずがないやはりここは正規軍から選びましょうそれでは失礼しますと抗議するも見事に一蹴された。


「これはお前の卒業試験も兼ねている」と少佐に言われては敵わない。


 そんなわけで、僕ことアクスウェル准尉は、子供攫い事件の調査に予備調査員として従事することを、ヴェルウェスト陸軍より正式に命じられたのであった。


 要するに、事前に現地の状況を調査、整理して陸軍情報部からやってくる調査隊本隊に報告することが僕の仕事だ。


 各事件の詳細を洗い出し、地図上の位置関係を把握し、関係者の証言をまとめる。


 予備調査中は教練過程も免除されるとのことで、その点では悪くないことにも思えた。

 そうだ、文句を言われない程度に調べて、文句を言われない程度にさぼり、文句がつかない程度に引き伸ばして引き継ごう。それならいいかもしれない。


 面倒なことを押し付けられたものだと思ったが、与えられた以上はやる以外の選択肢はなかったし、やるとなればどんなことにも活路は見えてくる。


 よし、決定。そこそこにやっていこう。



 教官室を出て、僕は早速行動を開始した。


 まずは警察署に行って事件の調査報告書を一式もらい、ついでに図書館に寄っていくつかの資料を探す。

 歴史資料、過去の新聞、民間伝承の類も揃える。触れざる者達に関する記述のある本は案外と少なかったが、一通り目を通した。縮尺を変えた首都近郊の地図を手に入れることも忘れずに。


 隊員に片っ端から話を聞いて、メイが聞いた噂話の出処も探ってみた。

 調べて、書き込んで、まとめる。サボる。その繰り返し。


 始めるとそこそこに頭を使うデスクワークも案外と向いているようで、もしかしたら家を継いだとしても僕はそこそこ活躍できていたのかもしれない。


 そんな考えが頭をよぎったのは、さすがに自惚れ過ぎだろうか?



*  *  *



 調査をはじめてから数日が経ち、僕の朝にはもう一つ、とある日課が増えた。

 隊舎の通用口で待っていると、大きな鞄を提げた女の子がやってきた。


「いつも朝早くからご苦労さんだね、ミラ。おかげで助かってるよ」


 僕がミラと呼んだ女の子は、うちに出入りしている新聞の配達屋だ。短く切り揃えた前髪とくりっとした栗色の瞳が印象的だが、それだけじゃない。


 実はあの日、デモ隊の中で僕が出会った赤い服の子がこの子だった。


 彼女はあの惨劇の中でも比較的軽症で済み、今は元気に仕事に戻っている。なんでも、首都ではなく別の町に住んでいるのだが、家の都合で毎日この街まで出て働きにきているそうだ。感心な勤労少女。だけど、この子のように幼いうちから働いている子供はこの辺りでも特に珍しい話ではなかった。


 ちなみに、なぜあの時デモに参加していたのかを聞いてみたことがある。


 その時のミラの答えは、「なぜって、ああいうお仕事は意外とお金がいいんです。歩いてるだけで一日中街で新聞を配って周るのと同じくらいのお給料が貰えるんだから、参加しなきゃ損ですよ」とのことだった。


 信念のない市民達によって発信されるイデオロギー。でも実情は、どこもそんなものかもしれなかった。


 おかげさまで、この子ともここ数日でだいぶ仲良くなった。


「あ、軍人さんおはようございます。はい、いつもの……うちの新聞は一部多く、あとは他の新聞も頼んで入れてもらってます」


 僕はミラを通じて、毎日いくつかの新聞を自分用に届けてもらっていた。過去を掘り返してばかりいても仕方がない。


 時には新しい情報に目を通すことも大切なのだ。


「えーっと、なになに。『街を騒がせる子供攫い、またもや出現』『スルトク国際博覧会に向けて飛行船キャプテン・ロータス号が出航』『ヘクスタティック紡績工場、経営者交代。病状悪化が原因か』……新聞は世の中の色んな事が書いてあるから面白いねえ。まあ誌面の八割はくだらないことだけどさ、残りの二割に思いもよらない情報が書いあったりする。本当に大事なことは自分の力で見つけないといけないってわけ。あれ、ミラは文字は読めるんだっけ?」


 受け取った新聞の記事に目を通しながら声をかけていると、いつの間にか僕だけがずっと喋っていたことに気づく。ミラは割と明るい子で些細な事でも自分から積極的に話してくれる印象だったが、なんだか今日は様子がおかしかった。


「ん、どうかしたの?なんだか今日は随分元気がないね」


 僕の言葉に、伏せていた顔を少し上げる。

 いつも笑顔の絶えないミラの表情に陰りが見えるのは、初めての事だった。


 もし力になれることがあるなら、と声をかける。すると、ミラはしばらく逡巡をしてから──彼女はとても控えめで慎ましやかな良い子なのだ──意を決したように口を開いた。


「カリクと言って、私の近所のお友達なんですけど……その子が、もう二日も家に帰ってないんです。いつもは絶対にそんなことないから、私、心配で……周りの子はトランの道化師に誘われたなんて言うの。でもカリクに限ってそんなことあるわけない……」


「ふむ、最近物騒なことも多いし、それは確かに心配だね。ところで『道化師に誘われた』って、一体なんのこと?」


 聞き慣れない言葉にその意味を尋ねる。すると、彼女は自分の村に伝わるという古い伝承を話してくれた。



*  *  *



──昔ある時、村に一人の道化師がやってきました。


 村の子供達は道化師が珍しくて楽しくて、親の言いつけを破って仕事を放り出しては毎日道化師と一緒に遊んでばかりいました。


 ある時、いつものように遊んだ帰り道、道化師が子どもたちにこう言います。


「残念だけど、僕はもう別のところへ行かなくちゃならない」


 子供達はとても残念がりました。すると、道化師はこう問いかけました。


「そうだ、君たちも僕と一緒に旅をしないかい。そうしたらもう仕事なんてしなくていいんだ。歌って踊って、毎日楽しく遊べるよ」


 子どもたちは毎日遊べるという言葉につられ、みんなで道化師についていくことにしました。


 ただ少しの子供だけ、お父さんやお母さんと離れるのは嫌だと言って村を離れません。しかし、他の多くの子供達はそんなのお構いなしに、彼らを残して村を出ていってしまいました。


 村を出た子供達は、道化師と一緒に楽しく旅をします。ですが、道化師には秘密がありました。実は道化師は──変装した魔法使いだったのです。


 村を出て二日目の夜、道化師はこっそり変装を解きます。そうして元の姿を表した魔法使いは、寝ている子どもたちに魔法をかけて、全員を金貨に変えて売ってしまいました。


 親の言いつけを守って村に残った子供だけは、金貨にならずに済んだのでした──



*  *  *



「うちの村の人なら誰でも知ってる話です。私もおばちゃんに教わりました」


 ミラはそう結んだ。

 ここでも子供が攫われる話。そして触れざる者。


 だが、今回のはどことなく教訓めいた話だった。


 働かざるもの食うべからず、遊んだものには罰が当たる。きっとミラが祖母から聞いたように、親から子へと代々語り継がれてきた寓話の類なのだろう。


「私だって、これがおとぎ話だってことくらい知ってます。本当に道化師に誘われたわけじゃないけど、じゃあ、カリクはどうしていなくなったの……」


 ミラの言葉は後半嗚咽が混じり始めていた。彼女は話しながらしきりに手首をさすっている。よく見ると、麻でできた腕飾りをしていた。

 彼女によると、これはお守りなのだそうだ。最近の不穏な噂を知った彼女が、友達と自身の安全を願って手作りした二人分の小さなお守り。


 お守りが効かなかったのかな、私の思いが足りなかったのかな……そう呟きながら、ミラはさっきまでの我慢なんてもうとっくに忘れて、泣きながら友達の名を何度も呼んだ。


 僕はその姿に何も言えず、ただミラの頭に手を置くことしか出来なかった。


 震えるミラの身体を見つめながら考える。

 今回の予備調査、本当はそこそこのところで切り上げて終わらせるつもりだったけど。どこまでできるかわからないけど、でもやれるだけのことはやってみよう。


 もしかしたら、僕程度でもなにか役に立つことがあるかもしれない。


 目の前で泣いている小さな女の子を慰めることができるのなら、僕の仕事にも意味ってものがあるだろう。今は心からそう思いはじめていた。


 アクスウェル・ヴァン・ギャリックス准尉、あらためて任務開始。


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