『新・人類史』最初の一頁について僕から講義だ。


 ここで一つ。ちょっとだけ長い昔話をしよう。

 これは僕達にとってこの世界の大前提、歴史の教科書でいう最初の一頁だ。


 この世界には、この世の理を越えた可能性を実現する《魔力》と呼ばれる特別な力が存在する。


 この星ができた時から、その力は存在していた。魔力を扱うことができるのは、生物の中でもごく一部の存在に限られた。一説には、この星に選ばれた者にだけ与えられた力なのだとも言われている。


 さて星に選ばれた一握りの生物諸君、君たちは実に幸運だった。

 その力は向ける方向と流量を変えることによって性質を様々に変化させ、無限の可能性をもたらした。


 特に、人は知性を進化させた時から、魔力を扱うのにうってつけの存在であった。人は魔力を応用する術を身につけ学び、体系化させ、発展させた能力に《魔法》という名を名付けた。


 魔法の力は絶大だった。火を起こせる。水に潜れる。手を触れずに任意の物体を動かすことができる。宙に浮けるし、空を飛べる。単純に力を強くすることもできる。

 まだある。遠く離れた人や物の居場所を探せる。他者の考えを読むことができる。過去を知ることができる。未来を識ることができる。時に、自らの生すらも司ることができる。


 まさに万能の力と言っていい。力こそ全ての源であり、世界は力が支配する。魔法は世界を支配した。


 人の身で魔力を扱える者は、その力を持たぬその他大勢の人々と区別して《魔法使い》と呼ばれている。


 歴史上に登場する魔法使いの例としては、神話にも登場する古代都市ユーリフェンを治めたスルトバ、七条の明文法で有名なクルシアの神官アーリ、そして東方大陸に千年続く黄金帝国を築いたハシシ大帝などが挙げられる。


 ちなみに僕が好きなのは賢者シストルズで、こいつは川の水を三日三晩、倍の速さで流し続けたという謎の逸話で有名な魔法使いだ。まあ裏を返せばそれだけなんだけど、特に大したことをやっていないのになぜか歴史に名を残してるという、その意味不明さが僕のお気に入りの理由だ。


 話を戻そう。

 一方、魔力を帯びた性質を持ち、それを利用する動物も当然ながら存在し、それらは一般に《幻獣》と呼ばれている。


 こちらは、自らのテリトリーに近づいた獲物を魔力で惑わせることで捕食するフーズワール、植物種ながら自らの生育に最適な環境を探して能動的に動きまわり、時に元ある環境を作り変えることで繁殖するリンドストゥームの森、そして“幻獣の帝王”ことオーニスフィアなどが有名だ。


 特に、古来より幾つもの伝説にその名を残すオーニスフィアは、どんな要塞よりも頑丈な身体を持ち、噴き出す炎は百万の軍勢を一瞬で吹き飛ばすとさえ言われ、名実ともに最強の幻獣として知られている。

 ただ実際の目撃例は極めて少なく、実在するかどうかは甚だ疑わしいそうだ。


 僕としては、別にどっちでもよかった。でももしこんなのと戦えと言われたら御免被るから、やっぱりいないほうがいいのかもしれない。


 さて、今挙げたように人類の進化と歴史に密接に関わり、力を持たぬ人々にとってはまさに畏怖と敬いの象徴であったそれらの存在を、人々はまとめてこう呼んだ。


──《触れざる者達》


 触らぬ神に祟りなし。持たざる者は、持つ者に関わることなかれ。


 魔法を持たぬ人々と触れざる者達との間には、どうしようもないほどの差と隔たりがあった。文明の起こりとともに、魔法使いであることが支配者、被支配者を分ける唯一にして絶対の条件となった。人は太古の時代から魔法使いを指導者として仰ぎ、彼らに支配される時代が長く続いた。魔法使いを頂点とする階級社会がここに形成された。


 触れざる者にひれ伏せ、魔法使いに従って生きよ。

 魔法使いの支配を逃れたいなら世界の外へ。だが、そこにも触れざる者達が待っていた。文明の外に一歩踏み出せば、そこには幻獣という恐ろしい存在が闊歩する未開の世界が広がっている。内にも外にも、人々にとって世界には常に触れざる者達の強大で圧倒的な存在が立ちはだかっていた。


 人々は、彼らの力を敬い、恐れ、そして怯えながらひっそりと息を顰めるように生きるしかなかった。人類は誕生以来、常に世界の絶対的弱者として在り続けた。


 暗黒の時代が、長く続いた。


 さぁ、ここからが本番。

 ある時、辺境の領地に一人の魔法使いがどこからともなくやってきた。


 幼い少女の姿をしたその魔法使いは、触れざる者達に抑圧されて暮らす人々の境遇にいたく同情し、この世界を触れざる者達から人の手へと取り戻すことを説いた。


 正義の魔法使いが遂に登場。ここから、人類の逆転劇がはじまる。


 自らも触れざる者に属する身でありながら、それらに反旗を翻して人類の味方についた魔法使い。彼女は、その神がかった魅力で民衆らを束ねて率い、共に立ち上がった者一人一人に目を向け、声をかけて彼らを奮い立たせた。時に、自らが先頭に立って果敢に突き進むことでその身を持って戦端を切り開く。


 人々は自らの命運と未来、それらを賭けた生存闘争その全てを一人の少女の小さな身体に託した。人の世のために立ち上がった小さな魔法使いの噂は、やがてその呼び名とともに辺境の一地方から様々な地域へと飛び火していった。


 触れざる者達への抵抗運動は大陸中に広がり、世界を人の手に取り戻すためのこ運動は、いつしかその象徴からして《魔女狩り》と呼ばれるようになった。熱を上げた人々は更に力を入れ、やがてそれは人類史に残るほどの大規模な排斥運動へと変貌していった。


 人類と触れざる者達の生存競争は熾烈を極めた。百年を超える長い戦いの末、最後に立っていたのは人類の方であった。人々はついに世界から触れざる者達を追放することに成功する。これによって人類は長年の悲願であった、人の手によって切り開かれる、人のための世界を作る権利を勝ち取ったのだ。


 一方、人の世に平穏が訪れるのを見届けた魔女は一人、どことも知れずひっそりとまた旅立っていったのだと言われている。


“カクトゥーラの先導者”


“殲滅姫”


あるいは単に“魔女”……。


 今でも各地方に伝わる彼女の通り名とその伝説は実に多い。

 だが、なかでも一際有名であり、また現在でも通じる呼び名といえばやはりこの名前だろう。


──《終局の魔女》 レドロネット・ザトラツェニエ。


 その後の魔女の行方は、今に至るまで誰も知らない。



* * *



 と、ここまでが、この世界の人間なら誰でも知っている昔話。子供の頃に寝物語として母親から聞き、学校に通えば最初に教えられる僕達の“大前提”だ。


 悪い触れざる者たちをやっつけて、虐げられていた人々は栄光ある自由の世界を手に入れたのだ。


 人類万歳。人類、最高!


 終局の魔女が世界を去ってから約百五十年、以降の歴史は確かに平和だった。

 人は何かに怯えることもなく、金属革命以降急速に発達した科学と技術力を背景に、文明の発展にひたすら全精力を注ぎ続けた。


 活版印刷の普及による知識の伝播、蒸気機関の利用と鋼鉄製造の確立による産業構造の変化、市民意識の変革……。


 人類歴百四十五年の現在では、工業力の増大により富が富を生み出し、我らが帝政ヴェルウェストは未曾有の好景気に沸いている。また交通手段の発達は国際交易を活発化させ、それに後押しされた大陸間横断鉄道の敷設計画まで浮上しているというから驚きだ。その勢いはとどまるところを知らない。


 人類は、有史以来最も繁栄していると言っても過言ではない大黄金時代を迎えていた。


 平和だし、豊かだった。未来と希望もあった。良い世界だった。


……人類全体の大躍進に、多少の軋轢は仕方のないことだとしても。

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