14.白花は誘う
やっとカナが花嫁衣装を決めてくれた。
あの義妹はいちいち面倒くさい。普通、女だったら素直に喜んで素敵なドレスを着たい着たいと喜ぶところだろうに。まったく骨折りだなあ。義兄の耀平は、いまも義妹のことで苛む。
それでも、母親から譲り受けた花嫁衣装『黒引き振袖』を試しに着付けた花南が、耀平の目に焼き付いている。
あれに似合う髪飾りを探してあげたいなあ……と、最近は髪飾りがありそうなところに足を運ぶことが増えてきた。
本日は、豊浦の本社にて事務仕事。ホテルを見回って、従業員に気になったことを指示して、午前が終わる。
年も明けて、正月行事も落ち着いた。古い格式を保っている家に婿入りすると、正月はまた違う意味で忙しい。神社に初詣ひとつでも気楽ではなく、昔から倉重がやってきたことを守ってやらなくてはならない。
いままで自由気ままな末娘だった花南も、今年はきちんと実家に帰省して、母親の着物をしっとりと着込んで、家族と共に初詣に行った。
よくある境内で賽銭箱の前でのお参りではない。倉重家では、神主に祈祷をしてもらう。それがまた花南にとっては窮屈な時間らしくて、あまり機嫌が良くなかった。なのに、甥っ子の航がきちんと澄ました横顔で静かにしているので、叔母さんもちゃんと見習ったようで。
その時の、義妹と息子が並んでいた姿を思い出すと、耀平はいまでも吹き出しそうになる。
まだ中学生の甥っ子の方が毎年立派に新年の行事をこなしているのに、ぶすっと『面倒くさい』と言わんばかりの子供っぽい顔で着物を着て大人の顔を装っている叔母が並んでいる光景に。
「はあ。息子はちゃんと育ってくれているな」
あの女将の孫だから、品格も充分。
『カナちゃん、あれぐらいで窮屈なの? もうどうしようもないな。でも父さんの奥さんになるんだから、毎年我慢するんだよ』
『はい、頑張ります』
また。初詣の帰りに、息子と義妹の車の中でのやり取りを思い出し、耀平は副社長室のデスクでひとり笑いを堪えきれずに、クスクスと笑ってしまいどうしようもない。
それでも、もうすぐ三人で暮らすようになる。春になったら、山口の家で三人一緒に……。
デスクの上、手元に置いていたスマートフォンがぶるぶると震えたので、チェックしてみる。メールの着信だった。
【 母ちゃんです。山口の家に到着しました! こっちには明日の夕に帰ってくるんだってね。それまで、花南さんと仲良く待っています。じゃあね。 】
スマートフォンを思わず、落としてしまいそうになった。
山口の家? 花南と、いま二人? 母ちゃんが?
結婚前。家族の顔合わせも済ませたが、その時、花南と母はまだ少しぎくしゃくしていた。
そのうちに、時間と共にわだかまりも融けて、お互いに馴染んでいくだろうと、耀平も急いで仲を取り持つことはしないでおいた。母が意固地にならないためだった。
どちらかというと母がカナを避けているというのに、その母から、山口の家に出向いた。しかも、耀平が留守の間に!
これはわざとなのか?
こうしてはいられない。耀平は急いで目の前の仕事に取りかかる。
―◆・◆・◆・◆・◆―
翌日、山口へと急ぐ。また事故を起こさないよう、急く気持ちを抑えてアクセルを踏む。
日が落ちる前、少し早めに工房のある家に到着。いつもの緑の垣根にレクサスを駐車して、すぐに家の中に入る。
リビングには誰もいなくて拍子抜けして、それなら花南は工房だろうと出向いてみたら。
「お帰りなさい、社長。カナとお母さんなら、定期検診ででかけた舞の代わりに、一の坂川のショップで店番してくれていますよ」
二人で店番!? ヒロの報告に耀平はさらに驚いてしまう。
そんなヒロにこっそり聞いてみる。
「昨日、あの二人の様子はどうだったんだ」
ヒロも察したように笑い出す。
「嫁姑ってヤツですか? 別になにもなかったみたいですよ。昨夜は二人でどこかに食事に行っていたみたいだし、カナの話だと朝食も仙崎のお母さんが作ってくれておいしかったと嬉しそうに話してくれましたけど」
「そ、そうか。それならいいんだけれどな」
耀平がいない間、ギクシャクしている様子もなくホッと胸を撫で下ろした。
そのまま、歩いて一の坂川の通りにあるショップへと耀平は向かった。
ショップは責任者はヒロにしてあるが、最終的な監督は耀平自身がしている。それでも現在、実質的にショップを回してくれているのは舞になりつつある。在庫管理やレジ管理に、アルバイトのシフトなど手際よく手配してくれることがわかり、そのまま舞も工房の従業員になっている。
しかしアルバイトは学生や主婦が多いので、店番の時間は限られていて、そして舞も妊娠中なので工房の職人達が様子を見ながら人手不足の時には穴埋めをする形になっていた。
それで今日は、花南が店番に入ったようだが……。
「また母ちゃんがよけいなことを」
『私も店番をする』と、じっとしていられない性分の母親が一緒について行ってしまったのだと息子として思った。
一の坂川の通りを歩き、花南行きつけのカフェから数軒向こうに建てた古民家風のショップにたどり着く。
職人の嫁と、おせっかいな姑が狭い店舗でどんな店番をしているのか。この店のオーナーなのに、耀平はドキドキしながらそっと店先で覗き込む。
ちょうど、工場エプロン姿の花南が接客をしているところ。
青い切子のワイングラスを見せているところだった。
職人姿の本人が説明しているせいか、観光できているだろう老夫妻も神妙に花南の説明を聞いてくれている。
母はどこかと見渡すと、きちんと黙ってレジ番をしていてくれた。実家のかまぼこ店でもそうしてくれているので、母も慣れた顔で控えている。
「お嬢様ご夫妻にお土産ですね。ご姉妹それぞれのご夫妻に。二組ということですか」
「はい。姉は青色など落ち着いた色合いが好きです。妹の方は可愛らしい色合いが好きで、これでは落ち着きすぎますかね」
夫人の問いに、花南も静かに頷いている。
「変わった色合いですが、こちらの『撫子色』、または『石竹色(せきちくいろ)』ともいいますが、薄いピンク色のワイングラスです。いかがでしょうか。色合いが薄いのですが、ワインを注ぐとガラスの色合いと重なり綺麗な濃淡を楽しめます。ただ、男性が使われることにどう思われるかが難点です」
そうねえ、どうしましょう――。老夫妻が迷っている間も、花南は他の切子商品をすぐさま提案している。すぐに手にとってもらえた自分の製品にこだわらず、若い職人がサンドブラストで花模様を吹き付けた薄紅色のグラスも勧めている。
「では、こちらの青いワイングラスと、このお花のワイングラス。あと他のお土産も……、このタンブラーを三つ、このタイプも三つ……、色は青、赤、緑。それから店頭にあるトンボ玉も。ああ、あのステンドグラスの置きライトも素敵だったわね」
「ありがとうございます。えっと……在庫を確認してまいりますね」
奥で花南がパソコンを目の前に、在庫の確認を始める。だが見るからに焦っている様子で、マウスをカチカチと鳴らすばかりで手際良く確認が出来ないようだった。
店頭販売が本業ではない花南の手に余りはじめている。
そこで耀平はネクタイを締め直し、店舗内に踏み入れる。
「いらっしゃいませ。ありがとうございます」
黒いスーツ姿の耀平を見つけた花南と、実家母が驚いた顔を揃えた。
「お兄……いえ、社長」
「倉重さん。私が在庫を確認しよう。ご希望の品番を教えてください」
「は、はい。社長」
レジ奥の狭いバックヤードにある在庫管理データーをノートパソコンで調べる。
その入り口で花南が品番を教えてくれる。
「うん。工房の倉庫にいけば全て揃う。これだけの数だ。自力で持って帰るのは無理だろう。地方発送にするかどうか聞いてみてくれ」
「わかりました。社長」
壊れ物なのでバックヤードには沢山は詰め込まず、ほとんど工房で保管している。その日に売れそうな数だけ、その日にバックヤードに補充することにしている。
足りない在庫は工房から持ってきてもらう手配をする。そうして二人で商品を揃えた。
かなりの数のお買いあげ。二人で商品を揃えている間、なにも頼んでいないのにレジ番をしていた母がいつのまにか老夫妻の接客をしてくれている。
「お疲れになったでしょう。どうぞこちらでお休みください。香山公園と瑠璃光寺は行かれましたか」
絣の座布団をおいている木椅子を並べて、店先にて疲れた様子の老夫妻を座らせようと気を利かせてくれる。
「そうですか。常栄寺の雪舟庭まで行かれて。サビエル聖堂のお帰りでしたか」
しかも話し相手になってくれている。そこへ花南が地方発送にしてはいかがかとお伺いを立てている。
どんな会話を交わしたのか、母と花南、そして老夫妻が揃って賑やかに笑い声をたてていた。
その和やかな様子に耀平もホッとして、レジ打ちをする。きりが良いところで、花南が精算へと夫人を連れてきた。
地方発送の手続きをしてご精算。『思いがけず良いお品を見つけました』と喜んでくれた。最後は、スーツ姿の社長、職人の花南、パートのおばちゃんに見えただろう母と三人並んで店先からお見送りをした。
「ありがとうございました。お気をつけて」
三人でお辞儀を揃えていた。
一の坂川の川沿いを、老夫妻がせせらぎの中、ゆっくりと歩いて去っていく。
「社長、ありがとうございました」
「いいえ。倉重さんもお疲れ様でした。接客は完璧です。が!」
職人だから商品の勧め方は良くできていた。だが、多数注文に対して在庫確認をする段階でもたつき始めたことは褒められない。
「ご、ごめんなさい。あんなにいっぱい選んでくださるとは思わなかったから」
「仕方ないだろう。いつもはそれほど客も入ってこない時間帯だったから油断したな。課題だな。売り場スタッフの配置を考えなおさないといけないな」
『社長と倉重さん』から、一気に『お兄さんとカナ』に戻ってしまった。
するとそばで黙っていた仙崎の母が、急に笑い出した。
「あはは。耀平が社長と呼ばれて、耀平が花南さんを『倉重さん』と呼んだ時は笑い出しそうになって困ったよー」
「店頭はお客様がいるから当たり前だろう」
「そうだけどさ。初めて、耀平が社長さんに見えた!」
「なんだよ。もうこの工房では七年も社長をしてきたんだからな」
「たった七年じゃないの。兄ちゃんに比べたらまだまだだね」
兄と耀平は二十代のうちに、父と死別している。兄は大学卒業して間もなく実家家業を引き継いだ。確かに、そんな兄に比べたら耀平のキャリアはまだまだなのだろう。そして、なんか……やっぱり、息子は一生母親には頭が上がらないのかもしれないと、耀平は顔をしかめる。
それでも母がホッとした顔で、いつになく優しく耀平を、そしてそばにいる職人姿の花南を見つめる。
「二人とも、そうして一緒にガラスの仕事をしてきたんだね。初めて見させてもらって、ようやっと安心できたよ。もっと早く、勇気を出して訪ねれば良かったかな。力になれたことがあったかもしれない……」
店先で母が急に目を潤ませたので、耀平も花南も驚き顔を見合わせる。
「花南さんと耀平が傷つけ合うように別れなくて済んだかもしれない」
母、由実子も一歩も踏み出せない『疑念の囲い』に、何年も閉じこめられたまま何も出来なかったと悔やんでくれている。
「そんなこと。俺も、花南も、倉重のお義父さんもお義母さんも、それぞれ同じような状態で黙っていたんだ。俺はこれで良かったと思っている。本当の意味で花南と分かり合えたと思っている」
「そうですよ。お義母さん」
花南が静かに微笑むと、母も涙を拭って気を取り直してくれる。
「そろそろ学生のバイトが来る頃だろう。俺が店番をしているから、花南、母ちゃんと家に戻ったらいい」
「うん、そうする」
「今夜は母ちゃんがお夕食を作ろうね。二人とも、しっかり働きなさいよ」
働き者の母がいう『しっかり働け』には、耀平はいまもお尻を叩かれる気分になってしまう。
いつもは兄貴面の耀平が母親には敵わない様子を見て、花南が密かに『ニンマリ』面白がる顔をしていた。
山口の家に母の由実子が来て調子が狂うのは、実は嫁姑で緊張する花南ではなくて、息子の自分かもしれないと初めて思った。
―◆・◆・◆・◆・◆―
翌朝。また母が早くにキッチンを占領していた。花南もなにか感じるのか、手伝いに徹して母がすることに手を出そうとはしなかった。が、なんだか嬉しそうに手伝っていて、母も機嫌がよい。
「昨日、花南さんが窯に向かっているところを見たけれど、本当に大変な作業だね。初めて目の前で見て感動しちゃった」
「ありがとうございます、お義母さん」
丁寧に『お義母様』と呼ぶのは花南もやめたようだった。母もそのほうが気楽に花南と話せているように見えた。
昨夜一晩、耀平も花南と母親の様子を眺めていたが、ずっと和やかに見えて安心している。
特に母が。力みが取れて、いつものかまぼこ屋のお母ちゃんの雰囲気のまま花南に接している。
母は工房も一の坂川のショップの様子も一通り見学できたことを始終話題にして、花南と三人で穏やかな朝食を終えた。
花南はそのまま工房へと出て行った。朝食が終わったリビングに、母親と二人きりになる。
食べ終わった食器を片付ける母と、花南が淹れてくれた珈琲を片手に、タブレットを眺め朝の情報収集をする耀平の『母子二人』になる。
「耀平。今日は山口にいるの」
「うん。こちらに帰ってきたら、二日はここを拠点に仕事をするスケジュールにしている。あちこちにグループの事業所があるからな」
「そう」
「母ちゃんはいつまで居る予定なんだ」
母が黙っている。綺麗に片づいたダイニングテーブルへと戻ってくると、耀平の向かいにある椅子に座った。
「まあ、二、三日とは思ってきたんだけどね。工場も店も兄ちゃんに任せておけば大丈夫だしね。昇太郎も、ゆっくりしてこいと言ってくれたし」
「ふうん。そうなんだ……。というか、連絡ぐらいくれよ。いきなり来て花南もびっくりしていただろう」
「それが狙いに決まってんじゃないの。一人で留守番している時はどうしているのかなとかね」
耀平は面食らった。姑が連絡もなしに突然来て、これから嫁になろうという彼女が、旦那が居ない時はどれだけ気を緩めているかを抜き打ちで見に来たといわんばかりの言いぐさに。
「そういう、世間一般で『嫁がやられたら嫌なこと』はしないで欲しいな」
「別に。花南さんのことは、家事よりも職人生活というのは前から聞いていたから、どのような状態でも母ちゃんは何も思わないことにしようと決めてきたよ。ただ、航とこれから暮らすところがどんなところか知っておきたかったんだよ。でも、そうだよね。母ちゃんがいままで避けすぎていたかもね。それに、そもそも航のことになったら、倉重のお母さんが黙っていないだろうから。この家のこともちゃんとされているとわかっていたつもりだよ」
自分で入れた緑茶をすすりながら、母は淡々としていた。
「思った以上に、いい雰囲気の家だね。航の受験する高校も近いみたいだし。工房の活気がこの家にもいい空気をもたらしている気がしたよ」
その母が、唐突に息子に言った。
「いい家だね。あんたのお城だね」
もういい歳を迎えた男のはずなのに。何歳になっても、親からの言葉には弱くて困る。
「昨日も来るなり花南さんが『お抹茶』と和菓子を出してくれて、初めての家なのにすんごくつろいでしまったんだよね~」
「気に入ってくれたなら、これからも来てくれよ。航に会いに来てくれよ」
航は倉重の母が自ら育てていたこともあって、実家母は遠慮して積極的に会うことは避けているところがあった。
でも、航ももう倉重の実家から自立する。
「そうだね。これからはこうして会いに来ようかな」
母もそこは嬉しそうに笑っている。
「母さんも、なにかガラスをもらっていこうかな。店に置くものがいいな」
「うん、もらっていってくれよ。職人達は使ってもらうことが、いちばん嬉しいことなんだ」
そう言うと、また母は穏やかに微笑みながら、じっと黙って耀平を見ている。
「かまぼこ屋の次男なのにね。そんな職人さんのことを自分のことのように生き生きと支えて、守る男になっちゃうとは思わなかったよ」
いつからだろう。人が作るものに惹かれて惹かれて、職人の魂に憧れるようになったのは。
でもそれはきっと……。
「兄ちゃんも言っていた。かまぼこも『品質を保持する物作り』。品質はある意味『非日常』。日常に華を添えるものだと。『日常から非日常』を切り取って、でもそれをまた非日常という形に整えて『日常に還る』ようにしているんだと、自分とカナのことをそう重ねてくれていた。その時、俺も初めて――。かまぼこ屋の息子と、ガラス職人であるカナが、こうしてガラスの仕事を支え合えるようになった共通点だったのかもしれないってね」
「昇太郎がそんなことを言っちょったん!」
母もびっくりしている。
「俺もびっくりしたよ。兄貴が、そんなことを胸に抱いて『かまぼこ屋』を守ってきてくれたんだと思って……」
気のせいか。母の目が潤んでいるような気がした。もしかして、息子が滅多に見せない心情を知ってしまったからなのだろうか。
「あの子には、大学を卒業したばっかりなのに、好きなこともさせてやれず、遊ぶこともさせてやれないまま、お父ちゃんの工場を任せちゃったからね」
「俺もそう思っていたんだけれどな。兄ちゃんは仕方なくやって我慢してきたんだって。でもかまぼこを愛しているんだなと初めて知った。俺なんか、自由に好きなことやらせてもらっていたし……」
そこまで言って、耀平も初めて気がつく。そうか、俺だって『自由気ままな次男坊』だったんじゃないか。花南と同じだと。
「知らんかった。あの子、かまぼこのこと、ほんとに大事にしてくれちょったんやね」
「だから続いているんじゃないか。デパートにも卸せる品質なんだから」
「そやね。そっか。そっか。じゃあ、本当に耀平と花南さんはお似合いだったんだね。本当に来て良かったよお」
そうして母がついに涙をティッシュで何度も拭ったので、耀平はなにも言えなくなってしまった。
母の由実子は、翌日の朝まで滞在して、仙崎に帰っていった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
母が帰った日の夜。ようやっと花南と二人きりになれる。
いつもの通りに、花南のベッドルームで耀平が先に待っている。
ベッドでくつろぐ耀平の手元には、和装のパンフレットが数冊。
花南の和装髪飾りを探していた。和風の顔立ちである彼女だから、あの振袖はとてもよく似合っていた。古典的な髪飾りだと品格があがりそうだった。しかし、近頃の大きな花の髪飾りもなかなか捨てがたい。
まさか、花嫁の衣装を嬉々として選ぶような男になるとは思わなかった。
「あいつが、あれがいいこれがいいと言わないから」
結婚指輪も同じく。花南はどれを見てもぴんとこなかったようで、これまた選ぶに至らず。そろそろ刻印も含めて発注しておかないといけない時期なのに、花南がはっきりしないので保留中。
「花嫁衣装が決まったら、指輪も決められないとは。まったく」
ため息しかでてこない。職人姿ばかりの義妹が、ちょっとお洒落をするとそれは品の良いお嬢様になるというのに。あの義妹は汗まみれになってもよい質素な服で、化粧もしないで、時々頬は煤(すす)だらけ。その時がいちばん輝いて、魂を燃やしている時なのだから……。それが好きな義兄でもあるから、耀平もなんとも言えないまま。
「やだー。外、雪が舞っていたんだよ。寒いはず」
といいながらも、薄い濃紺のガウンを素肌に羽織ってベッドルームに花南が現れる。
「そんな薄着をしていたら、寒いに決まっているだろう。姑が帰った途端に、またいつものそんな恰好をして」
「いつもこうじゃない。どうせ兄さんが脱がしちゃうくせに」
「おまえに会えば、いつも抱こうと思っている訳じゃないからな」
耀平は花南から背を向け、パンフレットを隠すようにして続きを眺めた。
「あっそう。じゃあ、今日はなにもしないでわたしも寝ちゃうからね」
花南がツンとして、それでも薄着のまま自分の寝床に入ってきた。
冷たくされたせいか。花南も背を向けて寝転がっている。じっと黙って動かなくなった。
そんなに拗ねなくてもいいじゃないかと、本当に面倒くさい義妹だなと耀平も呆れてしまうだけ。
だが本当に、会えば毎回抱き合っているだけでもない。ほぼ身体は重ねるが、時には本当に疲れ切って眠ってしまうこともある。耀平だけではなく、ガラスに向き合って精根尽き果てた花南が眠ってしまうこともある。
それでも――。夜中に目が覚めると、花南がぴったりと耀平の腕に掴まるようにして寄り添ってくれていることもある。
天の邪鬼の義妹と、口数少ない義兄。そんな間柄だったから言葉で甘く絡むことはほとんどなかった。その代わり、花南が体温で応えてくれていた。二年も離れていた時、耀平はそうだったんだと独り寝の侘びしさの中、腕に抱きついてきていた義妹の温かみを噛みしめたりした。
そんなことを思い返しながら、なんとなく和装のパンフレットを眺めていた。暫くして、耀平の足が冷たくなる。つま先は温まっている。でも時々、ちらちらと冷たくなる。花南の足先だった。風呂上がりなのに、薄着のせいであっという間に冷めてしまったのだろう。冬になると花南の足は女性らしく冷たいことが多い。
そんな夜は、花南は耀平の身体に足をくっつけてくる。温かい身体の下に足を忍ばせて、温めてとばかりに頼ってくる。
なのに今夜は、耀平と素直じゃない会話をしたばかりで、兄さんの肌を頼るのを遠慮しているのだろう。ちらちらと触れては、離れていってしまう。
それならそれで『寒いの。義兄さん、温めて』と甘えてくれたらいいのに。だが、そこは天の邪鬼な義妹。
仕方がないなあと、耀平はパンフレットを閉じ、ベッドテーブルに片づけた。
背を向けて寝ている義妹の背へと、耀平からぴったりと身体を寄せて抱きついた。
「カナ、冷えているな」
義妹の足へと手を伸ばし、膝を曲げさせて、そのつま先を捕まえる。本当に冷え切っていた。
「いつも炎の前で汗を流しているのに、暑そうにしているのにな」
そっとガウンを肩から滑らせ、艶やかに現れた白い肌に耀平は優しく口づける。その肩もひんやりしている……。
ついに耀平は自分が着ていたシャツを脱いで、上だけ素肌になる。そのまま薄着の義妹を背中からきつく抱きしめる。
「……あったかい、兄さん」
やっとカナが振り向いてくれた。
「温まってから、眠るんだ。俺もおまえも」
そう言って、耀平は義妹の顎を掴んで、さらに振り向かせ強引にくちびるを重ねた。
その匂いに包まれると、まるで『わたしを吸いなさいよ』と強烈な誘惑をされているようで、耀平の理性が薄れてくる。
カナの頬が一気に紅く染まった。そこから彼女の皮膚がしっとり湿ってくるまでそれほど時間はかからない。
いまから重ねる肌と身体、眠る頃には、冷たかったつま先も燃えるように熱くなっているはず……。
熱く睦み合った後のカナの身体は、とろんとして耀平に抱きついている。
そんな義妹を胸元に抱き寄せ、余韻に浸っているカナの黒髪を耀平は何度も撫でている。
すぐそこにある小さな耳に、耀平は囁いた。
「あの振袖に合う髪飾りを探している。おまえに贈るからな」
カナが胸元から耀平の目を見つめてくれる。
「ありがとう。それで和装のパンフレットを見ていたの」
うんと耀平も素直に頷く。
「花南だから、花がいいよな。白い大きな花がいいような気がしている」
白いドレスよりも、黒が似合うと思っていたのに。髪飾りを探している耀平の目にとまるのは、大輪の白い花ばかりだった。
「五月だったら、庭のシャクヤクを髪飾りにできるのにね」
「五月にするか。結婚式」
でも花南は、今度は素直な可愛らしい笑顔で首を振る。
「イヤ。わたし早く兄さんの奥さんになりたいから。本当は明日にだってなりたいのに」
「そう思うなら、早く指輪も選んでほしいものだね」
花南がまた拗ねたようにくちびるを尖らせる。
「指輪がなくても、一生愛してやるよ――て言ってよ」
「はあ? まさかそれを言わせたくて、ごねているのか?」
「指輪がぜんぶ同じものに見えるんだもん。耀平兄さんの好きなデザインでいいよ。わたし、なんでも、兄さんが選んだ指輪をする」
『兄さんが選んだものなら、なんでも受け入れる』とまで言ってくれると嬉しいような、それで本当に良いのか、耀平はまた奇妙な気持ちにさせられた。
「どうしておまえは、結婚結婚、これがいいあれがいいと騒がないんだ」
「騒いでいるじゃない。あれなくてもいい、これなくてもいいって言うと、兄さんもお母さんも『それじゃいけない』って小言をいうくせに」
はあ、この義妹はいったいどうしたいんだと、また現実的なことに頭が痛くなってくる。
なのに、カナはまたぎゅっと耀平に抱きついてくる。汗ばんだ肌をくっつけて、耀平の胸元にきつく吸いつくキスをしてくれている。
「決して、わたしのものにならないと思っていたから。ずっと」
カナが欲しいもの。それは義兄さん。
「カナ……」
もうどうしようもない。俺がおまえを気にする前から、この義妹は俺を愛してくれていたんだから。俺だけは欲しいものだと言ってくれる義妹。
そんなカナを耀平はきつく抱きしめる。いつまでも深く抱いて腕を解かなかった。
そんな時のカナが、一番いい笑顔を見せてくれる。
翌朝。耀平が目を覚ますと、やっぱり義妹は隣にいない。
窯の火入れの時間は、冬の暗い朝でも変わらない。
だがその朝は、窓の外から『ザッザッ』と聞き慣れない音がする。
耀平も脱いだシャツを羽織って、そっとカーテンから外を見た。
西の京が真っ白に染まっている。垣根に駐車していたレクサスも真っ白で、玄関先をカナが雪かきをしているところだった。
また勇ましく、たったひとりで。小樽にもいたし、雪深い山中湖にもいたことがある。雪なんてへっちゃらとばかりの姿だった。
あのように。俺と離れている時は過ごしていたんだな――。耀平は見ることが出来なかった義妹の逞しさを見たような気がした。
「手伝おうか」
耀平もスポーツウェアにダウンコートを羽織って外に出てみた。
「雪国の経験がない社長さんは、来なくていいよ。温かい珈琲を準備して待っていてくれたら嬉しいな。それにこれぐらいの雪だからもうおしまいなの」
言葉通りに、玄関先はもう綺麗に雪は除けられていた。
「工房の入り口をやったら戻るから。熱い珈琲、お願いね」
白い花がふわふわと舞い降りてくる中にいる義妹。いつもの職人の姿に薄いジャンパーを羽織っているだけで、女らしくしているわけではない。でも……。
西の京が白く染まる。今日は瑠璃光寺の五重塔も、丘のサビエル聖堂も真っ白に染まるだろう。
そして義妹も、そこで咲いている。素肌の妖艶な花ではなくて、いつものカナの姿で――。
今日、指輪を決めてこよう。俺が選ぼう。そして、出来上がったらすぐにカナの指にはめよう。
結婚式を待たずに、俺はカナのものになろう。
白い雪花に誘われた日だった。
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