8.わたしを、ひとりにしないで
彼女と睨み合って、耀平は指さし妻に抗議をした。
――好きな男がいたのなら、最初からそう言ってくれたなら良かったんだ。
対する彼女も、耀平に向かって何かを言っている。でも唇が忙しく動いているだけで、何を言い返しているのか耀平には聞こえない。
なのに耀平はまるでその反撃を聞き届けたかのように、また言い返している。
――おまえは航を捨てたんだ。それとも、金子のところに身を寄せた後に引き取るつもりだったのか? どうしてあんなところでハンドル操作を誤った。
もし。あの時、おまえが逃げ切っていたなら。……俺はどうしていたんだろう?
向こうも負けずに抗議をしている。美月の怒った顔。同じ怒っているでも、飛び出していく時の鬼気迫った表情とは異なる。彼女と夫妻として顔をつきあわせていた時の、彼女の普段の顔。どうして彼女がこの顔で不機嫌だった時に、俺は言葉を投げかけなかったのか。本心をぶつけなかったのか。だからこそ――、あの時はほんとうに美月は追いつめられていたんだ。もし、ちょっとでもこうして喧嘩をしていたら、美月は少しずつ自分らしく生きていられたのかもしれない。離婚に至っても、お互いにやり直していけたのかもしれない。でも、お互いに『利口なふり』をして物わかりの良い夫と妻でしかいられなかった三年間だったのだろうか。
――美月、悪かったよ。何が不満か、俺は何を不満に思っているのか話し合えれば良かったかもな。でも、おまえは『癖』について明かしてはくれなかったと思うけれど、金子から離れられないぐらいは教えてくれたかもしれないな。俺が出て行って、金子が倉重を守ってくれる気になるよう美月なら説得できたのではないか? そうしたら本当に血の繋がった親子三人、おまえと金子と航と、本当の家族が出来たのかもしれない。
そんなこと、一度も思ったことがない。これほど惨めなことなどないからだ。でも、いまになってそう思っている。
その惨めさを初めて飲み込んだ瞬間。美月がじっとこちらを見つめている。泣きそうな瞳で――。
当時、流行っていた真っ白なロングスカート。お気に入りのお洒落をしている美月も、急に表情を崩した。
耀平は目を疑う。妻が、美月が深々と頭を下げていた。
そんなこと、頑張って出来るならうんと頑張ってしていたわよ。耀平さん、私のこと『見た目と違って、我が強い』とか言っていたじゃない。欲しいと思ったら、どんなにしてでも手に入れた女だって知っているでしょう。それがどうしても手に入らなかったから、私はこうなったの。貴方のせいじゃない。
そう聞こえた。そうなってほしいという俺の願い?
美月がふっと消えた。
――しないで、兄さん、わたしを、ひとりにしないでよ。兄さん、にいさん。
美月に似た声だけれど、少し違う。その声に誘われるようにして、耀平は目を覚ました。
ぼんやりしていて、何が見えているのかわからない。暗くて、すこしだけほの明るくて。そして、手? が熱い。
ふっと目覚めていつも最初に思うのは。
「カナ」
呟くと、耳元にガタッと忙しい音が響いた。
「に、兄さん!」
カナが立ち上がったのか、耀平の視界に現れる。黒髪も乱れてどうしようもない泣き顔で耀平を見下ろしている。
「兄さん、ひどい。兄さんがいなくなったら、わたし、わたし……」
「あ、そうか。車……事故……」
「せ、先生。呼んでくる。控え室で、お母さんと航も仮眠取っているから、呼んでくる!」
熱かった手がふっと心許なく突き放された気がした。咄嗟だった。その手をきっと花南が握ってくれていたとわかって、見えないのに当てずっぽうに手を伸ばし、もう一度彼女の手を探した。そこに指先に温かな感触があったので、すかさず握りしめた。
「カナ、待て」
ちゃんと力が入って、どこかでホッとしている。この手で、まだカナを掴める――。
「兄さん?」
「……そばにいてくれないか。カナ、おまえの顔……もう少し、見せてくれ」
動転していた様子の花南が、それで少し我に返ったのか。戸惑いながらもそっと耀平のそばに戻ってきてくれた。
かわいい義妹の顔がそこにある。花南は美月のように陽気ではない。澄まして大人しくて、でも末娘らしい我が侭をかわいらしくやってのけるやんちゃさだってある。そのかわいい彼女の顔を耀平はじっとみつめる。
「俺をひとりにしないでくれ、花南」
「兄さん……?」
「俺のそばにいてくれ、花南」
捕まえた手を、花南が涙をこぼしながら握りかえしてくれる。
そんな泣いてばかりの義妹に、耀平はもうひと押し。
「カナ、俺にキスしてくれないか」
泣いていた花南が『はあ?』という顔になった。こんな時に突然、何を言い出すのだ――と。いつもなら、花南がやっている『困った要求』。
耀平は笑って、自分のそばで覗き込んでいる花南の頭をなんとか動く手で抱き寄せる。そして近くにみつけた小さなくちびるに、自分からキスをした。
「に、兄さんたら……」
こんな時なのに、耀平から花南の口の中を力無く吸っていた。
花南が困った顔で、でも離れたくないと思ってくれているのか、彼女からも耀平の唇を愛してくれる。
「もっと、いやらしいやつ、してくれないか。いつものような……。帰ったらすぐにカナを抱きたくなるようなやつをしてくれ」
そう囁きながら笑うと、やっと花南が怒った顔で離れた。
「も、信じられないっ。もう……」
いつもの意地悪なお兄さんじゃない――と、花南が涙顔でむくれている。
その顔に包帯を巻かれている手を伸ばした。
「悪かった。心配させて。でも、ほら……。俺は大丈夫だった」
泣いてしまって何も言えなくなったのか。花南はこくんこくんと無言で頷くだけだった。
「カナ。カナだけだ。こんな俺を、傷ついてまで愛してくれたのは。カナ……、だからもうおまえをひとりになんかするものか」
「うん。イヤよ。兄さんまでいなくなるなんて、イヤ。せっかく兄さんのところに帰ってこられたのに」
痛む首に、それでも構わず花南が柔らかに抱きついてきた。耀平が好きな妹の匂いがする。
そんな花南の黒髪を撫でていると、耀平も落ち着いてくる。
「今、何時だ」
「もうすぐ明け方よ。夜の内にみんなが集まってきてくれて。仙崎のお義母様とお義兄様も先程までいらしたけれど」
「ああ。そうか。いいんだ。兄貴はかまぼこの工場が早いし、母も店舗を手伝っているから」
どんなときでも離れられない自営業の辛さは、耀平もわかっている。
「山口から、来てくれたのか」
「ヒロがここまで連れてきてくれた。舞さんが一人で留守番になってしまうから帰したけれど」
「ここは……萩の病院か」
花南が頷いた。
「本社の事務員のおじ様が、お母さんと航を急いで連れてきてくれた。お父さんは、萩の工房に行ってくれている」
あ――、と耀平も思い出す。
「社長が……。しまった。俺の仕事だったのに」
いつもの反射で起きあがってしまいそうになった。なのに、ひどく頭が痛んで、耀平は否応なしにベッドの枕へと倒れてしまう。
「やめてよ。こんな時に仕事なんて。お父さんだって息子が危ない時だからこそ、普段は手を出さないけれど、いまはお客様が一番だからって駆けつけてくれたんだから」
「おまえも萩の工房に行ったのか」
花南は首を振った。
「お父さんに、邪魔だっていわれた。気が動転している職人は黙っていなさい。それより旦那についていろ……って。あまり怒らないお父さんが。そこだけ怖い声で」
「そ、そうか」
あの義父が対処してくれるなら間違いないだろうと、そこは安心できた。
「まさか。姉さんと同じ海で事故に遭うなんて」
花南がまた昔の辛さを思い出したのか、涙を流し始める。
「警察の人が来て言っていたけれど。海側にハンドルを切らなかったら、あちらの車と衝突して、酷いことになっていましたよ――って。兄さん、よくハンドル切ったわね。切った方向は、海だったのに。怖くなかったの?」
花南だから。耀平は呟いてしまう。
「美月が助けてくれたんだ。きっと」
え? 流石に花南も唖然とした顔になった。
「ハンドルを切ったのは、目の前に女が走り込んできてびっくりしたからだよ。でなければ、驚きで固まっていて、むこうの車と正面衝突だったと思う」
「兄さん、大丈夫? そういう幻覚を見たの?」
花南は真顔で心配している。ああ、やはり言うべきではなかったなと思った。だけれど、警察の話を聞いて耀平だけは確信している。
あの海にいる妻が、守ってくれたのだ――と。
俺に、謝ってくれた。俺も言いたいこと言った。
「ああ、あちらのドライバーはどうなったんだ」
「心筋梗塞だったみたい。あちらも兄さんの車の後ろを少しかすって、ガードレールでなんとか停まった状態だったそうよ。いまICUに入っている」
「そうか。やはり、発作だったか」
「兄さんを巻き込んで……と思ったけれど、あちらのご家族も駆けつけていて。まだ高校生のお嬢様が泣いていた。どうしようもなかったんだって。早くあちらもお父様の意識が戻ればいいけれど」
ホッとしたら、そんな顔を花南が見下ろしている。そして、やっと微笑みを滲ませてくれていた。
「大丈夫そうだね。でも、兄さんも身体全体を強く打っているから検査をして、なにもなければ通院に切り替えて退院できるって――」
「そうか」
突然の事故だったが、なんとか無事に済みそうで安堵する。
花南がずっと耀平の手を握って、耀平の願い通りに寄り添って離れない。
それでも、もうすぐ婚約する義兄がたいしたこともなかったと安心したのか、花南が微笑んだ。
「先生を呼んで、航を連れてくるね」
すっとベッドを囲んでいるカーテンをくぐって出て行った。
静かだった。数人用の病室のようだが、同室に人がいる息づかいも気配も感じられない。
――カナちゃん、ほんとに大丈夫だったのかよ。
――うん。いつものお父さんだったよ。大丈夫。
そんな声が聞こえてきて、耀平は起きあがりたいのに起きられない姿勢のまま、息子の姿を思い浮かべて待っている。
泣かれるかな。大人ぶった様子を見せるようになったけれど、まだまだ心許ない子供だから。そう思いながら。
カーテンがさっと開いたかと思うと、眼鏡をかけている息子が突き進んできた。
頭と腕に包帯を巻いて、患者服で横たわっている父親を見下ろして、やっぱり泣きそうな顔で見下ろしている。
「航、大丈夫だ」
そこにあるだろう息子の手も探した。もう父親である自分の手と大きさが変わらなくなった手を――。
なのに、急に航が眉間に濃い皺を刻み叫んだ。
「なにしているんだよ! やっとカナちゃんと結婚できる時になって、なにしているんだよ! カナちゃんがまたひとりになるところだっただろ!!」
「わ、航。な、なにいっているのよ」
花南も仰天している。そして耀平も。自分が悲しくて、俺を一人にするのかと、泣き出すかと思っていたのに。
「しかも、母さんが死んだ海で父さんもなんてシャレにならないだろっ。どっちもいい加減にしろよ!」
そこでやっと航が眼鏡を取って、涙を拭いた。
ああ、こいつ。大人になってきたんだな。そう感じた。自分よりも、カナのことを心配して。それから自分のことを伝えて。
耀平は溜め息をひとつついて。やっと探していた息子の手をみつけて、そっと握りしめた。
「航。この機会だから言っておくな。もし俺になにかあったら、カナとお祖母ちゃんのこと頼んだぞ」
航がびっくりした顔をした。
「大人になったな、航。早く一緒に仕事をしような」
今度はいつもの子供の顔で、航が泣きじゃくった。
それでも、そこはもうただの子供じゃない。
「俺。父さんから、ガラス工房を引き継ぐんだ。俺の会社にするんだ。俺が職人さんを守る。ヒロ君もカナちゃんも、萩の親方も」
「なんだと。父さんが一から自分で作った会社だ。そんな簡単にやるもんか。……でも、それも頼むな。職人が居られる場所というのは多くはないし、彼等には技巧を磨くことに専念してほしい。マネージメントは営業の仕事だ」
「わかってる。カナちゃんが引き継いだら、絶対に潰れるから」
父と息子の真剣な話に、神妙に控えそっと涙を流していた花南が、感動から目が覚めてしまった顔になる。
「え、なにそれ。航ったら!」
「だってカナちゃん。経営できないだろ。ガラスに没頭して適当にしちゃうだろ」
「そ、そうだけど」
可愛い甥っ子に言われ放しの花南をみて、つい耀平は声を立てて笑ってしまった。
ベッドの上で笑った耀平を見て、航と花南が揃ってまた泣きそうな顔になったからびっくりしてしまう。
「な、なんだよ。二人揃って、そんな顔するなよ」
「だって。父さんが楽しそうに笑うから。ほんとうに、大丈夫なんだって」
「そうよ。兄さんたら、いつも仕事の難しい顔をしているのに。笑うから」
それは。おまえ達が俺のそばにいてくれるからだよ――。言いたくて、照れくさくて案外素直に言えないものなのだなと耀平は思ってしまった。こんな時だから言えばいいのに。もう笑ってしまったら、それでいいような気がした。
「先生。こちらです」
またカーテンが開いて、今度は着物姿の義母が駆け込んできた。
「お義母さん」
「耀平さん! もう、びっくりさせて! なにかあったらもうどうしようかと思ったわよ。許しませんよ、私より先に逝ってしまうのは。娘だけでなく息子にまで置いていかれるだなんて絶対に嫌よ」
花南よりも激しく泣き崩れて、ベッドにすがってきたので、これはこれでまたびっくりしてしまった。
「お義母さん。すぐに帰りますから」
そんな義母の肩を耀平は宥めた。
医師が義母をそっとのけて、耀平を診察する。
事故での負傷はほんどなく、擦り傷と打ち身、足を少し捻挫していること。頭の検査をして異常がなければ、二、三日で退院できるとのことだった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
耀平が意識を戻して安心した義母と航を、花南が付き添っているからと説得して豊浦に帰した。
昼頃になると、実家の仙崎から耀平の兄と母親が見舞いに来て、こちらも怒りながら、でも安堵の顔になってくれた。
これから実家の家族に改まって紹介しようと思っていたのに、滅多に会えないからと花南が『これからお世話になります』と妻になる身として丁寧に挨拶をした。
すでに知らせてるとはいえ、兄はともかく、耀平の母は少し複雑そうだった。
母は美月をとても気に入っていて、耀平の婿入り結婚に満足をしていた。これはまったく意図はしていなかったことだが、結婚後、まだそんなに倉重の仕事が馴染んでいない新参者だったのに、ギリギリで経営していた実家のかまぼこ工場と店の援助を義父がしてくれていた。
やがて実家の家業はまた軌道に乗った。いわば、義父の手腕で経営難を解消してくれたのだ。そういう恩を母は倉重に持っている。
だけれど、花南は妻だった美月の妹。田舎でまっすぐに家業を手伝ってきた母には、そういう『義理を壊す』というのはどうも納得できないようだった。
「悪いけどな。母ちゃんと耀平の二人にしてほしい」
見舞いに来た母の突然の言葉に、兄がちょっと心配そうな顔になり、花南は花南で姑としっくりしないことを既に感じ取って残念そうな顔をしている。
兄が花南を連れて、外に出て行った。
それまで花南が絶えず、そばにと座っていた椅子に母が座った。
「耀平。あんた、もう無理な結婚はやめなさいよ」
「どうして。無理なんかしてない」
母がため息をついた。
「跡取り娘の美月さんが亡くなって、あんた必死になって倉重に残ろうとしてがむしゃらに働いていた時があったやろ。あの時、すごく痩せた。航の為だったのはわかるけれど、うちは、航を連れて倉重を出て戻ってきてくれてもぜんぜん構わなかったのに。そちらのお父さんが実家を援助してくれたことを恩に感じてやめられんかったんかなって」
「母ちゃんが思っていることと全然違う。俺も思ったことがある。いずれ航は倉重に返すとしても、仙崎で宮本の姓に戻ってのんびり育てたらいいって。でも、やっぱり出来なかった。俺、倉重の仕事がしたかったんだ」
そのおかげで副社長として飛躍することができ、義父に認められ『やりたい事業を興してみろ』と薦められ、ガラス工房を作ることが出来た。
そこで、義理の兄妹ではない、花南との絆が出来た気もする。職人と経営者という繋がりで、ガラスに邁進する義妹のそばにいて一緒に歩いている気になれた。
なのにそこで、また泣かれる。
「耀平。知っているんだよ。美月さんとあまり上手くいっていなかっただろ。兄ちゃんも気がつていたよ。やっぱりお嬢様が気まぐれで決めた、仕事と家のための結婚にすぎなかったんだって心配していたんだよ。あんたのことなんて、家を守ってくれる働き手ぐらいにしか思っていなかったんだって。そうしたら、あんな最悪なことになって」
兄がセックスレスの話を酒の席で冗談めいて笑い飛ばしたことを思い出した。そうか。あれってやっぱり兄ちゃんは気がついて話題にしていたのかと――。
「今度は花南さん? あんたがガラス工房を作ってくれたから、銀賞作家になった彼女はあんたとお兄さん以上にして手放したくないとか。それもまた、航のためとかいわんでよ。仕事、仕事てかけずり回って、とうとうこんな事になって」
「母ちゃん。今回の事故は俺が起こしたものではなくて、巻き込まれたほうなんだから。仕事のせいじゃない。それから、花南のことはな」
花南のこと。義理の妹だった花南のこと。これだけは母に言っておかなくてはならない。
「カナだけなんだよ。母ちゃん。俺が兄貴の時から、ずっと誰よりも俺のことを想って、俺のことを守って、じっと黙って耐えてくれていたのは。いまも、カナだけだ。俺のそばにずっといたいと泣いてくれるのは。俺もカナにそばにいて欲しい。いちばん辛い時を、カナと生きてきた。航を一緒に愛してくれた。だからこれからも、ずっと三人でそうしていきたい」
そう言った途端。母が呆れた溜め息をついて、暫く耀平を静かに見つめていた。
「はあ、珍しいな。耀平がそんなあつーく自分の気持ちを語るなんて」
母にそう言われると、この歳になっても息子として恥ずかしくなり耀平の頬と耳が熱くなった。
「航とカナを連れて、今度は仙崎に遊びに行くよ」
「そうかい。結婚した頃、あんたと美月さんはお似合いだったし、あんたも夢中だったし。それに美月さんはいいお嫁さんだったよ。そりゃあ、出来すぎってくらいにね」
「その『出来すぎ』が、美月を追いつめていたんだよ。彼女は、もっと気を抜いた生き方をしたかっただろうし、もっと自由になりたかったはずなんだ」
それを聞いた母が、ようやっと何かを悟ったようにして目を丸くした。
「もしかして。それが……原因?」
「ああ。あの時はわからなかったけれど、いまはそう思っている。だから、出来すぎる嫁なんて期待しないでくれ。それにカナは職人だから、母ちゃんのような年配が思い描く理想の嫁とは違うから。頼むな」
「なんやの。母ちゃんが嫁イジメするみたいな言い方するな」
「さっき。しそうな顔していたじゃないか。あれでも、カナは芸術家肌で敏感で繊細なんだ。あ、でも職人気質で世間に無頓着なところもあるかな。でもカナはやっぱり美月の妹。出会った時は子供だったけれど、最近は姉とそっくりな、しっかりとした品格を見せてくれるようにもなったよ。それでも堅苦しいことには自由だから、きっと母ちゃんとも肩肘はらずにつき合えると思うんだけれどなあ」
また母が溜め息をついた。
「はいはい。わかりました。ようは、あんたは花南さんに惚れているってことなんだね。はいはい。いいんよ。耀平がほんとうに望んだ女性なら。それに花南さんなら、航の叔母さんでもあるから、ちゃんとしてくれるだろうしね」
「最近は、航の方がカナよりしっかりしてきたけどな」
なんていうと、自慢の孫のこと。母が『そうなんだ。将来有望だね』と笑い出した。
この母と航は血縁ではない。そして母はそれを知らない。美月のしたことも……。この人には絶対に言えないなと耀平は思っている。
「そうだね。耀平のことを、なによりもいちばんに想ってくれる女性じゃないと、母ちゃんも任せられんわ。母ちゃんじゃなくて、一緒にいてくれる女性がいた方がいいもんね」
母も納得できたようだった。もしかすると、ただ報告に行くより、腹を割って話せていい機会だったような気もした。
『安心したよ』と、母と兄も実家に帰っていった。最後に母が、ようやっと花南に『息子を頼みます』と頭を下げているのを見て、花南は戸惑っていたけれど、耀平はホッとした。
―◆・◆・◆・◆・◆―
なんだろう。美月に会ったような気がした事故からこちら。家族が集まってくれて、そうして今まで話せなかったことを、言えなかったことを交わし続けている。
花南と結婚する時になって。いま、言えることだけでもいいから伝えておけ――とばかりに。やはり、美月の仕業?
昼過ぎになり家族が帰って静かになると、花南が椅子に座ったままうとうとしはじめた。
花南が横になれるところがなく、耀平はそれが気になってしようがない。ソファーのひとつでもあればいいのに。個室があるなら移りたいと思い始めていた。
またカーテンの向こうに人影。
「耀平。遅くなってすまない」
義父。倉重雅晴が、スーツ姿でそこにいる。白髪の品の良い紳士という風貌の花南の父親がやっと来た。
「お義父さん。すみませんでした。俺……、こんなになって……」
わかっているけれど、起きあがれないのに起きあがろうとした。
だけれど、雅晴が『しっ』と立てた指を口元にもっていく。その目線には、座ったままうとうとしている娘の花南をみつめていた。
「いまのうちに個室を取ってくるよ。後でまた来る」
いつもの颯爽とした身のこなしで、義父はまた姿を消してしまった。
個室を取ってくれる。こういう手際の良さは事欠かない、穏やかに見えて、心の中は時に冷酷で。でも、憧れの尊敬する上司。
その義父との、父と養子としての日々を思うと――。
今から話すことがどんなことか。気が重い。
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