生存 ≪10≫

神の正拳ゴットリッヒ・ファウスト

 そう隻眼の男が呟くや、蹴斗の目の前を黒い影が横切った。

――何だ?

 蹴斗の動体視力は置き去りにされる。

 直後、その影はした。

 それは、瞬時に数メートル吹き飛ばされた、哀れなごろつきであった。

 隻眼の男が繰り出した拳の軌道は、蹴斗の目に追い切れるものではない。まさに早業。ようやくその残像に蹴斗の目が追い付いた頃には、既に二人目以降の犠牲者が、無慈悲な隻眼にロックオンされていた。

無情なる懲罰グナーデンローゼ・ベシュトラーフォン

死神の悪意ディ・ボスハイト・デ・センスマンス

 何重にも繰り返し唱えられる技名の度に、ごろつき連中は一人、また一人と宙を舞う。まるで、小汚いワルツか何かを踊っているかのように。

「スゲー」

 興奮を抑えきれない様子で、ハンスが感嘆する。それまでの小難しい話に退屈しきっていた子供は、勢いテンションをぶち上げる。そもそも、大陸標準語で交わされた会話を、ハンスは理解できていなかった。一方、隻眼の男が右ストレートを繰り出す度に唱えられる技名は現地語であったため、ハンスの心をガッチリと捉えたのだ。

「ドモホルンリンクル」

 蹴斗も調子に乗ってそう叫びながら、足下に転がるごろつきに死体蹴りサッカーボール・キックをお見舞いする。ハンスもそんな師匠の姿勢に倣い、

超攻撃ズーパー・アングリフ

 とか言いながら更なる追撃を繰り出す。頭部への踏みつけストンピングからギロチン式ニードロップへと至るコンボだ。

 そうこうしているうちに、大勢は決した。

 敵わないとみるや、残ったごろつきどもは尻尾を巻いて逃げ出したのだった。

「おいコラ、こいつを回収してお行きあそばし」

 地べたを這うごろつきの一人を足蹴にしながら、蹴斗が逃げたごろつき連中を背後から怒鳴った。

 そこへ隻眼の男が、冷静な口調で割って入る。

「いや、念のために人質に取っておこう」

「こんなクソ下っ端風情に人質としての価値がおありかしら?」

 思いがけない完勝に気を大きくした蹴斗が偉そうに問う。

「使えなかったらその場で屠ればいい。煮るなり焼くなりすれば、食うことも出来るだろう」

 蹴斗は己の耳を疑う。

――今こいつ、人を食うとか言わなかった?

 思わぬ人肉食カニバリズム発言に蹴斗はドン引きを隠せない。しかし、隻眼の男の目は本気マジだ。片方しか眼球が残ってない分、目つきの本気度はむしろ高い。

 間違いない。これは食ったことのある人間の目だ。本能でそう察知した蹴斗は、ただ苦笑いを返すのが精一杯であった。


 そうこうしているうちに、日も暮れかかってくる。一次予選の全日程を消化し、表彰式やらバトルやらで時間をとられた結果、夕暮れを迎えてしまった。

 街に宿屋でもあればそこに泊まって、翌日に帰路につくというのが無難かなあと、蹴斗はついさっきまでは考えていた。だが、どうも先ほどの襲撃事件を勘案するに、この地域にはきな臭い連中がまだウヨウヨしているように思われた。取り逃がした連中が仲間を集めて、更なる危害を加えてこないとも限らない。

『隻眼の男を用心棒にしろ』

 と将斗は頭の中で主張するが、人肉食べる人をお供にするのはちょっと……と蹴斗は及び腰である。

 しかしながら、隻眼の男が次に取った行動が、彼ら一行に選択権がないことを露骨に示すこととなった。

「失礼」

 そう隻眼の男が声をかけた相手は、シスター・エルネスティーネだった。彼はおもむろにシスターの腕を掴むと、身柄を拘束するように後ろ手に縛り上げた。

「ちょ、あなた。それは何のプレイですの?」

 蹴斗の抗議に対して、隻眼の男は冷静に答える。

「この女は教会関係者だ。敵方のスパイという可能性も考えられる。連中がこうして動き出した以上、こちらとしても、このまま教会の手先をおめおめと逃がしてやるわけにはいかん」

「まさか、悪戯いたずらなさるおつもり? エロ同人みたいに!」

「何、大人しくしてさえいれば、命までは取らない。取りあえず、俺たちのアジトまで同行してもらおうか」

 悪戯するというポイントを否定しなかったことに一抹の不安を覚えつつも、この女も食べるとか言い出さなかったことに蹴斗はひとまず安堵する。

「シュート、取りあえずこの人のアジトに向かいましょう。ところで、エロ同人とは何なのですか?」

 シスター・エルネスティーネが、穏やかな口調で蹴斗に問いかけた。その表情からは、あんなことやこんなことをされるかも知れない、などといった恐怖は微塵も感じられない。知らない方が幸せなこともある。蹴斗は、仏心から彼女の質問を黙殺した。

 こうして一行は、宵闇の中、森の奥にあるというアジトを目指すことになった。幸い蹴斗らは荷馬車を所持しており、移動は滞りなく行われた。


 アジトへの道中、蹴斗はこれまで気がかりであったいくつかの点に関して、隻眼の男へ質問することにした。脳内で将斗が訊けとやかましかったからでもある。

「Q.あなた、『サッカー蠱毒』という言葉を聞いたことがあって? ガキの親、じゃなくて継父? とにかくそのグスタフとかいう野郎がそこにぶち込まれているらしいですのよ」

「A.南方の奴隷商が始めた見世物だ。向こうじゃコロセウムに真剣師崩れのサッカー奴隷を集めて、ポイントと命を賭けた対局をさせる。そこで一定以上のポイントを稼いで負債を完済したら、晴れて自由の身になれる、という話だ。規模は劣るが、最近ではこの辺のキャラバンでも似たようなことが行われているらしい」

「Q.グスタフが奴隷落ちするきっかけとなった裏サッカーとサッカー蠱毒の違いは? ってか、そもそも裏サッカーとはなんぞ?」

「A.端的に言えば、サッカー蠱毒は裏サッカーの一形態といえる。裏サッカーの中でも、構成員がほぼ奴隷という蠱毒は最底辺のリーグだがな。そして、表サッカーと裏サッカーの違いは、公的にギルドが出資しているかどうか、だ。裏サッカーでは非合法な取引が行われるために、大会によっては動く金の桁も違ってくる。一方で、裏サッカーに手を染めた真剣師は、表サッカー界からは基本的に疎まれ、排斥される」

「Q.そんな裏サッカーにどっぷり浸かって排斥されているべき輩が、世界杯予選に参加しているってどういうこと?」

「A.世界杯は、ギルドの主催ではないからな」


 そうこうしているうちに、一行は一軒のあばら屋の前に到着した。

 そこには一人の男が、一行の到着を予見していたかのように待ち構えていた。隻眼の男ほどにはないにせよ、それなりに鍛えられた体躯をしている、中年男だ。彼は無言で荷馬車の手綱を受け取ると、蹴斗たちに荷台から降りるように促す。どうにも逆らってはいけない雰囲気なので、蹴斗は言われるがままにすると、男はそのまま荷馬車をどこかへ引いて行ってしまった。

「しばらく預かるだけだ」

 蹴斗の腑に落ちない表情を読み取ってか、隻眼の男が悪びれるそぶりを一切見せずに弁明した。そのくらいの弁明はジャイアンでさえするだろうが、相手は人食いジャイアンみたいなものなので蹴斗は沈黙を貫いた。

 次いで男は、目の前のあばら屋へ向かうよう、蹴斗たちを促した。どうやらここが件のアジトのようである。予め場所を知っていなければ容易に見落としてしまうような、うっそうとした茂みの奥に、それは隠されていた。灯りは点っておらず、人の気配はない。

「取りあえず、入れ」

 隻眼の男が無愛想に案内し、扉を開ける。部屋の中はすすほこりまみれで、人が住んでいるとは思えない雰囲気だ。

「ハァ? これがアジトか? 誰も使ってないみたいだが?」

 ハンスが露骨に顔をしかめる。

「当然、これは偽装だ。……そもそも俺は、当初からこんな小屋を建てる必要は無いと主張したんだがな。雪に覆われたりすれば入り口が分からなくなると言われ、まあ折れることにした。これは、そういう小屋だ」

 そう言うと、隻眼の男は木の床に手をかけた。地下へと続く入り口が隠されていたのだ。

「ようこそ、我が組織『アルト・バイエルン・ミュンヘン』へ。ハンス少年。君は北帝直轄領下で行われた一次予選において、ギルド側に所属する唯一の生存者サバイバーであり、我々に残された最後の希望だ。君ら一行を歓迎しよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る