生存 ≪9≫

 敗者復活戦が行われた一次予選二日目の会場の雰囲気は、昨日のそれとはまるで違っていた。少なくとも、仮称・痴漢の一件を除けば、蹴斗の目にはどこか牧歌的とさえ映った会場のノリは、一転して阿鼻叫喚の地獄めいた、非常に感じの悪いものになり果てていた。

 後がない敗者復活戦で負ければ、参加者たちはそのまま皆普通の生活に戻っていくだけなのだろう、と蹴斗は思っていた。確かに、中にはそういう者もいただろう。いや、大半の参加者はそうであるに違いない。しかし、そいういった比較的棋力の低い参加者は、敗者復活戦でも比較的早期の午前中に姿を消していたのだ。

 ハンスの意見によると、敗者復活戦の後半以降に残っている参加者は、下位の真剣師がほとんどであると言う。七段ゴールド以上の真剣師が一次予選を免除されることを考えれば、妥当なラインと言えるだろう。下級真剣師とはいえ、彼らのサッカー世界杯に賭ける思い入れが他の一般参加者とは大いに異なるというのは、うなずける話ではある。

 しかし、投了後に泣き出す者、駄々をこねる子供のように地面を転げ回って号哭にむせぶ者、果ては泡を吹きながら失禁・痙攣して担架で運ばれる者が現れるに及ぶと、蹴斗も流石に閉口するのだった。

『サッカー蠱毒で、百をくだらないサッカー奴隷が命を落とした。そいつらの恨みを一身に背負って、俺はこの場所にいる。これからはそんな手合いばかりになる。覚悟しておくんだな』

 とは、昨日の仮称・痴漢の言葉である。そんな展開が訪れるのはもう少し先だと高を括っていたばかりに、蹴斗も認識を改める必要があると再確認する。昨日の雰囲気が牧歌的に思えていたのは、ひとえに蹴斗が鈍感すぎたからなのだろう。そして昨日までの彼らにはまだ敗者復活戦が残されており、まだ全てを失い発狂するには早過ぎたというだけの話だったのだ。

 そうこうするうちに、ハンスと対局する相手が決まる。痩せこけた頬に濁りきった目をした、病人のような男だ。なるほど、仮称・痴漢とよく似た雰囲気だ、と蹴斗は思う。

「こいつも、邪神教会に魂を売り渡した可能性があるわね。気をつけるのよ」

「分かってる」

 ハンスと短い言葉のやり取りを交わし、ピッチへと送り出す。

 これまでのハンスが抱えていた弱点と思しき、未知の奇襲戦法に対する対応は、今朝までみっちりやってきた。ハンスのレベルの棋力になると、定跡の手順を単に覚えるだけではなく、一手一手の意味するところ・狙いまでもがすんなりと理解できるので、学習効率は極めて良好だ。

 恐らく負けることはないだろう、と蹴斗は予測する。それでも、イレギュラーはいつどこからやってくるか分からない。例え自分なら対処できるようなアクシデントがあったとしても、それを乗り越えなければならないのは、目の前の十歳児なのだ。

 複雑な思いを抱えながら、蹴斗は対局が開始される様子を祈るように見守った。


 結論から言うと、ハンスは危なげなく三連勝を果たし、一次予選突破を決めた。また、前夜の奇襲対策も奏功し、対処を誤ることなく相手を料理することができた。ただし、ここでも相手が、本来この時代に存在したとは考えられていなかった奇襲を繰り出してきたことは、蹴斗を大いに不安にさせた。対局相手の三人が三人とも、別々の奇襲戦法を繰り出してきたのも、問題の根が深いことを窺わせた。後が無くなった彼らが、何らかの方法で知り得た奇襲戦法にすがらざるを得なくなった、というのは理解できるのだが、逆に奇襲戦法同士が対戦したらどうなるのだろうという詮のない疑問も蹴斗の頭をよぎる。

 そんな蹴斗と同様に、ハンスもハンスなりに、この状況に違和感を感じているようであった。

「マジで、この会場だけでも、どんだけ邪神教会のヤツらが潜んでるんだ?」

「あなた、滅多なことを口にするのではありませんよ。誰が聞き耳を立てているのか分かりませんから、お気を付けあそばせ」

 すっかり邪神教会説を信じ切ってしまっているハンスに話を合わせる煩わしさは残ったものの、取りあえず一次予選を勝ち残ることができたのは収穫ではあった。

「フォフォフォ、おめでとう」

 と言いながら近づいてきたのは、バルシュミーデ司祭である。彼は今予選の主催を務めた人物であり、ハンスをねぎらい、表彰する立場にあるのだろう。その面持ちを見るに、表面上はにこやかな微笑みを浮かべていたものの、こめかみに浮かび上がった怒張した青筋が、彼にとってこの結末が不本意であることを雄弁に物語っていた。

 バルシュミーデ司祭が型どおりの祝辞を述べ、会場に残っていた数少ない聴衆が(敗退者の多くは午前中で帰ったか、発狂して退場させられていた)、まばらな拍手をハンスに送る。次いで司祭は、小さな割印付きの二次予選参加証をハンスに手渡す。

「くれぐれも、なくさぬよう。夜道でそれを狙う野盗などにも気をつけるように」

 などと、脅しともつかない注意をされ、ハンスはばつが悪そうに頷いた。これで終わりかと思いきや、バルシュミーデ司祭はさらに一枚のビラをハンスに手渡した。

「二次予選の会場は州都となっておるが、開会一週間前に、フレジエ司教がお越しになり、ありがたい基調講演をなさる予定ですぞ。さらに一次予選を突破した希望者には、格安で教会直伝の臨時道場での受講が許されるぞい」

 ビラに書かれている内容から察するに、基調講演自体はタダだが、臨時道場と銘打たれた集まりに参加するためには30グルデン金貨が必要であるようだ。ざっと奴隷一人買うことができる値段であり、ハンスの証言を元に計算するに上位真剣師の半年分の稼ぎに匹敵する。なかなかの暴利である。

「考えとくわ」

 とハンスが気のない返事を返すと、一瞬、バルシュミーデ司祭の青筋がピクリと脈打った。これ以上この二人を面と向かわせておけば藪蛇になりかねないので、蹴斗はそれとなくハンスをその場から引きはがした。


 かくして、前日の盛り上がりが嘘のような閑散とした閉会式が終わると、蹴斗、ハンス、およびシスター・エルネスティーネの三人は帰り支度を始めることとした。

 そこで一行は、見知った顔を見つけることとなった。隣町のサッカー場の受付にいた、隻眼の男だ。彼は、蹴斗たちの姿を認めるなり近づいてくる。

「お前ら、大変なことをしでかしたな」

 開口一番、隻眼の男は大陸標準語で物騒なことを言った。以前会ったとき、蹴斗が大陸標準語しか話せなかったことを覚えていたのだろう。

 これまでの一連のやり取りから察するに、確かにバルシュミーデ司祭の態度から察するに司祭の気分を害したことははっきりしていた。だが、それがどう大変なのか得心のいかない将斗にけしかけられた蹴斗は、男に説明を求めた。

 隻眼の男は、警戒するかのように周囲を見渡し、おもむろに話し始めた。

「あいにくと、この一帯はサッカーギルドの勢力が弱く、教会の縄張りなんだ。あいつらのシノギに横やりを入れると、ろくなことにならない」

「シノギとな?」

「お前らも、サッカーの利権団体と言えば教会派のFIFAと、ギルド派のESAがあることくらいは知っているだろう。FIFAの元締めがプニエ公国のフレジエ司教で、エルミリア大陸全土に影響力を及ぼしている。一方のESAは、エルミリア大陸に留まらず東大陸にまで支所を持っており、噂によると、東インダス会社とのコネクションさえ持っているらしい。ESAは各地のサッカー場から寺銭を徴収できるが、主に道場を経営している非営利団体であるFIFAから見ると、どうもそれが面白くない」

「南無三」

 頷きながら、蹴斗は事前に調べてきた史実と基本的に隻眼の男の見解が一致していることを確認する。フレジエ司教は、後世に創作された四聖祖ものの作品の中でも、旺盛な金銭欲並びに名声欲を発揮している。

「ESAの最有力理事にセルジュ・グーブリエという豪商がいて、サッカーを普及させるために東の方へかれこれ3年は出張っている。その隙を突いて、フレジエ司教とその手合いが、地元に残ったESA加盟員を次々と籠絡している。俺は、一サッカー場を預かる者としてそれを看過できず、こうしてその動向を見回っているという訳だ」

 隻眼の男が、大きなため息をつく。つまり、端的に言えばサッカーギルドの運営に対して教会が口出しをしていると言うことだろう、と蹴斗は納得する。なるほど、一次予選を教会関係者が取り仕切っていたこととも辻褄が合う。

「して具体的に、拙者がどう連中のシノギを妨げたのでござるのか?」

「フレジエ研究所ラボ」忌々しく吐き捨てるように、隻眼の男が呟く。「俺たちも最近になってようやく突き止めたんだが、どうも連中は高名な真剣師の対局などにちょくちょくと修道士を送り、棋譜をそらんじさせては研究所に持ち帰らせているようだ。それをフレジエ司教ら高僧が検討し、独自のサッカー理論に仕立て上げ、編纂しているのだろう。教会関係者は、その内容をかいつまんでは必勝法テキストなるビラを作り、下級真剣師に暴利で売り捌いている。州都で行われる臨時道場なるものも、その一環だ。フレジエ司教の基調講演に至っては、自己啓発カルトセミナーみたいなものだ。要は――」

 と、そこで隻眼の男は一呼吸を入れ、蹴斗の眉間に向かって指さした。

「お前らは勝ちをさらってしまったんだ。有り金を叩いて必勝法にすがった、哀れな下級真剣師からな。これは、教会の体面をつぶしたに等しい。それに加えて、お前らは司祭から提示された基調講演並びに臨時道場への誘いを袖にした。つまり、これ見よがしに敵対を宣告したようなものだ」

 隻眼の強面にそんなことを言われたら、流石の蹴斗も相当にヤバいことをしでかした気分になってくる。邪神教会が云々という与太話にも劣らぬスケールで危険が迫っているとなれば、その心中は穏やかではない。

 しかしその一方で、脳内では将斗が反論しろと怒鳴り立てているので、仕方なく蹴斗はそれを代弁する。

「いや、でも、勝つためには仕方ないというか、そもそも勝つことが目的の大会で、勝って何が悪いのでござるか?」

「これは善し悪しの問題ではない。ブアッソ(この時代・地域におけるマフィア・ヤクザの意)に喧嘩を吹っかけて正論が通じるものか、その身を以て試してみるか?」

 いよいよシャレにならない返答に、蹴斗は困り果てた。正論の通じない相手に喧嘩を吹っかけてしまったことは、知らぬ間に既成事実と化していたようである。

「おっと、噂をすればなんとやら、だな」

 隻眼の男が呟く。

 蹴斗が周囲に目を配ると、薄汚い身なりをしたごろつきのような男がざっと十人ばかり、遠巻きに蹴斗たちを取り囲んでいる。大会参加者に、このような連中はいなかった。彼らは、手にダガー・鎖鎌・鉄製の鉤爪といった武器を携えていた。

「キヒヒ、よくもさっきは調子に乗ってくれたな、とバルシュミーデ様は仰っている」

 ごろつきの一人が、あっさりと黒幕の名前を吐いた。知られても構わないだろう、どうせこの場で殺すのだから。蹴斗が、相手の思考を勝手に深読みして青ざめる。

 逃げ場はない。

 襲われれば命を落とすことになるだろう。命乞いして奴隷にでもしてくれればまだ幸運な方だ、と蹴斗は己の状況を見積もった。

 この状況においてハンスやシスター・エルネスティーネは、まるで役に立たないだろうことは分かりきっている。薪さえもろくに割れないようなヤツらだ。もちろん、蹴斗自身が戦えるわけでも薪を満足に割れるわけでもないのだが。

 もし仮にこの窮地を脱することが出来るとするならば、隻眼の男の戦闘力に賭けるしかなかった。人数的にも武装レベル的にも蹴斗側が大層不利であるが、見た目のヤバさなら隻眼の男がこの中では三馬身のリードをもって独走している。北斗の拳に出てくる敵にたとえるなら、その風体はスペード(序盤に出てくる中ボス)程度だが、それでも名もなきモヒカン(雑魚)レベルの連中に較べれば百倍マシだ。

 そんな蹴斗の期待に応えるかの如く、隻眼の男が身構え、呟く。

「死にたいヤツはかかってこい」

 格闘系のマンガに慣れ親しんだ蹴斗の感覚からすると、あまりにもありがちなその売り言葉に対して、周囲の武装集団は容易くも激高し、闘いの火蓋が切って落とされたのだった。

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