生存 ≪7≫

 七月四日、蹴斗、ハンス、およびシスター・エルネスティーネの一行は、近隣で最も栄えている宿場町の一角で朝を迎えた。

 基本的に物流コストが高く、諸侯が通行税を取るなどして人の行き来も滞りがちだった年代ではあったが、サッカーギルドとして急成長を遂げたESAの計らいで、真剣師やW杯参加選手の旅は手厚くサポートされていた。とはいえ、いくら宿場町でも数百人になんなんとする選手全員を収容できるだけの宿はない。

 よって三人は、所属する集落から貸し出された荷馬車を、キャラバン隊などが使用する野営地に停めて夜を明かした。荷馬車の荷台と粗末なテント、あとは蹴斗が未来から念のために持ってきたお一人様用ビニールテントが、一行の寝床であった。周囲には同じ目的で設営されたテントが所狭しと並んでおり、蹴斗にとっては何とも異様な光景を呈していた。

 極貧育ちのハンスが野営になれているのは予想に違わなかったが、シスター・エルネスティーネが事もなげに野宿のスキルを披露して見せたことは、蹴斗にとって軽い衝撃だった。

 訊けば、かつて彼女が数名の修道女と連れだって、聖地巡礼の旅に出たときに獲得したスキルだという。蹴斗の友人にも、聖地巡礼と称して大洗や沼津などに小旅行する者はいたが、この時代には当然電車などはなく、その行程で野宿をする必要があるわけだ。昔のオタや信者は大変だったんだな、と蹴斗は認識を新たにする。

 ともかくこの日、一次予選が幕を開ける。

 朝日とともに、近隣の教会を統括するバルシュミーデ司祭が、大会参加者に炊き出しをするために野営地に鍋を並べた。情報を聞きつけた多くの選手およびその付き添いが、大挙して列を作ることとなった。

「でもどうせあのクソ不味い豆を煮た汁か何かでございますわよね。ワタクシ、そろそろ肉の味が恋しくなってきたざます」

 蹴斗が我が儘を言うと、ハンスが怪訝そうな表情で反論する。

「言っておくが、ネズミは捕ったもの勝ちだからな。師匠といえどこればかりは譲れん」

「キィーッ! 齧歯類なんて真っ平ごめんですわ。フォアグラを持ってきなさい。ペルドロー・ルージュのロティジビエに季節の野菜を添えてでもよろしくてよ」

 そんな風に不平をこぼしながらも、蹴斗はちゃっかり列に並んで椀をゲットした。そしてそれが煮豆ではないことに気づいた。目の細かい粥のような粘稠な汁だ。

「セモリナのポリッジか、朝からこんなご馳走にありつけるなんてラッキーだぜ」

 ハンスはその汁をはしゃぎながらかき込んだが、粗食の鉄人であるこの少年の言葉を蹴斗は信用していない。生雑草サラダに骨付きネズミの炉端焼きを食って育ってきたような子供だ。ハンスが屋根裏部屋でネズミに遭遇すると、まるで食糧にでも出くわしたような表情になるのは蹴斗を大いに閉口させた。

 蹴斗は試しにその汁を口に含んでみたものの、やはり味気ない粥か何かでしかなく、三食我慢してこれを飲み続ければ強制的に痩せられるダイエット食品がこんな味なのだろうかと、詮のない想像をした。

「セリーグのミレッジだかスタンリッジだか存じ上げませんが、一体こりゃ何で出来てございますのでしょう?」

 蹴斗が疑問を独り言のように呟くと、隣からシスター・エルネスティーネが聖女のような微笑みで解説してくれた。

「小麦のお粥ね。皆さんがサッカーを指されている間、私は近場の市で材料を仕入れて、教会の献立に加えてみるわ」

 どうやらハンスの喜びようを見て、シスターは慈悲深い気分にでもなったらしい。ちょうど煮豆に飽きてきた蹴斗にとっても、粗食ながらも味の変化が楽しめることは、ないよりはマシなことだった。

 次いで蹴斗とハンスの二人は、野外特設サッカー場へと向かった。五百人を超える人数を収容できる屋内施設がないため、会場に屋根がないのは仕方のないことだ。

 サッカーギルドへの加入資格並びに大会へのエントリー資格は共に十歳からであるので、ハンスは当然に大会参加者のうちでも最年少ということになる。また、ギルドへの加入にもそれなりの審査があり、ハンスほどの棋力があればまず問題はないが、普通の十歳がパスするには相当ハードルが高く、ゆえに何処を見渡してもハンスと同年代の参加者の姿を見つけることは出来なかった。

 当日エントリーを済ませると、大会参加者は付き添いと別行動となる。ハンスとはしばしのお別れであり、蹴斗は暇を持て余すことになった。これから目の前で繰り広げられるのは、素人連中同士の退屈な対局に過ぎない。これならシスター・エルネスティーネと一緒にお買い物にでも行った方がマシだったかも知れない、と蹴斗は思う。

 気がつくと、壇上ではバルシュミーデ司祭と選手代表が向かい合い、選手宣誓が行われている。

「あなた方選手一同は、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、スポーツマンシップに則り、正々堂々と全力を出し切って戦うことを誓いますか?」

「誓います!」

 ふと蹴斗は、なぜサッカーギルドであるESA枠の予選大会に、ギルドとは別組織でサッカー運営を行っている教会関係者が顔を出しているのか疑問に思う。

『やはりお前もそこが気になるか』

 と、将斗が口を挟んできた。勝手に思考を読み取られて話しかけられるのにも慣れてきた。よく考えたら、将斗が蹴斗の脳内に常駐しているということは、風呂や便所も一緒ということである。今更何を隠し立てしようと意味がないのだ。

『宣誓の文言も微妙におかしかったしな』

『エルミリア教の世界線で育ったお前が聞いても、あの宣誓には違和感を覚えたか』

『そもそも神父に対して宣誓するというシチュエーションを見るのが初めてだからかも知れん』

 そうこうしているうちに、予選の対局が始まった。流石に数百人を一気に捌けるだけの盤駒は揃っていないので、トーナメント表に従って順繰りに対局を回していく。トーナメントの山は四つあり、それぞれの優勝者が次のステージに行けるという仕組みであるようだ。

 まだ一次予選ということもあり、対局を見物することを目的に訪れている観客はほとんど見当たらなかった。対局が行われている場に参加者以外が近づくことも制限されている。どこで誰と誰が対局しているのかを明示するような案内もなく、よって蹴斗からハンスがどう指し回しているのか確認する術もなかった。

 トーナメントが一周する、すなわち一回戦が全て終了する頃にはほとんど正午になっていた。全員が一通り対局して、勝ちか負けかの二通りに分けられているので、この時点で半数の選手が敗退している計算だ。一つのトーナメントの山がおよそ百人強で構成されていたので、残り一山あたり六十数人、トータルで二百数十人といったところとなった。ちなみに、敗者は全て大会二日目に行われる敗者復活戦に回される。

 参加者には、その場を離れて昼食を取ることが許されている。蹴斗は群衆の中からハンスの姿を探し当てると、すぐさま対局の結果を聞き出した。

「いや、勝ったに決まってるだろ」

「でございますわよね~」

 二人は手持ちのパンをかじりながら、特に作戦を練るわけでもなく無為に時間を持て余していた。そもそも午前中に行われた対局が一局のみで、取るに足らない相手に完勝したというだけなので、話すことなどないといえばない。

 しかし、午後からの対局数は一気に増える。それは考えれば当然のことで、午前中だけで半数の選手が消えたのだ。二回戦として行われる対局は一回戦の半数であり、三回戦、四回戦と重ねるにつれて規模はその都度半減する。

 トーナメントの山を勝ち抜いて今日のうちに二次予選進出を決めるためには、これからさらに六つの連勝を重ねなければならない。逆に、一日目に全勝でトーナメントを抜ければ、一次予選二日目への参加が免除され、そのまま二次予選への進出が確定する。

 程なくして大会主催者が持ち込んだと思しき銅鑼が高らかに鳴らされ、二回戦以降の対局がスタートする。

 当初は追うことが難しかったハンスの姿は、敗退者が退場するに連れて捕捉可能となりつつあった。四回戦が終わる頃には、選手の数よりも見物客の方が多くなる程度には数が絞られてきた(負けてそのまま見物側に回った選手もいた)。

 五回戦。遠巻きに見えるハンスの対局する姿は、蹴斗からも悠然と落ち着いているように見える。対局相手が活路を見出そうと短い考慮時間内で思考をフル回転させる中、ハンスも落ち着いて同じだけの思考時間を割いて相手を追い詰めていく。きちんと言いつけを守っているようで蹴斗は安心する。結果、考える時間は比較的長くとも、短手数で勝負がついた。

 一山の人数が四人に絞られたところで、六回戦が開始された。ここまで来ると、蹴斗の位置からでも盤面を確認することが可能である。しかし、それはほとんど見るまでもないほどに一方的なハンスの勝ち試合であった。

『おい、あのハゲに見覚えあるだろ』

 そこで将斗が口を挟んでくる。蹴斗にハゲの知り合いはさほど多くないが、ここ最近では何人か印象的なハゲを目撃している。

『仮称・痴漢だな。あいつも参加してやがったのか』

 よれたスーツを着せれば営業帰りのくたびれたサラリーマンのような風体になるその男は、先日見たときとはうって変わって、二日酔いをこじらせたような生気の無い顔でサッカーを指している。

『あのハゲ、この対局に勝ったら次はハンスと当たるぞ』

 ハンスがいるトーナメントの山は四人を残すのみとなっているから、それは容易に確認出来た。果たして、仮称・痴漢は青息吐息ながらもサッカーには完勝し、順当にハンスと二次予選進出を賭けてこの日の決勝戦を戦う運びとなった。

『仮称・痴漢相手だったら、特にハンスに助言してやる必要もなさそうだが』

 と将斗が言う。

 しかし、蹴斗には何かが引っかかった。

 以前に行われた仮称・痴漢との対局について、蹴斗は今一度思い起こしてみる。そう、あの日、仮称・痴漢は対局開始早々、消極戦法中の消極戦法であるフレジエ穴熊を採用してきた。余りにも消極的かつ姑息であるがために、数十年後にはルール改定によって事実上使えなくなった戦法である。逆に、この年代においてはまだ有効な戦法であるとも言えた。

『その、ルール改定は数十年後、なんだな?』

 将斗が確認するように訊いてくる。蹴斗はこの時代に飛ばされてくる前に、サッカーの戦法史に関しては色々調べてきたので、それは間違いないと確信がある。

『じゃあ、のでは?』

 それは確かに事実かも知れない、と蹴斗は考える。

 自分はその戦法を予め知っていたから、落ち着いて対応することができた。しかし、まったくそれが未知であったら、そう上手くはいかなかっただろう。この時代の選手たちが、その戦法のカモにされていても不思議はない。

『俺が気になったのはそれだけではない』と、将斗が蹴斗の思考内容を受けて言葉を繋げる。『なぜこのハゲが、四聖祖が一人と名高いフレジエ司教の編み出した戦法を、他のほとんどの選手を出し抜いて知り得たのか? 偶然編み出したとは到底思えないが』

『確かに』

 新手研究は、パソコンが発達したでもない限り、個人の力だけでは及ばないか極めて効率の悪いものとなる。新手が有効であるかを知るのに、多角的な検討がどうしても欠かせないからだ。

 個人ではなく、組織。つまり、仮称・痴漢のバックに何かしら組織的な陰謀があるとしたら、いささか厄介なことになるかも知れない、と蹴斗は思う。

「それでは、本日の最終局、各トーナメント山の決勝戦を開始しますぞ」

 バルシュミーデ司祭が高らかに宣言する。

「第四ブロック決勝、ハンス・ユルゲン・ルートヴィヒ・シュヴァン選手対ディートフリート・フリッツ・クルト・ローエングラム選手」

「ブッ」

 対戦がアナウンスされるや、蹴斗が噴き出した。あの仮称・痴漢、ローエングラムなんて大仰な名字だったのか……という純粋な戸惑いのせいである。顔と名前が一致しない芸は、どの時代であっても卑怯だと蹴斗は思う。

「コイントスの結果、先手はローエングラム選手に決まりました」

「ブッ」

 ツボに入ってしまったのと名前のコールが不意打ちだった結果、二度目の暴発も不可避であった。呼吸を整えるために、蹴斗は何度か深呼吸を繰り返すも、横隔膜がけいれんしたみたいになって上手くいかない。

『おい、笑ってる場合じゃないぞ』

 将斗が苛立たしげに脳内で声を上げる。

 序盤戦、積極的に仕掛けたのは仮称・痴漢であった。開始キックオフから数手後に中盤の飛車ルークをサイドチェンジさせ、桂馬ナイトを上げていく。その間全て、ノータイム指しである。

『おいおいおい』

 蹴斗の心に、この時点で明確な焦りが生まれていた。

 対するハンスも、相手がノータイム指しである以上、ノータイムで応じるほかはない。的確に守りを固めながら、飛車先を伸ばして攻めの拠点を作ろうとする。全て一見して自然な応手である。しかし、そこには蹴斗と将斗にとっては既知の罠が仕組まれていた。

『そこで歩兵ポーンを突くな!』

 ハンスに手番が回ったところで、蹴斗と将斗が心の中で叫ぶ。しかしそれも空しく、ハンスは歩兵に手を伸ばし、それを前進させた。

 仮称・痴漢の相貌が不気味に歪み、またもノータイムで次の手が指される。

『フレジエ流・鬼殺しDemon Killer

 それが、仮称・痴漢が指した奇襲戦法の名前であった。桂馬と角行で、相手陣にある二カ所の急所を奇襲するやり方だ。のサッカー選手であれば、小学生のうちに対処を習う戦法である。

 しかしながら、その知識を持たなかったハンスは瞬時にして形勢を損なった。恐らく、その人生においてさほど多くは経験してこなかった劣勢の局面。

 もちろん、蹴斗を相手とした指導対局であれば、ハンスは何度も劣勢を強いられたし、ほとんどの対局で負けている。とはいっても、元から勝てる見込みの薄い上位選手を相手に、負けが許される対局であれば、少なくとも精神的に揺さぶられることは少ない。ダメ元と開き直ることができる。

 むしろ、雑魚と舐めてかかった相手から手ひどいしっぺ返しを食らったときに、すぐさま気持ちを立て直すことは困難となる。それでも、ある程度の持ち時間が与えられているのならまだいい。その時間で頭を冷やすことだってできる。だが今回のケースでは、特定の戦法を想定して入念に予習してきた相手が、ノータイムで指してくるのである。十秒待てば長考になってしまう、ギリギリのやりとりだ。

 結果、ハンスは形勢を悪くしただけでなく、冷静さまで失ってしまった。少なくとも、師匠である蹴斗の目にはそう映った。

『俺が一番、相手を舐めていた』

 蹴斗が頭の中で反省の弁を述べる。

 蹴斗はハンスに定跡など未来の知識を、少なくとも体系的には教えなかった。奇襲戦法やらそういった細々とした知識も、必要がないと考えていた。蹴斗が記憶している限り、フレジエ流・鬼殺しが文献に登場するまでには、フレジエ穴熊同様、あと十年はかかるはずであったからだ。

 奇襲戦法は、仕掛けても正しく受けられたら負ける。だから、少なくともハンスがそれを使う側になる必要はない。彼は地の棋力だけで、この時代なら無双できる。蹴斗はそう思っていた。

 相手に奇襲された際の対策を、まるで考えていなかった。

『仮称・痴漢と研究組織……。まさか、教会が関わっている?』

 そう将斗が呟くと時を同じくして、ハンスの首がゆっくりとうなだれるのを蹴斗は目撃した。盤面の様相は、もはや惨めというほかない。

 こうしてハンスは、これまでの人生において最も屈辱的であったろう投了を余儀なくされたのである。

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