生存
生存 ≪1≫
気が付いたときには、蹴斗はその場所にいた。草原の只中で、四方を地平線に囲まれていた。幸運にも、少し離れた地面には荷馬車を引いたと思しき
身の回り品を入れたバックパックと、小型スーツケースが手元にあることを蹴斗は確認した。
乗り継ぎ便の離陸後、収納棚からスーツケースを取り出してバックパックと一緒に足元に置いておいたのだ。さしあたり生存に必要だと思われるものは出来るだけ確保しておきたかったし、荷物と一緒に過去に転送されるためには、身につけておくかそばに置いておく必要があると蹴斗は思ったのだ。
どのような形で神隠しに遭うのかは知らされていなかった。最悪なのは裸のまま転送されるというパターンで、その場合にはどうしようもない。まずはそうでないことを祈りつつ、携行する荷物に関しては様々な注意を払った。
そのような対策が功を奏したというのなら、ひとまずは成功といったところだ。
流石に預け入れた荷物がその辺に転がっているということはなかった。しばらく着替えは我慢する必要がありそうだ、と蹴斗は認識する。
男の言葉を信用するならば、ここは大陸歴759年、6月20日頃ということになる。第1回W杯の1年前だ。時期的にはほぼ夏至にあたる。蹴斗はバックパックから手作りの太陽高度方位計とコンパスを取り出し、おおよその時刻を求めたところ、ほぼ正午であることが確認された。早速、デジタル表示のクォーツ腕時計の時刻を合わせる。腕時計には高度計・気圧計・温度計の機能も付いている。一年程度であれば電池は持つ見込みだ。
太陽高度からおおよその現地点の南北を計算すると、北緯50度くらいの位置に収まることが分かった。今がほぼ夏至にあたるというのは幸運で、まず単純に計算がしやすい。とはいえ、蹴斗は事前にあらゆる日付に対応して緯度が出せるように準備はしてきた。
蹴斗は、事前にプリントアウトしておいた大陸歴760年前後に相当するエルミリア大陸の地図と詳細な都市情報に視線を落とす。この場所が西エルミリア大陸であるならば、プニエ公国の北側ないしは北帝領の周辺ということになる。周囲に目印となるような山は見当たらない。北緯50度である程度の高さを有する山を探すとなると、相当内陸に入り込んで東エルミリア大陸方面まで進出する必要がある。中世前期の森林地帯や山間部は、野盗の巣窟だ。好きこのんで近づくような場所ではない。
機内への持ち込みが制限されていた凶器や可燃物の類を除いて、概ねサバイバルを行う準備はできていた。火起こし用の新聞紙、火打ち石の効果を持つマグネシウムロッド(キーホルダーみたいにして持ち込んだところお咎めを受けなかった)、水、食料、バックパックに収まる超小型テント、寝袋、その他諸々である。
しかし、そんな準備は徒労に終わった。
馬車のものと思しき轍を辿って歩くこと2時間ほど、数条の轍が合流してこれはいよいよ人家が近いと察せられた頃、小高い丘の向こう側に小さな集落を見つけることができたのだ。そこは、おあつらえ向きに教会を中心とした村だった。
『当時の教会は、サッカーの普及に熱心だったはず』
将斗が豆知識を披露しながら取りあえず教会に押しかけようと提案する。蹴斗もそれに同意する。流石にいきなり教会で命を狙われるようなことはないはずだからだ。
「ハルズリィッヒヴィルコームンヴェアビスドゥ?」
入り口を開けるとシスターらしき女性が立っており、未知の言語で話しかけられた。明らかに当時のエルミリア大陸標準言語とされていた古エルミリア語ではない。方言か何かだろう、と蹴斗は察しを付ける。
「頼もう。拙者、怪しい輩ではござらん。道に迷うてしもうたのだ」
試しに、蹴斗は出立前に必死で勉強した古エルミリア語で話しかけてみる。
シスターは頭にはてなマークを浮かべながら、イヒヴェルデアイナンプリースタアヌルーフェンと言い、裏手へと下がった。プリースタとか言っていたから司祭か誰かを呼んでくるのだろう。部分的には古エルミリア語と似たような単語が使われているようだ。果たして、蹴斗の予想通りに老いた男性の司祭がやってきた。
「迷える者よ、我が教会へようこそ。拙僧に何か用向きですかな?」
「おお、いかにもロープレに出て来そうな感じだな」
「ロープレ? 面妖な言葉ですな」
「失敬。拙者、訳あって東洋より参った。より強きサッカー選手を求めて放浪の旅をしている者なり」
「な、なんとサッカーを。お上がり下さい。ボールを蹴りなす者これみな友達。フレジエ司教のお言葉です」
サッカーという単語を聞くなり、司祭の態度が恭しくなった。将斗の豆知識通りの展開に、蹴斗も取りあえず安堵する。
また、フレジエ司教という人物もまた、蹴斗たちにとって馴染みのある名前であった。もちろん本人と直接面識があるわけではないが、サッカー業界にあって現代においてもなお知らぬ者はいない聖四祖の一人であり、盤外戦術の神様、ルール改定の裏にフレジエの姑息戦法あり、等の異名や格言でも知られている超有名人である。
まずはお茶を一杯振る舞われる。次いで、司祭が自己紹介をする。
「拙僧、司祭・カプリコルヌスと申す。シスター・エルネスティーネと共に細々と教会を運営しております。つい先日、上より『サッカーを普及せよ、これは神聖な営みである』とお達しがありましたが、はてさて、この老いぼれにとっては如何せん難しくて。よろしければ、ここにいる間だけでも手助けをして下さらないか」
「是非もなし。よろしくお頼み申す」
願ってもない展開に蹴斗は飛びついた。ここを拠点にしながら現地の情報を集めつつ、1年後に行われるW杯へ向けて準備をすることが出来る。
取りあえず蹴斗はそのままシュート・クロスと名乗った。
夕食として供されたのは見るからに粗末なパンと豆のスープだったが、贅沢を言っている場合ではないと蹴斗は承知していた。食べてみれば美味いなどということはもちろんなく、ひたすら味気なかった。
寝床は、教会の屋根裏にある藁の山だった。もちろん、藁の上に寝袋を設置して寝た。
こうして、中世エルミリアにおける蹴斗の生活が始まった。
第1回W杯決勝まで、あと364日——
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