第3章 跳躍 ~高校生Jリーガー・黒須蹴斗~
跳躍
跳躍 ≪1≫
9月第2週、土曜、朝8時55分。
無闇に広い畳敷きの部屋には、所狭しとサッカー盤が並べられており、サッカー選手たちが盤をはさんで向かい合っている。入り口の札には「対局室」とある。
基本的にサッカー選手同士は対局中に目を合わせない。対局前であっても、大方の選手は手元か盤を見つめている。
対局前の取材に来ていたサッカー記者たちが退場すると、いよいよ先手と後手を決める振り駒が行われた。蹴斗は後手を引き、これで5局連続で後手番だな、と状況を認識した。
サッカーにおいて先にボールを所持できる先手と較べ、後手は相手の戦法に合わせた対応をしなければならない分、より多くの戦法に通じていなければ勝てない。ただ、ハイレベル同士の対戦になれば大方の戦法に対する対策は熟知しているのが普通で、勝率は先手対後手を問わず五割に近づく(実際には先手がわずかに勝ち越すが)。
そして蹴斗は後手番を苦にしていない。
現在、蹴斗たちが所属している日本サッカー連盟奨励会三段リーグは、プロサッカー選手、すなわちJリーガーになるための最後の関門と位置づけられている。ここで二位以内の成績を収めれば、翌シーズンより晴れてJリーガーとしてデビューできるというわけだ。
本日は半年に一回訪れる「最終節」だ。この日に行われる午前・午後の各1局、計2局を戦った結果、シーズンを通した成績が確定する。言い換えれば、プロデビューを果たす新たなJリーガーが決定する日なのだ。
そのような状況にあって、蹴斗の心は落ち着いていた。世に言う「負ける気がしない」という心理状態を具体的に体験したことはなかったが、本日はそれに極めて近い状態にあるといえた。
こと蹴斗に関していえば、この日予定されている2局のうち1局でも勝つことが出来れば、100%昇段してJリーガーになることができた。と同時にそれは、2連敗すれば昇段がフイになるというリスクをはらんでいるということでもある。
しかし、それらの事実は蹴斗の心理状態にいかなる影響をも与えなかった。
午前の対局をわずか42手、2時間半で終え、蹴斗は昇段およびJリーガー入りを確定させた。普段なら外出して昼食を食べ、午後の対局へ臨むところである。しかしながら、早々と昇段を決めた選手が外出などをすれば、記者やファンなどに捕まって午後の対局に影響を及ぼしかねない。そうサッカー会館の事務員に諭されたので、蹴斗はしかたなく出前を取ることにした。
午後の対局は、完全な消化試合である。
昼食休憩時間中、蹴斗は古サッカーに関する文献を読んだ。
サッカーが世に誕生したのは遡ること1250年以上前の大陸暦756年である、というのはこの業界にいる者にとっては常識である。ジャン・ローラン・ド・プニエおよび彼の息のかかったメンバーである通称「聖四祖」によって、サッカーのルールは制定された。
しかしながら、当時の歴史に関する文献は存在したものの、サッカー黎明期における棋譜は消失、もしくはそもそも記録されなかったかの理由により、かなりの部分が失われていた。一方で近代以降になっても、廃サッカー場の地下であるとか教会の物置などの場所からかつての棋譜が出土するといったことがたびたびあり、各国のサッカー協会の予算が許す限りにおいてそれらは研究・解析されることになったが、未だに多くの棋譜がろくに省みられずに放置されているというのが現状であった。
現代にまで伝わる古サッカーの棋譜においてもっとも価値のあるものの一つは、イシャーン・バラクリシュナンという人物の手によってもたらされた。
イシャーンという人物は、医師兼史学家という特殊な経歴を持っていた。彼はその晩年に、それまでに見聞きした出来事および読んできた書物の多くを記録に残した。中世前期のエルミリア大陸および東大陸西部における歴史資料の過半は彼の業績であると言っても過言ではない。
同時に古サッカーの棋譜もまた極めて正確に記述されていた。
蹴斗が特に目を見張ったのは、公孫紹とリュシエンヌ・ド・パトリエールによる対局である。その二人は、他の選手と比較しても抜きんでて高い棋力を持っていた。
——もし彼らが現代に生きていたら。
彼らの棋譜をただ眺めたり、時にはサッカー盤の上に並べたりする度に、蹴斗はそう思わずにはいられなかった。
残念なことに、公孫紹とリュシエンヌによる対局は、大陸暦756年後期から757年3月にかけてしか行われなかった。サッカーが誕生してから公孫紹が逝去するまでのわずかな期間である。そして同年6月以降、リュシエンヌ・ド・パトリエールの対局も採譜されなかった。イシャーンが当地を去ったからである。
Jリーガーになるという、蹴斗にとっての一つの目標は既に果たした。それ自体、確かに相当に高いハードルであるとはいえたが、彼にとっては通過点に過ぎない。
次なる目標の一つは、リュシエンヌが人生の後半に残したサッカーの記録にたどり着くことだった。リュシエンヌその人は、イシャーンらと離れてから半世紀以上生きたことが確認されており、生涯を通じてサッカーの愛好家かつトップ選手であったことも知られている。
棋譜が、必ずどこかに残されているはずである。
プロサッカー選手になれば、各国へ遠征する費用も協会がもつ。すなわち、世界中のサッカー場を巡りながら、地元のサッカー協会に保管されている資料にサッカー選手としてアクセスできるようになるのだ。
なぜこんなにも古サッカーに惹かれるのか、蹴斗自身これといった具体的な理由を説明できなかった。確かに公孫紹やリュシエンヌの指したサッカーは極めて洗練された美しいものであったし、彼らを超える選手は近代に至るまで数えるほどしかいないだろう。しかし定跡が整備された現代において、棋譜の数の限られた彼らの業績を必要以上に重視する理由は見当たらない。
そして何よりも奇妙だったのが、蹴斗が古サッカーに対する関心に目覚めたのがつい3ヶ月前のことに過ぎなかったという事実だ。思い当たるようなきっかけもない。ただそうでなければならないような気分から、彼は古サッカーに対する憧憬を抱いたのだ。
昼食休憩が終わり午後の対局が始まる。もちろんJリーグ入りが決まったからといって手を抜くような真似はしない。
対局室へ入る手前で、蹴斗はふとある人物のことを思い浮かべた。
そう、それもつい3ヶ月前のことだった。フィールドサッカー部顧問・沼渕紀夫と放課後の部室で会話をしたのだ。その数日後、紀夫の死は全校生徒が知るところとなった。
あの頃から何かがおかしい、と蹴斗は感じていた。
古サッカーに対する無闇な憧憬が芽生えたのも変化の一つだ。
またそれ以来、負ける気がしないと思うまでもなく、自分が負ける姿を想像できなくなったのだ。
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