擾乱 ≪7≫

 戦線は再び停滞した。プニエ公国側が攻め入ることに慎重になった結果、双方共に決め手を欠く展開となった。プニエ公国軍が得意とする夜討ちや集落への放火対策として、パトリエール公国の領民をオルウィ川南岸へ移させ、沿岸警備を強化することでこれらの策を無効化した。

 一方、プニエ公国軍も『戦略兵器ゲームチェンジャー』夏侯嬰に対する対策を早々と打ってきた。熟練弓兵による火矢の偏差撃ちである。夏侯嬰の騎馬が進行する方向を予測して最も腕に覚えのある弓兵が火矢を先回りして撃ち、他の弓兵もそれに続いて射撃を一点に集中させるというものだ。これによって、これまでは散発的に夏侯嬰を襲うだけだった矢が、極めて効率的かつ高密度に襲うようになった。

 こうして戦況がほぼ膠着する中、パトリエール公国の経済状況は日に日に悪化の一途を辿った。


 大陸暦750年1月20日は、リュシエンヌにとって10歳の誕生日である。

 エルミリア大陸において10歳の誕生日は一つの門出と見なされる。いきなり成人として扱われるわけではないが、これ以降いつ成人同様のイベントに直面してもおかしくない年齢と考えられていた。例を挙げれば、今後は突然に婚姻が決まったり男子であれば初陣を迎えるなど、社会的に一人前であることを要求される一つの境目である。

 この門出に際し、家族総出で祝うのが当地でのしきたりであった。しかしながら国の窮状を鑑みれば、ことに領民に節制を強いている現状から、盛大な祝典を開いたり出来ないことは明らかだった。

 リュシエンヌは第3公女である。二人の姉は十代の半ばにして近隣諸侯の子弟に嫁いでおり、数年来顔を合わせていない。しかしながら、おぼろげながら彼女たちの10歳の誕生日の記憶は残っていた。むしろ幼心に憧れと羨望の眼差しで見ていたその式典は、彼女の心の中で反芻されると共に美化されていき、それは世にも煌びやかなセレモニーとして空想された。それはちょうど港湾都市がプニエ公国から返還され、またプニエ公国との正面戦争に至る前の、束の間の平和な時代だった。リュシエンヌが記憶している、最後の安寧のひとときだった。

 そして現在、国に危機が訪れていることはリュシエンヌも承知している。しかしそれは、自分だけないがしろにされても納得のいく理由であるかといえば、10歳の子供にとっては難しい注文といえた。

 ある日リュシエンヌは、父フランソワ公の臥床するベッドの脇で、10歳の子供に可能な限りさりげなく誕生日に関することを匂わせた。

 すると、フランソワ公はさめざめと涙を流し始めた。父の涙をみるのは初めてだったリュシエンヌは、ひどく狼狽した。彼女が泣かないでと慰めても、父はただ謝り続けるだけだった。ことのほか彼女の心に刺さったのは、「あなたには苦労ばかりかけてきて、本当にすまなかった」という言葉だった。まるで父が、居なくなってしまうような気がした。

 結局のところ、リュシエンヌが誕生日に欲したのは、象棋を父親と指すことだった。


 リュシエンヌはいつしか、本能的に気付いていた。彼女自身が、象棋を通じて相手の深層と対話することができることに。いつからそれが可能であったのか、明確には覚えていない。ただいつの間にか身についていて、ただそういうものだと受け入れていた。

 それは彼女の特質だった。しかしながら、それが彼女だけにの特質であると気付くまでには、あと数年を要した。象棋が強くなって心に余裕が出来れば、みんなそうなるものだと考えていた。

 象棋の格子模様は、論理ロジックのみが相手と行き交う宇宙だ。その空間で人は人間という殻から解放され、純粋な魂としての存在になれるのだ。あらゆる経験が、感情が、思考が、9×10カ所で線が交叉する象棋盤の上で混じり合い、ぶつかり合い、惹かれ合う。相手のことを深く知ろうとすれば知ろうとするほど、思考を深く象棋盤の上に没入させなければいけない。渾然一体となった宇宙に、魂一つで飛び込んでいかなければいけない。

 リュシエンヌは、象棋を指し続けるうちに、この没入感の虜となっていた。それは時に蠱惑的ですらあった。夏侯嬰と指せば、彼の虫の居所がたちどころに分かった。公孫範と指せば、彼の根無し草な性根を看破できた。いくら小手先の指し回しで誤魔化そうとしても、棋風の根本にあるコアまでは誤魔化せなかった。

 しかし、公孫紹と指すときだけは違った。彼と指すと、リュシエンヌは茫漠とした宇宙に放り出されたかのような、凍てつく孤独を感じた。彼の懐は限りなく深く、潜り込むためにはより深い没入が必要で、すなわち棋力の限界が横たわっていた。ひょっとしたら、本当に公孫紹という人間は空っぽなのではないか、と考えることもあった。その答を求めてリュシエンヌは象棋を指し続け、昏い思考の深淵をただひたすら目指した。


 流石に公女の晴れの日に何も用意しないという訳にはいかない。フランソワ公には覚束なくても、エレーヌ公妃やワルテール公太子が気を回すことは出来た。

 そうして、ささやかながらリュシエンヌの10歳を祝うセレモニーが、家族水入らずで催された。すぐベッドに戻れるようにとの配慮から、フランソワ公の自室が会場となった。

 食卓には焼かれたブリオッシュが並び、Lapin fuméウサギのくんせいが供された。庶民のする贅沢、というレベルの贅沢だったが、いまやこの国でこの味を愉しめるのは、貴族であっても年に一回程度になっていた。

 エレーヌやワルテールも、この日ばかりはフランソワ公に成り代わってこなしている激務から解放され、束の間の団らんを楽しんだ。

 程なくしてフランソワ公はベッドに戻った。とはいえ、上半身を起こして象棋を指すことに問題はなかった。急仕込みとはいえ、娘に誕生日に指して欲しいと頼まれれば、ルールや初歩的な定跡を覚えることもやぶさかではなかった。

 リュシエンヌは、落ち着いた所作で盤の上に駒を並べた。フランソワ公も、たどたどしい手つきでそれに続いた。

 公孫紹との対局と比較すれば、フランソワ公と指す象棋は、甘く淹れた紅茶のようなものだった。リュシエンヌには父が真剣に指してくれていることが手に取るように分かったし、そんな彼の棋風にも優しすぎるくらいに優しい彼の性格がにじみ出ていることを実感しないわけにはいかなかった。力量差ははっきりとしていたが、リュシエンヌは一手とてぬるい手は指さなかった。

 一時間足らずで勝敗は決した。

「本当に強いんだね、リュシ」

 フランソワ公が呟いたその言葉は、リュシエンヌにとって涙が出るくらい嬉しかった。


 それからの半年間は、リュシエンヌの幼少期においてもっとも光り輝き、色鮮やかな期間であった。象棋を通じて父と対話できるようになったからだ。フランソワ公は一度とて象棋を指すことにいやな顔をしなかったし、むしろ体調が優れないときですら指そうとしてリュシエンヌを困らせた。

 対局を通じてリュシエンヌが得たものは、自分の父がいかに心根の優しい人物であるかという確信であり、自分がいかに父から愛されているかという実感だった。その中には、娘に対して何もしてやれないもどかしさや自身に対する不甲斐なさといった感情も含まれていた。しかし、リュシエンヌがそれを父から感じ取る度に、そんな風に思わなくたっていい、私は世界一のお父さんをもてて幸せだよ、と象棋を通して伝えた。これは深層を通じての対話だから、メッセージの輪郭はいつもあやふやで、時に心許なかったりもした。

 それでも、確かに伝わったとリュシエンヌは信じていた。


 大陸暦750年7月28日、フランソワ・ド・パトリエール、逝去。享年44。

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