擾乱 ≪6≫

 『フォンテーヌルージュの戦い』で見事勝利を収めたパトリエール公国軍は、久々の勝利に沸き返っていた。居城へ久々の凱旋がいせんを飾ると、多くの市民が彼らを一目見ようと詰めかけた。その中心には夏侯嬰がいた。というより、彼自身がいくら控えめに振る舞おうとしても、国一番の名馬に乗る身の丈八尺の英雄が脇役になれるはずもなかった。

 夏侯嬰は、市民の前ではイペリオン将軍と名乗った。本名を名乗れば、巡り巡ってフランソワ公の耳に入ってしまうかも知れなかったからだ。あくまで客人を戦場に出すわけにはいかないというフランソワ公の立場を尊重した結果である。

 夕刻には、ささやかな祝勝会も催された。それは、財政状態の悪い国内事情をそのまま反映したかのような、極めて素朴な祝勝会となった。参戦した兵卒から上級の騎士に至るまで、等しくワインが振る舞われた。すえた香りと独特な酸味で、どんな料理にも合う見込みのない代物だったが、それでも勝利の美酒であることには違いなかった。

 フランソワ公は、無理を押してその場に一時間ほど顔を見せた。椅子に座っているだけでも精神力を削り取られているように見受けられ、関係者をやきもきさせた。フランソワ公は今回の勝利の立役者となったイペリオン将軍と話がしたいと希望したが、問題がこじれることを恐れた夏侯嬰本人が祝勝会への出席を遠慮したため、両者がまみえることはなかった。

 その頃、夏侯嬰は城の裏手でシンタウィーチャイと言葉を交わしていた。

 パトリエール公国の主が住まう城は、周囲を水堀で固められており、容易に攻城することが出来ない構造を取っていた。水堀はエルミリア大陸においても有数と名高いオルウィ川から引かれており、その川もまた公国首都を守る天然の要害として機能していた。

 シンタウィーチャイは、水堀に小舟を浮かべ、その上に佇んでいた。その手には3メートルに及ぶ長いオールが一本握られており、彼はそれを自在に操って水上を進むことが出来た。

 夏侯嬰は声のトーンを落としながらシンタウィーチャイに指示を伝達した。シンタウィーチャイは黙って頷くと、小舟ともども夕闇の向こう側へと姿を消した。

 丁度そこへ、ワルテール公太子がやってきた。夕涼みにでも来たのであろう。

「こちらにいらっしゃいましたか。今回の英雄であるあなたを複雑な立場においてしまい、申し訳ありません」

 ワルテールが一言謝ると、夏侯嬰も恐縮とばかりに頭を下げた。

「伯明殿、改めてあなたのお陰で、今回の勝利を得ることが出来ました。感謝しております。今後、今回の勝利を足がかりに攻勢に転じ、港湾都市を奪還できればこれ以上のことはないのですが」

「そうことは簡単には運びますまい。港湾都市は、本城に匹敵するほどの守りの堅い要塞と聞きます。プニエ軍にはエルミリア大陸最強とも称される投石機をはじめとした攻城兵器がありますが、我々にはそれがない。更に、相手は守勢に回っても大型弩砲などで籠城に抜かりがないでしょう。最も確実なのは兵糧攻めとなるでしょうが、蟻の子一匹通さない包囲を敵方の備蓄が尽きるまで継続しなければなりません。また同時に海上も封鎖しなければ効果がないので、現状の我々の国力では、厳しいといわざるを得ないでしょう」

 夏侯嬰が現実的な指摘をすると、ワルテールは肩を落とした。せっかくの勝利に水を差した格好になって、夏侯嬰としてもばつが悪い。慌てて、言葉を付け足した。

「とは申しましたが、今回敵方の主力の一部である長弓部隊を半壊に追い込んだことは極めて意義の大きいことであります。同時に、相手方の兵器の一部を鹵獲ろかく出来ました。敵方も、今後は侵攻するに当たって慎重になるでしょう。その間に、力を蓄えるのです」

「なるほど、小さなことからコツコツと、ですな」

 諦めたような表情を浮かべて、ワルテールがつぶやいた。夏侯嬰からすれば、むしろ現状の国力・軍事力でプニエ公国軍に勝ち越したのだから、それ以上は高望みに感じられる。しかしながら、彼らの感覚――ないしは水準――は、恐らく以前パトリエール公国軍を率いたとされるサルンペン将軍の活躍に影響を受けていると思われた。

 聞けば聞くほど謎だらけの存在、サルンペン将軍。彼についての情報を集めようと夏侯嬰が周囲に尋ねても、その口は一様に重く、彼が汚いやり方で勝利を得てきたという以外の情報は聞き出せなかった。

 しかし、夏侯嬰は気になっていたのだ。なぜあの人の良いフランソワ公がサルンペン将軍を重用してきたのか。そしてサルンペン将軍と比較して、イペリオン将軍としての自分にどのような役割が期待されているのか、今後期待されるのか。その辺りを知っておく必要があると夏侯嬰は考えた。

「つかぬ事をお聞きしますが、私の前任とでも言うべきサルンペン将軍とは、いかなる人物だったのでしょうか?」

 単刀直入な夏侯嬰の質問に、ワルテールはあからさまに狼狽する様子を見せた。そそそそうですね、ははは伯明殿はおおあおあお会いしたことがなかったでしたか、とワルテールが予想を上回って過敏に反応したので、なにやら聞きだしたかった以外の情報も山ほど聞けそうだという予感がした。

 夏侯嬰が深呼吸を促し、ほどなく落ち着いたワルテールが、冷や汗を拭いながらおもむろに説明を始めた。

「サルンペン将軍は……快楽殺人者でした。少なくとも、私の目にはそう映りました。それが、戦争狂であるレオポルド公との最大の違いです。もっとも、レオポルド公の人となりなど、噂で聞く以上のことは分かりませんが」

 ワルテールは慎重に言葉を選びながら語った。

「まず最初に、すなわち戦争に至る前のことですが、サルンペン将軍は民衆を扇動しました。まあ、扇動されるまでもなくレオポルド公による挑発行為に対して腹を立てていましたから、それ自体は容易に進みました。そもそも彼は擾乱じょうらんの気配を嗅ぎつけてやってきた余所者でしたが、あたかも怒れる民衆の一員のような態度を取っていたと聞きます。プニエ公国側から派遣された使者の首をねる結果となったのは、サルンペン将軍の直接の指示ではなく、あくまで昂揚した民衆の行為でした。彼の恐ろしさは、そのような機運を醸成したところにあったのです」

「それでは人格に優れたフランソワ公爵殿下とはさぞ馬が合わなかったでしょう」

 夏侯嬰が当然の疑問を口にした。

「父上は最初から戦争を起こす気もありませんでした。だがサルンペン将軍は、言葉巧みに父上に戦争を継続することの大義を刷り込みました。我々には困窮した民の声に耳を傾ける義務だあるだとか、そんなところでしょう。ひとたび父上が戦争継続の言質を彼に与えるや、彼は好き放題やり始めました。夜討ち・不意打ちなどは序の口です。捕虜への虐待・拷問は、情報を喋らせるためではなく、もはやそれ自体が目的になりました」

「公爵殿下はお止めにならなかったのですか?」

「多くの乱行は、父上の目の届かないところでなされたと聞き及んでいます。父上もとことん人に甘く、うかつに人を信用しすぎるところがあるのです。しかしある日のこと、父上は偶然にもサルンペン将軍が捕虜に対する尋問を行っているところを目撃してしまいました。その部屋には、既に事切れた捕虜たちがうずたかく積まれていました。尋問とは言いましたが、彼が行っていた質問に実質的な意味などありませんでした。罪を告白しろと凄み、そこで何を語ろうと『死刑じゃ』などと喚きながらなぶり殺すのです。父上はいても立ってもおられず、『この者たちに罪はありません、どうしてもと仰るなら私が換わりましょう』と言いました」

 そこまで語ると、ワルテールがいっそう険しい表情を見せた。まさに忌まわしいものに触れたというに相応しい、声と仕草だった。

「そこに、ワルテール公太子殿下もいらしたのですな」

 夏侯嬰が鋭く切り込むと、ワルテールはしばらく間を置いて頷いた。

「――正直この時、私にはサルンペン将軍のことも父上のことも理解できませんでした。その頃既に、サルンペン将軍の乱行は噂になっていて、それを裏付ける証言も多く挙がっていました。父上は敢えてそれを信じようとしなかったのか、それとも本当に信じられなかったのか、私には分かりません。しかしながら、目の前でことが起これば別です。噂で言われていたことが目の前で起こっているのです。彼が愉悦のために捕虜を目の前でなぶり殺しているのです。にも拘らず、この期に及んで父上はこの男が話せば分かってくれるなどと、そんな甘い考えを抱いていたのです。この男は快楽殺人者です。そんな者と、何を分かり合えるというのでしょう」

 ワルテールがついに口元を歪めた。探ろうとすればするほど、忌まわしい記憶が掘り返されてくるためか、彼の精神的な消耗が夏侯嬰の目にも見て取れた。

「結局、折れたのはサルンペン将軍の方でした。とは言っても、不遜な態度で『興が醒めたわ』とだけ言い残し、部屋を出て行ったのです。それでこれっきりかと思いきや、翌朝には神妙な態度で、と言っても私には下卑た薄笑いを浮かべているようにしか見えませんでしたが、とにかく『昨晩の非礼をお詫びします』などと言ってくる。人のいい父上は、彼に幾度となく翻弄され、挙げ句見捨てられたわけです。前にもお話ししたかも知れませんが、私にはいつサルンペン将軍が姿をくらませたのか分かりません。あの件以来、軍の詰め所にやって来ることもめっきり減り、気の合うならず者と別動隊のように動いていたようですから」

 そこまで語り終えると、ワルテールは深くため息を吐いた。そこで、ひとまずこの話題は終了らしく、ざっとこんなものですとばかりに夏侯嬰を見据えた。

「辛いことを思い出させてしまったようで、申し訳ありませんでした」

 ひとまず、夏侯嬰も畏まってワルテールにねぎらいの言葉をかけた。

「こちらこそ、せっかくの勝利に水をさすような話で面目ありません。ですが今や、我々はあなたのような、生粋の武人とも言うべき協力者を得ることが出来ました。大変厚かましいお願いであることは承知しているのですが、今後もお力を拝借できないでしょうか。残念ながら我々は港湾を失い、あなた方の帰還に関して出来ることは今の時点では何もないことが心苦しいのですが。戦争が終われば可能な限りのことはすると約束しましょう」

「元より、遭難しているところを助けていただいた時点で、フランソワ公爵殿下ならびにこの国のためにお力添えをする覚悟でおりました。帰還につきましては、必要以上に重く考えないで下さい。我々としても、後戻りするよりも前進することの方が大事なのです」

「前進すること?」

 ワルテールが質問する。夏侯嬰は少し考える素振りを見せて、答えた。

「後戻りできないときに、何が出来るのかを考えたい、ということです」

「なるほど、すばらしい心構えです。こちらにいらして半年足らずで、ここまでエルミリア標準言語を話せるようになったのも、その飽くなき向上心のなせる業でしょうな」

「フランソワ公のご配慮により家庭教師を付けていただいているほか、イシャーンや公孫範にも稽古を付けてもらっています」

 二人はにこやかに会話を終えると、それぞれの居室へと別れた。

 結局のところ、夏侯嬰にとってサルンペン将軍とは思った以上の悪漢であるという印象が根付くこととなった。そしてフランソワ公は、そんな相手であっても信頼すると決めたら信頼するし、可能な限り話し合いを持とうとする、夏侯嬰にとってすら理解を超えたある種の聖人であった。

 そして、ふとワルテールのことが気にかかった。彼はフランソワ公と共に、いやむしろそれ以上にサルンペン将軍の乱行について目にしてきたわけであり、噂を客観的に判断する視点を持っていた。であるにも拘わらず、ワルテールは父であるフランソワ公を諫めるでもなく、サルンペンの乱行を止めようとしたわけでもない。

 もしワルテールがサルンペン将軍のことを、素行は極めて劣悪だと認めつつ戦力としては欠かせないと思っていたのなら、どうだろうか。もし再び、第二・第三のサルンペン将軍が現れたときに、フランソワ公の目が行き届かないところでワルテールがそれを利用しないという保証はない。事実、フランソワ公が夏侯嬰らに戦場に出る必要はないと頑なに言い続けた理由の一つとして、サルンペン将軍の大乱行があったから慎重になっていた、という考えも浮上した。一方、ワルテールは躊躇なく夏侯嬰に出陣を要請した。

 穿ちすぎた見方だろうか、と夏侯嬰は思い直す。公太子という立場から、そこまで突っ込んでフランソワ公に意見できるものであるのかは分からない。また、サルンペン将軍を悪い方向に刺激でもすれば、それこそパトリエール公国は大きな痛手を被った可能性だってある。そのことは、サルンペン将軍が去った後のパトリエール公国の状況を見ても明らかだ。

 だがそれらの要素を加味しても、サルンペン将軍の乱行を放置することは許されることなのだろうか? 本当に、見過ごすことしか出来なかったのだろうか?

 今更考えても詮のないことだということは、夏侯嬰も承知している。だからこそ今の彼に出来ることは、第二・第三のサルンペン将軍にならないことだ。

 そして、パトリエール公国を第二のプニエ公国にしないことなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る