擾乱 ≪3≫

 救命艇で流れ着いた船員は、以下の5名であったと記録されている。

 夏侯嬰かこうえい伯明はくめい。八尺の上背を誇る壮年の武人。52歳。

 公孫紹こうそんしょう孔仁こうじん。腰の曲がった老爺で、夏侯嬰には老師と呼ばれている。88歳。

 公孫範こうそんはん文則ぶんそく。16歳の青年。

 シンタウィーチャイ・ソッピットゥヴティウォング。操舵に長けた男性。32歳。

 イシャーン・バラクリシュナン。学者の風体をした男性で、多言語に通じている。48歳。


 彼らが海岸線で発見された当初、パトリエール公国がまさに戦時下であったこともあり、彼らの身柄はひとたび軍に預けられることとなった。船員らはみな一様に消耗しており、所持品などからも彼らが何かしらの諜報活動や破壊工作を目的としているとは考えられなかったが、軍はあくまで慎重にことを運んだ。船員の中からエルミリア標準言語を話せるイシャーンが、今回派遣された使節団の航海の目的を説明したが、それが北の大帝への謁見を求めるというものであったため、彼らに対する警戒は解かれなかった。北の大帝への特使であると伝えれば、最低でもそれを言付けてもらえるものと考えていた一行は、肩すかしを食らう格好となり、北の大帝の権勢が衰えていることを実感するに至った。

 しかし数日後、事態は急変する。

 フランソワ公の一声により、使節団は客人としてもてなされることになったのだ。彼らに対する軟禁状態は丁重に解かれ、清潔な衣装を与えられ、公への謁見が許された。

 大陸歴748年3月3日、夏侯嬰以下5名が、謁見場へ姿を現したと伝えられている。公側からはフランソワ公・エレーヌ公妃・ワルテール公太子・リュシエンヌ公女が参列しており、使節団に対する最上の礼が尽くされたことが覗われた。


「ささ、どうぞ皆様、楽な姿勢でかまいません。長旅の後でさぞお疲れのことでしょう。こちらでの謁見はなるべく早めに切り上げましょう。皆様のために、今宵は晩餐会を予定しております。ご覧の通り、相次ぐ戦乱のために貧しく何もない国ではありますが、精一杯もてなさせて頂きます」

 片膝をついてフランソワ公の前に居並んだ使節団一行に対し、公は慇懃なまでの態度で声をかけた。通訳のイシャーンも逆に気圧されるほどの迫力の無さだったが、馬鹿丁寧にもてなされているというニュアンスは誰の目にも明らかだったので、そのまま訳した。

 その言葉を受けて、夏侯嬰が口を開いた。

「改めましてこの度は寛大な処遇を賜り、感謝いたします。また、遭難したところを助けて頂いたご恩は忘れません。然るに我々は、寄る辺となる船を失い、母国へ帰る手立てもございません。誠に心苦しくも、公爵殿下の元に、束の間の居候をさせて頂くことをお許し頂ければ幸いにございます。また、私自身には多少なりとも武術の心得がございます。聞けば貴国は今まさに戦乱の最中におありであるとか。もし私を信じて頂けるならば、何卒お役に立てて下さいまし」

 今はこうして畏まってはいるが、立ち上がれば身の丈八尺、およそ2メートル40センチの大巨人である。そしてその体躯は見るからにたくましく、数多の古傷はまさに歴戦の証。そのような男が軍に戦力として加われば、あの傍若無人なプニエ公国軍も泡を食って逃げ出すのではないか、と居並ぶパトリエール公国側の家臣の誰もが思った。

 しかし当のフランソワ公は、通訳された言葉を聞くなり、それは心外とばかりに取り乱した。

「そ、そのようなことを御客人に押しつけるなど、恐れ多いことでございましょう。ただでさえ皆様方は運悪くもこのような貧しく何もない国へ漂着されてしまった。居候などと卑下なさることもございません。正式な国賓として、城内に居室をご用意させて頂きます。また、言葉が通じないのも大層不便であるかと存じますし、周辺国へ使節団を派遣なさることになるのであればなおのこと、大陸標準語を学ばれて損はありますまい。家庭教師をご用意させて頂きます」

 もはや何か弱みでも握られているのかと思うくらいに、フランソワ公の平身低頭ぶりは際立っていた。夏侯嬰は、これには何か裏があるに違いないとまで考え、却って警戒を強めてみたものの、後日それが取り越し苦労であることを知った。

「また聞けばあなたたちは、北の大帝陛下への謁見をすべく海路をはるばるやってこられたとか。こう申し上げるのも残念なことではありますが、今現在、我が国の周囲の情勢はいささか不安定なものでして、北の帝国へ渡るのはいささか困難が伴うでしょう。また、北の大帝陛下は以前よりお体が優れないともお聞きします。我が国との交流も随分と前に途絶えました。いずれ、機を改められるのが最善かと思います」

 フランソワ公として見れば純粋な厚意からの進言であったが、これもまた夏侯嬰の不信を数段階深める結果を招いた。

 謁見の最中、エレーヌ公妃やワルテール公太子も、穏やかな笑みを浮かべるだけでこれといった感情の表出は見られなかった。ただ一人、当時8歳であった第三公女のリュシエンヌだけが、退屈そうに辺りを見回したり、せわしなく足をばたつかせたりと、年相応の態度を示した。つまり、全てが平和な一日の一コマといった雰囲気の中で進行した。戦時中に他国から漂着した不審者と領国を治める公爵との謁見という、一触即発の儀式であるにもかかわらず、夏侯嬰にはそれがひどく緊張感のない茶番に思われた。


 晩餐会は驚くべきことに、公爵一家と使節団一行のみで執り行われ、使用人の他は衛兵すら立ち会わなかった。彼らが不用心であればあるほど、夏侯嬰の心中には罠を疑う猜疑心ばかりが芽生え、食欲どころの騒ぎではなく、巨躯に似合わないほど少量の食事しか喉を通らなかった。そして気遣いの人とも言うべきフランソワ公はそのことを実によく覚えていて、その勘違いが晴れるまで、夏侯嬰に用意される食事量を敢えて控えめに提供し、彼を苦しめることになった。

「こ、ここが、約束の地であるのかの?」

 宴もたけなわという頃、公孫紹が誰にともなくそう問いかけた。食事も、ひ孫である公孫範の介助を頼まなければままならない。イシャーンは躊躇う素振りを見せた後それを通訳し、この方はそれしか仰らないのです、と付け加えた。

「老師、誠に残念ながら、我々は嵐に遭い、こちらに漂着したのです。ゆえに、ここは約束の地ではございません」

 夏侯嬰が、慣れた口調で応答した。公孫紹は黙って頷き、立ち枯れた老木のように静止した。

「約束の地って何?」

 リュシエンヌが無邪気に口を挟んだ。

「海賊たちが隠した財宝が眠ってるという場所って話なんだ。まあ、おとぎ話だろうけど。今やそんなこと言うのは爺さん婆さんくらいで、誰も信じちゃいないけどね」

 公孫範がぶっきらぼうに答えた。

「あなた、しゃべれたのね!」

 驚いたリュシエンヌが大声を出し、エレーヌ公妃に優しくたしなめられた。公孫範は苦笑いを返した。

 その後、フランソワ公がこの国の土地柄であるとか、特産品や文化など、とりとめのないことを話した。戦時中であるにもかかわらず、戦争の話は一切しなかった。或いは、軍機に触れるであるとか、そういった理由かも知れなかったが、夏侯嬰にはいかにもそれが不自然に感じられた。と言うよりもはや、この場の何もかもが間違っているようにすら感じられた。

 食事が終わり、一行はそれぞれの居室へと案内されることになった。

 応接室を横切る際、公孫紹があるものに反応し、体全体を震わせながら指さした。

「ああ、ああ」

 見ればそこには、東洋のものと思しき文字の刻まれた短い円筒状の木彫り細工がいくつも置かれた木の盤があった。

「象棋か。しかし、なぜこんなところに」

 夏侯嬰が呟いた。

「この置物ですか」フランソワ公が彼らの動向に気付き、言った。「とある交易商の方から売って頂いたものです。何でも、素晴らしく価値のある骨董だそうで、魔除けやまじないに使われていたとか。いや、私にはさっぱり分からないのですが、もしやあなた方には心当たりがおありですか?」

「爺さんが指せます」

 公孫範が答えた。

「そうでしたか。いかに価値のあるものとは言え、使い方の分からぬ私が置物にしていても仕方ありますまい。よろしければ、後ほどあなた方の居室へ届けさせましょう」

 フランソワ公が快く提案した。

 公孫紹が何度も頷いた。その一度は枯れかけた彼の眼差しに、一筋の光が差したように見えた。

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