第2章 擾乱 ~神に選ばれし公女・リュシエンヌ・ド・パトリエール~
擾乱
擾乱 ≪1≫
これより語られる一連の話は、サッカーの誕生より遡ること百余年、大陸暦650年前後に端を発する。
エルミリア大陸に住まう者から見て東大陸と呼ばれていた地には、別名「夷狄の巣窟」という不名誉な蔑称が存在していた。有史以来、エルミリア大陸は騎馬遊牧民による数多に及ぶ侵入を受け、そのたびに甚大な被害を出しつつ、辛くもそれを退けるといった歴史が繰り返されてきたからである。
中には彼らと通商を持ちたいと望む者もいた。しかし、東大陸の騎馬遊牧民は総じて交渉ごとに関しては強かで、相手を騙すことを屁とも思わない節があり、余程の剛の物でない限りこれを持て余す結果となった。国家が派遣した使節団であっても、ひとたび交渉ごとで揉めるようなことがあれば、これを殺すことさえ厭わなかったのである。
そういった経緯があり、エルミリア大陸人は東大陸人を、長きにわたって未開の蛮族だと決めつけていた。
しかし、事実は少々異なっていた。
そもそも、東大陸を一つの地域として括るにはいささか無理があるのだ。
東大陸において最も広大な領域を占めたのが、中央高原と呼ばれる領域で、そこが主に騎馬遊牧民の活動拠点であった。彼らは季節ごとに集団で移動するのが特徴で、多数の家畜を育てるためには広大な牧草地帯が必要だったのだ。古くから縄張り争いをしてきたことから極めて好戦的な種族として知られる一方、定住を行わないために、エルミリア大陸人に未開という印象をなおのこと植え付けることになった。
一方で、東大陸において最も繁栄していた地域は、その中央高原を越えてさらに東、エルミリア大陸から見て極東と呼ばれる地域であった。ここでは数多の小国家が生まれては互いに争い、最終的に一つの大国家となって安寧を得る、という周期を数百年ごとに繰り返していた。
大陸暦650年当時において、極東はまさに戦乱の最中にあった。国家は大小およそ9つに分かれ、互いに権謀術数の限りを巡らせて相争うという、まさに混沌のるつぼであった。
そのうちの一つに、
東大陸の東沿岸をその版図におさめ、よく訓練された水軍を持っていた。また、大陸随一の河川として知られる長河の流域を抑えており、内陸部との水運を盛んに営むことで栄えていた。
ここに突如として『紀夫ノート』の存在が確認されることになる。そのノートの発見者の名前は伝わっていない。浜辺で発見されたそれは、紆余曲折を経て地域の官吏の元へ届けられ、そこから更に紆余曲折を経て、発見から3年後くらいに齐国における時の王、武王の元へ献上された。
『紀夫ノート』の文字は、当時の齐国において用いられていた文字と極めて似た特性があり、すぐさま解読班による検証が行われた。後にプニエ公国のフレジエ司教が指摘するところの『複雑文字』は、齐国の人間にしてみれば日常レベルの複雑さに過ぎなかったのである。ただし、それが逆に災いした。彼らには平仮名・カタカナ・アルファベットの区別がまるでつかなかったのだ。加えて、なまじ漢数字の表記が似通っていてそちらが先に同定されてしまったせいで、アラビア数字が数字として認識されなかった。
さらに彼らの不幸に輪をかけたのが、発見された『紀夫ノート』が、『サッカー部・近隣校・地域連絡リスト:沼渕紀夫』と表題された、ただの住所録であったことだ。
元来几帳面で知られていた紀夫は、住所録を記入する際に『三丁目二番地五号メゾン・ルクレシアス五〇二』などと漢数字を用いた。
これを易占師が「海賊王による宝物の埋伏されし在処」、つまり宝の地図だなどと言ってしまったお陰で、世にも大規模な徒労が華々しく幕を開けることとなった。
齐国が誇る海軍が、極めて曖昧かつ乏しい根拠を元に、沿岸部の島嶼をしらみつぶしに廻った。王に探せと命令されれば、いかにその宝の地図とやらが意味不明でも、探さざるを得なかったのである。
また、海軍が発達していたということは、海図や測量技術も発達していたということでもある。そして、これらの余計な知識が彼らをますます泥沼の深みへと導いた。住所録にランダムに出現する数字の数々は、特定のポイントの座標を示していると曲解された。
この宝探しという国家の一大事業は、最初の数年は大々的に遂行されたものの、まさにこの事業が遠因となって国力が衰えたために、後に縮小の一途を辿った。治世の前半において国を栄えさせ、類い稀な名君ともてはやされた武王であったが、この事業のために後半の評価は散々となった。
しまいには、一向に成果の上がらない本事業は、海賊や流刑囚などのならず者に引き継がれていき、大陸暦にして662年に齐国が滅亡した後も細々と継続された。
元より流れ者である海賊・流刑囚の集団は、次第に国家の枠に囚われない自由な探索を求め、南下・西進していった。それだけ宝の地図という存在にはロマンめいた魅力が備わっていたのだ。
彼らは沿岸の各地に独自の集落を築き、時には根を下ろして小国家さえ建設してしまった。彼らの海運網は、それらの小都市・小国家同士をつなぎ合わせ、後の歴史家をして海運史の時計を百年進めたと言わしめた。
そしてついに彼らは、東大陸から見て南西に位置する南大陸各地に拠点を築きながら、エルミリア大陸に迫る航路にたどり着いた。その頃には、宝探しという目的を覚えている者は、うわごとのように呟き続ける老人を除いてほとんど存在しなかった。彼ら一団の、エルミリア大陸南端への到着は大陸暦740年前後と記録されている。エルミリア大陸の全域が、既に領主国家として当主を頂いていた地域であり、ここに拠点を築くことは断念せざるを得なかったが、彼らとの関係は必ずしも敵対的なものではなかった。
大陸暦748年初頭、とある使節団がエルミリア大陸を目指していた。使節団長は、かつては極東の水軍の将として名の知られた家系に連なる者であった。祖先が勢力争いに敗れ政治犯として流刑を言い渡されて以降、流浪の宝探し船団における重鎮のような地位を築いていた。彼自身は氏名を夏侯嬰、字号を伯明といい、背丈は八尺に及んでよく武芸を嗜んだ、まさに偉丈夫というべき壮年だった。
彼らの航海は、序盤こそ順風満帆であったものの、あと少しというところで嵐に見舞われた。手ひどい遭難であり、船は大破、夏侯嬰をはじめとした数人が、救命艇で命からがらとある浜辺に流れ着いた。
パトリエール公国。
そこは当時、まさにプニエ公国との戦乱のただ中にあった。
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