聖四祖会議

聖四祖会議 ≪1≫

「ご覧あれェィ! これぞ、フレジエの囲い」

 教会の応接間で、テーブルの上に置かれたチェス盤を挟んで睨み合っていたのは、ジャンとフレジエ司教だった。使用していたセットは、エルミリア大陸で最も流通しているタイプのチェスである。黒と白に塗り分けられた気品のある駒が特徴だ。グーブリエが至高の黄楊ボックスウッドを求めて彷徨い歩いた末に手に入れ、木細工その道40年のベテラン職人に彫らせた最高級の逸品である。本来ならばフレジエ司教が鼻脂を拭い取った指で触れていいものではない。免罪符を刷りまくって蓄えた教会予算をそのまま骨董にぶち込んでくれる太客でなかったら、教会に買い取らせるところだ。いや、どうせ教会に金が余ってるならやっぱり買い取らせよう、とグーブリエは思った。

「卑劣だぞ、司教。王将GOALKEEPERの周りを歩兵PAWNで囲いきってしまったら、どうやっても終わらないではないか」

「難攻不落、ゆえにフレジエの囲いであります」

 ジャンとフレジエ司教との会話は、朝からこんな調子であった。

 彼らの目的は一つ、それはサッカーの再発明であった。古ともつかぬ、謎の技術により遺されし冊子に記されていた謎の何か、サッカー。まずはそのサッカーのルールを策定する必要があり、そのためのテストプレイを行っていたのだ。フレジエ司教らの不断の努力によりごく一部ながらも解読が奏功し、おぼろげな輪郭を露わにし始めたサッカー。その本質から遠ざかっては元も子もない。慎重を期したテストプレイが必要な道理である。端から見るとふざけているようにしか見えなかったが、彼らは真剣だった。

 差し当たり、最低限のもやっとしたルールだけ何となく決めて、指し始めた。歩兵×10、王将×1を、8×8マスのチェス盤に並べ、ボールを持った駒が敵陣一列目の中央二マスのどちらかに到達したら、ゴールというルールだ。

 歩兵の動きは前後左右に一マスで、“成りプロモーション”なし。王将は前後左右に加えて斜め方向にも一マス動けるが、自陣一・二列目の中央周辺にある4×2、計8マス(ペナルティエリア)から出られないものとした。そうしたら、フレジエ司教は早速王将の周囲を歩兵で囲ってしまい、あとは自陣の駒の一つを反復横跳びさせることで手を空費する作戦に出たのだ。

「一枚一枚、剥がしていくしかありませんな」

 グーブリエが他人事のように、ワインの香りを嗅ぎながら言った。プニエ公国は世界にも名だたるワインの生産地として知られていた。交易商であるグーブリエがこの地に立ち寄るのも、ひとえにこのワインがあるからだ。

「いや、これどう見てもサッカーじゃねえだろ」

 ついにジャンが不平の言葉を口にした。それにいち早く反応したのがロワイエだった。「こんなもんサッカーじゃない」というジャンの主張は、彼の中では軽くトラウマになりかけていた。ロワイエにしてみれば、もう何がサッカーでも良かった。その点で、強引にチェスをサッカーにしてしまったグーブリエには、口にこそしていないが感謝していた。

「我々はそもそも、サッカーがどういうものなのか、完全に知り得たわけではありませんからね。ただ、確かに現状ではサッカーの本質とはかけ離れているだろう、という意見には同意します。チェスの一種としてみても面白くない」

 ワインを飲みながらグーブリエがうなずいた。

「飛び道具は必要であろう。桂馬KNIGHTだっけ、他の駒を飛び越えて8方向に進めるやつ。あれを2枚入れよう。あと、飛車ROOK角行BISHOPあたり。だが女王様QUEENはちょっと性能が壊れてるからご勘弁願いたい」

 盤上に並んだ駒をわざと崩しながら、ジャンが畳みかけるように言った。おやめなされ、とフレジエ司教が懇願するのも聞こえていないようだった。

「だいぶ形が見えてみましたな。いやあ、お二人の対局を見ておりましたら、色々アイディアが湧いてきましたよ」

 整理してみましょう、ともっともらしくグーブリエが言うので、ジャンとフレジエ司教は借りてきた猫のように大人しくなった。

「これから大まかに私の考えたルールを説明したいと思いますが、どのみちいきなり聞いたところで全てを覚えることは出来ないでしょう。こちらの紙により詳細に書き残しておいたので、忘れた場合には逐一ご参照頂きたい。ま、習うより慣れろですな」

 彼が主張するところのルールは、おおむね以下のような項目であった。

(※グーブリエ氏の厚意により、ルールのより詳細を次エピソードに掲示)


●盤面は9筋×11段に加えて、両陣営の一段目中央のマスから外に出っ張るような1マスをゴールマウスとし、計101マスを使用する。ただしいかなる駒もゴールマウス内には進入できない。

●王将を詰ませるかゴールマウスにボールを運ぶことを勝利条件とする。

●盤面は自陣エリアの三段、中盤エリアの五段、敵陣エリアの三段に分ける。駒を配置する際に、それぞれの陣営が採用するシステム(3-5-2など)に応じて配分し、それぞれのエリアにおいて最も自陣寄りの段の任意の筋に置く。ただし、先手側はキックオフに必要な駒を盤面中央に配置しなければならない。

●駒の種類は、王将×1枚、飛車×1枚、角行×1枚、桂馬×2枚、歩兵×6枚の各陣営11枚ずつで開始する。歩兵は前後左右4方向、桂馬は八方桂、それ以外は元のチェスの動きと一緒。ただし、大駒(飛車・角行)がエリアを隔てる線をまたいで移動する場合には制限を受ける。

●パス・シュートは、基本的に駒の動きと同様の場所へ出すことが出来る。ただし、歩兵と王将は本来の動きのもう1マス先までパスが届く。大駒のパスがエリアを隔てる線をまたぐ場合は移動時とは異なる(より緩い)制限を受ける。


「よく分からんが、まあ、やってみることとしよう」

 とジャンは言ってはみたものの、9×11のマスを持つ盤がなかったので、取りあえず諦めるほかなかった。

「この腹案を元に、盤と駒を作らせましょう。この時のために、上質な黄楊を確保してあります。ま、本当は元々チェス盤を作らせるつもりでしたが、全てサッカー盤に振り分けることにします。完成した暁には、真っ先に城とこちらの教会に寄贈いたしましょう」

 グーブリエが気前の良いところを見せつける。彼にしてみれば、城と教会のお墨付きでサッカーを普及させることが出来るのであれば、サッカー盤も飛ぶように売れるはずで、元は取れるであろうとの目算だ。

「これでようやく理想のサッカーが出来るのだな……その、お、お前たちには感謝してやらんでもない」

 ジャンが言うと、フレジエ司教が誇らしげにうなずいた。

 ロワイエも、ようやく肩の荷が下りた気分である。彼はこのように場が和やかになることを、半ば信じられないような思いで見守っていた。あれだけ口角泡を飛ばしながら、半ば罵り合いの中で生まれたサッカーだ。特にロワイエは、何度も忸怩たる思いをさせられた。これを以て報われたと考えるのは温いかも知れないが、少なくとも以前よりは枕を高くして寝られるだろう。

「それでは、私は隊商を待たせてあるので、これでお暇を頂くといたしましょう。次にまみえるのはおよそ4年後といったところでしょうな」

 そこで唐突に、グーブリエが別れを切り出した。

「ちょっと待て、サッカー盤を寄贈するという話はどうなる」

「そんなものは商会の者に任せますよ。商売は常にタイミングが命です。時は金なり。せっかく、サッカーという面白い商売道具を手に入れたのだ。これをエルミリア大陸中、いや、世界中に広めない手はありません」

 グーブリエの態度は、実にあっけらかんとしていた。むしろ、これから待ち受ける未知の探索や、サッカーの伝道の伴う困難を、逆に楽しもうとすらしているように見えた。

「ほ、本当に行ってしまうのだな」

 その言葉は、反射的にジャンの口から飛び出した。自分自身の言葉がまるで意外であったとばかりに、ジャンは気まずそうな表情を浮かべた。ジャンはグーブリエが苦手だったはずだ。少年時代には、この風変わりな風来坊が城を訪れる度に、顔を合わせないよう、城のどこかに隠れていたものだった。

「グーブリエ殿、達者でな」

「主のお導きがあらんことを、拙僧からもお祈り申す」

 皆が口々に別れの言葉をグーブリエにかけた。

 そしていよいよグーブリエがこの場を去ろうと背を向けた刹那、ジャンはあらん限りの声を上げた。

「4年後、プニエ公国は、サッカーにおいて覇を競う催しを行うものとする。プニエ公国杯だ! グーブリエ、そなたも参加せよ、必ずだ!」

 その言葉に、グーブリエが立ち止まった。しかし、振り返りはしなかった。

 教会前の目抜き通りを、隊商が列をなして鎮座していた。飽くなき探求を合い言葉に、彼らはエルミリア大陸を離れ、遙か南方、東方を目指す。

 その先頭にはグーブリエがいる。

「違いますな、公太子殿下。失礼ながら、我々が再び集うのは、プニエ公国杯のためなんかじゃない。言ったでありましょう、サッカーは世界中に広がるのです」

 正午を知らせる教会の鐘が鳴り渡る。それは雲一つない空をどこまでも駆けていくようだ。

 グーブリエが後ろ向きのまま、右手の親指を力強く天に突き立てた。

「我々が再び集うのは、4年後の世界杯ワールドカップのためであります!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る