黎明 ≪6≫

 グーブリエは「最近チェスにハマっておりまして」と言いながら、荷車から何種類かのチェス盤と駒を持ち出し、応接間のテーブルに並べた。グーブリエがハマっていると言えばまず間違いなく収集コレクションの話で、ゆえにチェスにハマっているというのは様々な種類のチェスを集めることにハマっているという意味であることは、彼と1ヶ月以上の付き合いがあれば誰にでも分かった。

 しかしながら、彼はただの収集家コレクターではなく、同時に交易商人であり、名うての好事家でもある。ゆえに価値のあるものに対する執着は凄まじく、ただ集めて満足するだけの収集家気取りとは一線を画していた。つまり、彼がチェスにハマっていると言えば、様々な種類のチェスの収集にハマっていると同時に、余程腕に自信がない限り彼を(種類を問わず)チェスで負かすことも出来ないという意味でもあった。このことを知る者は多くなかった。

「まず大前提から確認したいんだが、そもそもチェスとは何だ?」

 ジャンが単刀直入に訊いた。ロワイエの顔が緊張でこわばる。ここでグーブリエが受け答えを間違えれば、ジャンは先ほどのように癇癪を起こしかねないからだ。せっかく現れたサッカー候補を、これ以上無駄死にさせる余裕はない。ロワイエはすがるように祈った。思えば、教会に来て本気で何かを祈るのは、随分と久しぶりだった。

「地域によってルールは様々ですが、その本質を一言で言い表すならば、盤上の駒をルールに従って動かし、相手の王様キングに相当する駒を詰ませるという大目標を巡って勝敗を競うゲームですな」

 グーブリエも単刀直入に答えた。彼にしてみれば、そもそも自分の答がジャンに試されているなどとは夢にも思っていない。しかしながら、交易商としてのし上がってきた彼には、独特の話術や勘という武器があった。チェスは、将来自分が売りつけることになるかも知れない、いわば未来の商品だ。予め価値のあるものだと刷り込んでおいて損はない。事実、グーブリエがサッカーイコールチェス説を唱えた背景にも、そういった思惑があった。

 もちろん、あからさまにそれをやることが逆効果であることも心得ていた。チェスが何であるのかを訊かれて、お買い得ですよなどと答える人間は商人として生きながらえない。あくまで自然体。相手が興味を示したら、そっと撒き餌を散りばめる。

「勝敗を競うゲーム、つまり、ただのお遊びということか?」

 しつこく確かめるように、ジャンが質問を続ける。ロワイエは気が気でない。そもそもジャンがサッカーに何を期待してそのような高望みをしているのか、ロワイエにはまるで理解できない。

 しかし、グーブリエの顔色はいささかも変わらなかった。

「とんでもございません。世の中にチェスほど、大局観、ならびに先見性を問われるゲームはありません。要は、軍事における図上演習のようなものだとご理解下さい」

「ふむ」

 差しあたりグーブリエの説明に納得し、ジャンは口をつぐんだ。ロワイエは胸をなで下ろす。

 グーブリエの説明は快調に進んだ。

「これは極東のチェス。『象棋』と書くらしいのですが、私には読み方が分かりません。『帥』または『將』と呼ばれる駒を巡って、『红方』と『黑方』が、これは赤軍と黒軍ということのようですが、その両者が勝敗を競うチェスですな。特徴的なのは、それぞれの自陣中央に近い『九宮』と呼ばれる九カ所の地点から、王様に相当する『帥・將』の駒は出られないというルールです。これで私はピンと来たわけだ。『紀夫ノート』にあるところの、『ペナルティエリア』と『GK』の関係がこれだ、とね」

 次に取り上げたのは、南方のチェス。世界最古のチェスにして、全てのチェスの起源でもある。

 そして近年エルミリア大陸に持ち込まれたチェス。王冠や城砦などの意匠が施された、優美な駒が特徴である。

 グーブリエが、大まかにそれぞれのルールを説明する。駒の動きや反則、その他細々とした部分に違いは見られたが、いずれも最終的には王様に相当する駒を詰ますことが目的だ。

「なるほど、確かにこれまで見てきたサッカーの要素とかなりの共通点が見受けられるようだ」

 ジャンの口調は落ち着いていた。しかし、猜疑心に満ちた表情までは隠せない。グーブリエは、訊きたいことがあるなら遠慮せずにどうぞ、とばかりに向き直る。

「一つ確認したい。サッカーには『ゴール』という目的地がある。然るに、チェスはただ王様を取り合うだけのように見受けられる。これは矛盾ではないか?」

「さようであります。しかしながら、『GK』を王様に見立てれば、いずれにしても『GK』を突破されたチームの『ゴール』は無力なわけであります。私は、これは矛盾ではないと考えます」

 ジャンの質問に、グーブリエは淀みなく答える。

「あと、これは俺も先ほど知ったのだが、サッカーには『ボール』という要素が不可欠である。しかしながらチェスには『ボール』に相当する概念はなさそうだ。これはどう説明する」

「これはいいところを突かれましたな。そもそも、チェスのルールは国や地域、時代によって様々です。東大陸を挟んで東西を隔てれば、ルールから見た目までこうも違う。ことに、未知の材質で作られた紙に未知の言語で書かれたものが、既存のものと同じであるはずがありません。『ゴール』にしても『ボール』にしても、何かしらアレンジを加えられたものと考えて然るべきでしょう」

 グーブリエの表情ににじむ自信は、微塵も揺らがなかった。例えこれがハッタリであったとしても、並の神経でなせる技ではないと思わせる態度であった。

「気に食わないな。どうも都合良く解釈しているだけに思える。俺はただ、もっとサッカーの本質に迫りたいだけなのだ。確かに、チェスにはサッカーと多くの共通点がある。それは認めよう。だが、決定的な違いもある。この違いは、本質的なものだ。ゆえに、俺にはこれを、サッカーと同じものだとは認められない」

 この話題に関しては、ジャンもとことん頑なであった。

 ロワイエは思った。お前、サッカーの何なんだ? と。つい昨日今日拾った冊子に書いてあったサッカーとかいうこの謎の何かを、どうしてそこまで必死になって突き止めなきゃなんないんだ、と。ある程度まではこっぴどくジャンの鼻っ柱をへし折ったロワイエ自身のせいであることは自認していたが、元を辿ればジャンがこれを兵法書か何かと勘違いして、散々人を振り回したせいでもある。こっちはそれでどれだけの迷惑を被ったと思ってるんだ、というのが今現在のロワイエの偽らざる本音だった。

「作れば良いのです」

 静寂を切り裂くように、グーブリエが言った。

 その言葉は、ロワイエを憤怒という名の炎の中から連れ戻した。

 その言葉は、ジャンを頑迷という名の檻の中から連れ戻した。

 その言葉は、フレジエ司教をまどろみという名の夢の中から連れ戻した。

「作りましょう、サッカーの本質を余すところなく詰め込んだ、新しいチェスを」

 夕日が教会のステンドグラスを透過して、原色の波状を白い壁に描き出す。主の生誕を祝福する天使の姿が、応接間を淡い光で包み込んだ。

「違うだろ、グーブリエ。俺達が作るのは、新しいチェスなんかじゃない」

 ジャンが言う。一言一言を区切りながら。

 これが後のサッカー史において聖四祖と呼ばれることになる四人の、記念すべき門出だった。

「俺達が作るのは、新しいサッカーだ!」

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