黎明 ≪4≫

 ジャンらは冊子のページを手繰りながら、あらかじめフレジエ司教らに書き出してもらっていた頻出語句リストに目を通した。

『S・H・パス・FW・HB・FB・MF・DF・OH・SH・DH・CB・SB・WG・CF・GK・SP・ボール・FK・CK・佐藤・鈴木・……』

 ランダムに並んだその文字列からだけでは、到底特定の意味などを拾っては来られなさそうであった。ただ、これらの語句がどのような場面で用いられているかを検証することで、少しは意味の特定に繋がるかも知れない。特にこの冊子が本当に兵法書であるのなら、教会の司祭などに任せるよりも、実際に図上演習に参加したことのあるジャンやロワイエが目を通した方が、より手がかりが得られやすいだろう。そのような思惑でロワイエはジャンを連れてきたのだった。

「さてこの冊子、書き手の悪筆を余すところなく反映した、読むに堪えないものでございまして、しかも訳の分からない言語が用いられていると来たら、並の忍耐力で臨むことは寿命すら縮めかねない、素人には到底お勧めできない代物にてございます。然るにこの拙僧フレジエ、並ならぬ情熱と鋼の意思を以って、数々の新事実を白日の下に晒しえたことをここに披瀝ひれきいたしたい所存であります。まずは、この文字そのものに着目したい。拙僧の手にかかれば干からびて死に絶えたミミズの群れのようなそれからも、深海に眠る真珠の一珠のごとき法則を抽出するに至りました」

 フレジエ司教いわく、0~9の数字以外に、文字は大まかに単純文字と複雑文字に分けられる。彼の定義によれば、濁点・半濁点を除いて(つまり彼は濁点・半濁点の存在も認識していた!)5画以上を要する文字に相当するのが複雑文字で、実際に多くの漢字が複雑文字として分類できた。さらに、単語の組み合わせからの類推で、かなり正確にアルファベットと仮名を仕分けることにも成功していた。それらを使い分ける厳密な基準などは不明としつつも、基本的に3文字以上連なった複雑文字の多くは固有名詞であり、片仮名・アルファベット・および2文字以下の複雑文字は名詞・動詞を含んだ一般単語であり、平仮名は文法の形式上発生を免れ得なかった残りカスであろうとまで見抜いていた。複雑文字の多くを固有名詞だと考えたのは、試合の出場選手リストに大量の名前が書かれていたからである。また、彼は片仮名を高い精度で同定していたけれども、さすがにソ・ンやシ・ツの違いまでは見破れなかった。どの道、個々の単語の意味は依然不明であったから、特にそれで問題はなかった。

「そしてこの表紙に再度ご注目いただきたい」フレジエ司教は一向に勢いの衰えない口調でまくし立てた。「『サッカー部活動日誌 2023 vol4:沼渕紀夫』、これの意味するところなのでありますが、恐らく『サッカーこれ』がこの冊子のテーマに相当するもの、『部活動日誌これ』および『:沼渕紀夫これ』が国名・地名・人名などの固有名詞、『2023ККССГГГ』が暦上の年号か何か、そして『vo14』が巻14となりますでしょう。あくまで可能性の一つでありますが、たとえば、年代記・フルニエ王国 2023 巻14 著ノエル・ナルスジャック、のようなことが書いてあるのではないかと」

 大半の話を退屈そうに聞き流していたジャンであったが、『サッカー』がテーマではないかとするフレジエ司教の話には反応を見せた。

「なるほど、つまりその『サッカーこれ』が何なのかによって、中身の解釈も大きく変わると言うことだな。して、その中身の目星はついているのか?」

「は、憚りながら、そこな分野は拙僧の専門外でありまして……本文中でも(ページをめくりながら)『キッカーこれ』『アタッカーそれ』『ロッカーあれ』のような類似の記述はあるのですが、『サッカーこれ』は見当たりませんで、ひょっとしたらこれらは何かしら名詞の文法的な活用形かも知れませぬ。公太子殿下、何かお考えはございますかな」

 珍しくフレジエ司教が弱気に話を振ってきた。

「まずそもそもの話として、いつまでも、『サッカーこれ』とか『サッカーあれ』では具合が悪かろう。これより『サッカーこれ』をと称する」

 ジャンが高らかに言い放った。

「その発音に何か根拠はあるのでしょうか?」

 ロワイエが訝しげに問いただす。

「そんなものはない。誰も読み方を知らないのであれば、逆にどう読んだところで同じことだ。よしんば今後、その読み方を知っているものが現れたとしても、我々はこう呼んでいると押し通してしまえば問題あるまい」

 割と独りよがりなジャンの理屈ではあったが、ロワイエはすっかり感心した。

「おみそれいたしました。つきましては、そのサッカーについてですが、私は兵法の類ではないかと睨んでおります。それゆえ司教殿、サッカーに関するやり取りの一切は軍機に関わるものとして取り扱い願いたい」

 ロワイエが鋭く言い放った。元よりロワイエはこの冊子が兵法書か何かではないかと疑っており、こちらの一方的な都合とはいえ中身を知ってしまったフレジエ司教に、喋ればただでは置かぬという勢いで威嚇した。

 これは多弁を習性とするフレジエ司教にとっては拷問に等しい。

「フッ、ヒッ、フデュゥ」

 張り詰めた空気感と沈黙を要求する圧力に、フレジエ司教の息づかいが過呼吸気味に逸る。

 そんな彼を脇において、ジャンとロワイエが細部にわたる検討を始めた。

「まずは『センタリングに関する考察、第2項』にある、この見取り図をご覧いただきましょう。1・5・9と番号の振られた3部隊が、四角で囲われた領域の奥にある窪地状の地点を目指して進軍していると思しき模式図であります。最終的に5番隊が『H』により窪地を突破している、と解釈すべきところでありましょうか。恐らく敵の防衛戦力に当たるのがこちらの『GK』でしょう。両部隊間において衝突があったと示唆されます」

 ロワイエが注釈する。

 実際には、右サイドを駆け上がってきた背番号9の選手がペナルティエリア内にセンタリングをいれ、3番がマーカーをひきつけている間に5番がヘディングをし、キーパーの体に当たりながらもゴールを決める、という場面のスコアシートだ。

「この窪地が城門で、『H』は城壁の守備隊へ対する投石か何かであろうか? ならば『GK』とする部隊はなぜ城門の外で敵と構えている」

「篭城するのであれば、兵は城内に引き上げるのが原則でしょう。この見取り図はより開けた場所での会戦で、この窪地の地点は敵の本陣に当たるのでは?」

 二人が熱のこもった議論を繰り広げる。

 さらにページを手繰ると、異なるシチュエーションから『ヘディング』なり『シュート』なりでゴールが決まる様子が克明に記されている。また、他のページにはスタメン表があり、ポジション毎に選手の名前が敵味方それぞれ11名ずつ並んでいる。

 余白の走り書きのメモ、とりとめのない落書き、そういった雑多な情報が、出口のない二人の議論をますます踊らせる。

 結局、全てのページを改めるのに、半日近くを費やすことになった。

 そして分かったことは、サッカーにおいては基本的に戦力は敵味方それぞれ11部隊に別れ、お互いの本陣と思しき地点に向かい、何らかのアクション(多くは『H』か『S』)を加えるということだった。

 ロワイエは、これまでの兵法の常識とは余りにもかけ離れた展開に「もしかしたらこれは兵法書などではないのかも知れない」と薄々勘づき始めていた。しかしながら「これは兵法書かも知れない」などと言い出したのはそもそも自分であった上に、今の主人であるジャンがページをめくる毎にこれが兵法書であると言う確信を深めていってしまっているため、いよいよ進退が窮まった感覚に悶えていた。また同席したフレジエ司教に至っては、秘密を漏らしたら殺される勢いで念を押された上に、解読に必要な助言をしなければならないとのお達しで部屋からも出してもらえず、半日に及ぶ生き地獄に堪えなければならなかった。

 日もどっぷりと暮れて合議が終わった頃には、ジャン以外の二人は憔悴しきっていた。ロワイエは真剣に、この巻14以外の冊子が見つからないよう祈る気分であり、何なら先ほどの「他の冊子を見つけ次第報告しろ」という命令をどこかで握りつぶしてやろうという気分だった。

 そんな二人を尻目に、ジャンは一時の落ち込んだ気分をすっかり払拭して、高らかに宣った。

「図上演習では飽き足らぬ、兵を集めて模擬戦を行うのだ!」

 ロワイエは頭を抱えた。

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