3.

 夜。奈々は満月の影を頼りに、赤い折り紙を折っていた。

「本当に、お狐さんだったのかしら」

 庭の奥に駆けていった草太。話している間はなぜか気づかなかったけれど、あのあとようやく、社をぐるりと取り囲む板垣のことに思い至った。板垣は大人の背よりも高く、門番が常に固めている表の門からしか、社への出入りはできない。子どもが庭に迷い込むことなどありえないのだ。

 けれどたしかに、奈々はあの少年に会ったのだった。だって入ってきた女中が、草太の放り出していった湯呑み茶碗に気づいて、縁側に茶碗なんぞ転がすものではないと小言を言ったくらいなのだから。

 奈々は千々に乱れる思いを抱えきれずに、筆を執った。言いたいこと、聞きたいこと――草太はなぜ庭にいたのか、誰なのか、波多野の家に縁のある者なのか、波多野の守り神を知っているのか、どこに住んでいるのか、もう来てはくれないのか――思いつくまま折り紙の裏に連ねていって、それはいつの間にか、草太への手紙になっていた。

 届けることも叶わぬ手紙に。

 破り捨ててしまうこともできなくて、仕方なしに、奈々はそれを折っていた。知らずしらず、そら恐ろしいほどの願いを込めて。

 届け、届け、届け。

 小さな紙のかたまりから羽を広げ、首を曲げて頭を作る。折りあがったのは、一羽の赤い鶴だった。

 奈々は最後の仕上げに、ふっと胴に息を吹き込んで――がさり、とそれは羽ばたいた。乾いた紙の音がした。

 奈々はあっけに取られて、手の中の鶴を凝視した。鶴は何かを訴えるように、また二、三度羽を動かす。間違いなく、動いていた。

 奈々は小さく声を漏らすと、そっと鶴を抱えたまま、まろぶように縁側へ走り出た。この鶴が何のために命を宿したのか、確信があった。

「お前はきっと、届けてくれるね。草太の許へ、飛んでくれるね」

 祈りに似た言葉を掛けて、折り鶴を空へ放つ。赤い鶴はふわりと風に乗った。

 まるで飛ばされているように、けれどたしかに羽ばたいて、鶴は月夜を飛んでいった。奈々はそれを、草履も履かずに素足のまま庭に降りて、見えなくなるまで見送っていた。

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おりづる 音崎 琳 @otosakilin

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