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王都へ辿り着くまでの間、凋華清から差し向けられた凶手が、何組か続いて襲い掛かってきた。自分たちだけならまだしも、幼い少女がいるため、何とかやり過ごすことはできないだろうかと懸念していた悠玄だったが、その少女の肝は信じられないほどに据わっていた。血走った目で追いかけてくる凶手にも怯えず、葵凌青の馬に同情し、時には手綱さえ任されながら、弱音一つ吐かずにいる。
浬琳というその少女は、滅王派に攫われたとされている飯堂の、雪姫の娘だった。
悠玄たちが見かけた少年は実の息子ではなく、先の内乱で両親を失ったために引き取った子供だという話を聞かされた。
その度胸の据わり具合に、どこかの武人が父親なのかと尋ねてみても、登尊はさあなと言って、首を傾げるだけだった。雪姫は未婚で、父親が誰なのかは、定かではないのだという。
「間もなく清朗だ」
馬を走らせながら、悠玄は声を張り上げてそう告げた。
降露宮にある尖塔が見えてきたため、これらの駿馬ならば、四半刻もかからず到着するだろう。途中、追っ手もかかったが、それで余計に追い立てられる形となり、予想よりも早い時刻に到着することができそうだった。
西、宵黎宮の方角に傾いている太陽は、未だ日の入りには暫しの時間を要する。
「我々は一度宵黎宮に戻るが、そちらはどうするんだ?」
「僕たちは真っ直ぐ降露宮に向かう」
「たった二人でか?」
悠玄が理解に苦しむという表情を浮かべると、凌青は横目に一瞥しながら、三人だと訂正を加えた。いくら肝が据わっているとはいえ、まだ幼い少女を頭数に入れることは間違っていると思ったが、悠玄は深く追求しなかった。
「その人数でどうにかなるのか?」
「援軍をすぐに寄越してくれるんだろ? 正面突破後に嬢ちゃんの母親と子供を助けるくらいなら、まあ、俺には朝飯前だな」
やたらと自信満々に言う登尊を、多少疑わしげに見やりながら、尖塔の位置を確認した。先ほどより迫ったそれを見つめながら、考える。
わざと酔っ払ったふりをして、二人に気づかれぬよう尾行をしていた男なら、確かに相当な武人のはずだと、今は信用をしてみるしかないのだろう。
「志恒」
「はい」
「お前も一緒について行ってやれ。宮城内に詳しい者はいた方がいい」
「……分かりました」
志恒は少し迷うような表情で眉根を寄せたが、断らずに首肯した。
昔は味方だった者の元へ、今は敵として乗り込んでいく者の気持ちなど、悠玄には分からない。けれど、悠玄の言葉に頷いたのならば、それなりの覚悟を決めているはずだ。
処刑されようとしていた志恒を、殺してくれるなと先王の元へ説得に向かった時、言われた言葉がある。
『一度そう信じたならば、お前だけは最後までその信念を貫き通せ。だが俺も、浪玉や嵐稀も、あの者を疑い続けているぞ』
俺の信じる大切な友を殺した男だからと、先王は言った。
『だが、俺は悠玄のことを信じている。お前が信じるというのなら、あの者を生かそう』
決して、許したわけではない。ただ、悠玄が殺さないでくれと望んだから、王は志恒を殺さなかったのだ。当初から、志恒が悠玄の補佐として命じられたのも、妙な動きを見せたらすぐにでも叩き切れるようにと、監察の役割を担っていたからだった。
それでも、悠玄は亡き王に言われた通り、あれ以来自分を疑うことはあっても、志恒を疑うことは一度としてなかった。
「ただし、突入は俺が戻るまで待て。そちらの二人も、そのように頼む」
「善処する」
約束はしない葵凌青の言葉に苦笑いを浮かべ、悠玄は分かれ道へと差しかかる手前で、手綱を握り直した。しかし、手綱を右に引いたその時、思い出したように凌青が口を開いた。
「宵黎宮には兄が邪魔をしているはずだ。既に話が通っているだろう」
何だって、と聞き返すこともできず、手綱の命令に従った馬が木々が生い茂った細道へと入り、視界が遮られた。枝が顔にかかりそうになるのを身を低くして避けながら、馬は巧みに小道を進んだ。
凌青の言う兄とは、おそらく葵家三兄弟の次男のことだろう。長男が葵州を出てくるとは思えず、次男が表舞台に顔を出すことも珍しい。極端に露出が少ないと言われている三男ですら出てきているこの状況は、ある種の異常現象だった。やはり、太子についてのすべての情報は、葵家が握っていたのだ。
地面に横たわっていた枯れ木を飛び越え、衝撃を膝で吸収させると、悠玄は速度を上げる。林を抜けると、丁度宵黎宮の脇に飛び出した。多少急な坂を滑るように下ると、馬の通った後には砂埃が立ち上る。
蹄の音が城壁に反響していた。城門には、常に二人の武官が立ち、門を守っている。必要な時以外は開かれることのないそれが、開かれたままになっているのを見ると、悠玄は馬から下りることをせずに城門をくぐり抜けた。何事かを大声で叫んでいる門番の声が追いかけてきたが、悠玄は馬の足を止めなかった。
階段の前にまで差しかかると、滑るように馬の背から降り、そこを駆け上がる。回廊を走り抜け、自分がずいぶんとくたびれた姿をしていることも構わずに、悠玄は玉座の間に続く扉に向かって、蹴破る勢いで飛び込んだ。
案の定、そこには烟浪玉と、李嵐稀の姿があった。他にも、燃えるような赤い髪をした男と、白銀の髪を高い位置に結い上げた者の姿が見られる。
静かな王の間で、悠玄の荒い呼吸が、幾度も繰り返された。足を止めると同時に、どっと湧き出た汗が目に入り込み、膝ががくがくと震え出した。崩れそうになるのを何とか堪え、膝に両手をあてて、呼吸を落ち着かせようとした。
「おかえりなさい、悠玄」
幼い頃から聞き慣れていた穏やかな嵐稀の声が、場違いに響いた。
悠玄は服の袖で額の汗を拭い、火照る顔の熱にくらくらとしながら、その場で姿勢を正した。浪玉は眉間にくっきりとした皺を寄せ、汚らしい恰好をしている悠玄のことを、煩わしそうに見つめている。
ほんの数日ほどしか空けていなかったはずのこの場所が、酷く懐かしく思えた。
「た、ただいまも、戻りました」
荒い呼吸を繰り返したことで、渇いた喉が咳を催した。それを堪えながら挨拶を口にすると、目の端にじわりと涙が滲む。汗も涙も分かりはしないと一緒くたに拭っていると、顔の前に一杯の水が差し出された。
「どうぞ。私もつい先ほどここに到着したばかりでね、お水をいただいたんだ」
触れれば熱を感じるのではないかと思うほどの赤い髪が、視界に広がった。
その男が差し出している杯を受け取った悠玄は、なみなみと注がれていた水を、一気に飲み干した。
「……あ、ありがとうございます」
「いや」
今は緊迫した状況下であることは間違いないというのに、この場所には信じられないほどの余裕が感じられた。それは、慌てて駆けてきた自分が恥ずかしくなるほどで、悠玄は現状を整理しようと、まずは深呼吸を試みる。
「お前はいつだって肝心な時ほど遅れてやってくるな」
「これでも大急ぎで戻ってきました」
浪玉の小言にもいつも通り返せるようになったところで、悠玄は初対面となる二人の者と向かい合った。年齢的に見ても、葵狼碧はこの赤髪の男だろうと察しはつく。しかし、見た目だけでは、未だ悠玄とそう変わらない若さに見えた。最低でも、三十五は超えているはずだ。
その隣に立っている者は、よく見ると女だということが分かる。背中に二本の剣を背負い、眼光鋭く悠玄を見ていた。
「紹介します。太尉の廉悠玄です」
「元、太尉だ」
わざわざそう言い直した浪玉は、嵐稀の後を引き継ぎ、持ち上げた手の平を二人に向けた。
「こちらは、廉州府州牧の葵狼碧殿と香蘭姫」
姫という敬称がこれほどまでに相応しくない者がいるだろうか。
自分の妹と比べた時点で間違っているのかもしれないが、少なくとも得物を二本も背負っている姫など、他にはいないように思えた。
「関所では私の弟とお会いになったかな」
「はい、清朗まではご一緒させていただきました。降露宮へは、私の部下を連れて先に向かっています」
「おや、それが白蒼だね」
咬み合わない会話に悠玄が眉を顰めると、それを見た狼碧が、自分の腰に佩いていた太刀の内の一本を鞘ごと引き抜いて、悠玄に差し出した。
「蔽剋の紅だよ。栄州の古い言い伝えでは、兄弟刀は互いに引き寄せ合うと言われているそうだ」
そういえば、蔽剋から白蒼を譲り受けた時に、兄弟刀があると聞いたことがあったような気もする。そう悠玄があやふやな記憶を辿っていると、余計な話はするなと咎めてきた浪玉の視線に、思考の軌道を修正させた。
「それで、一件については?」
「大体のことはお話してある。あとは君の到着を待つばかりだったのだけれど、あいにくと廉州軍から兵を引っ張ってはこられなくてね。隠密に事を運びたかったんだ。もしよければ、君の配下を何名か貸してもらいたい」
「それはもちろん、構いません。はじめからそのつもりで戻りましたので」
むしろ、生きた後期大戦中の三英雄と剣を振るえることを、配下たちはこれからの誇りとするだろう。悠玄が頼むよりも、喜んで力を貸すに違いない。
「助かるよ」
「麓路にいらっしゃる瑤俊様から、できる限り早く王都へ向かうという伝言を賜っています。それから、これは叔父から預かってきたものです」
懐に手を入れた悠玄は、絹の小さな巾着から件の石を取り出した。それなら私も持っているよ、と狼碧が取り出した石には、鴻という文字が刻まれている。
「それは事が済むまで君が預かっていてくれればいい」
「分かりました。では、兵を何名か見繕いに向かいましょう。急いだ方がいいかもしれません。そのままの足で降露宮へ向かいます」
前者の言葉を狼碧に向かって口にし、最後の一言を、浪玉と嵐稀に向かって悠玄は言う。数日ぶりに戻ってきたが、報告が既に済んでいるのなら、無駄に時間を過ごすこともないだろう。一刻も早く降露宮へ足を運び、先に乗り込んだ者たちの手助けに向かわなければならないのだ。
「どうか、お気をつけて」
「医療班に招集をかけておいてください」
「はい。そのように手配をして、お待ちしています」
両手を合わせてその場で礼をし、何も言わずに見送る浪玉に軽く目配せをしてから、悠玄は二人に背を向けた。
こうして戦いに赴こうとする準備をしていると、本当に二年前を思い出す。浪玉はいつだって、ただ物言いたげな目をこちらに向けるだけだった。月並みの言葉すら、未だに掛けられたことはない。けれど、この時ばかりは、浪玉の言わんとしていることがよく分かるような気がしていた。
今日まで続いていた存王派と滅王派の膠着状態が、ついに解かれようとしている。冷戦状態で互いに睨み合っていただけの現状から、再び剣を交えようとしているのだ。それが正しいことなのかは分からない。それでも、守らなければならない人がいる限りは、悠玄には太刀を振るい続ける理由があった。
「香蘭殿もご一緒に?」
「邪魔でなければ」
何も言わずに付いてきていた香蘭を振り返って悠玄が問うと、冷え冷えとした声が返ってきた。別に邪魔ということはないのだが、本当に連れていく気なのだろうかと狼碧を見ると、彼は小さく苦笑を浮かべた。
「男のように育ててしまったことを今更悔やんでも仕方がないから、もう諦めているんだ」
このような時だというのに、狼碧の落ち着き払った様子は、やはり異様だった。
そして、葵狼碧という男の印象が、悠玄自身が想像していた者とはあまりに違い、かなり拍子抜けをする。
先王からの寵愛を一身に受け、一州を統べることができるほどの知性を持ち、英雄と呼ばれるほどの武人でもある男だ。これほどまでに気安い男を、誰が想像するだろう。
どちらかといえば、弟の葵凌青の方がずっと、威厳を漂わせていたように悠玄には思えた。
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