第4話 もう1つの甲子園

 ―川野美沙は、美沙の両親と共に、甲子園に来ていた。その目的は、高校野球を見るためでも、阪神タイガースの試合を見るためでもない。

 川野美沙は、その日、12月に行われる、アメリカンフットボールの大学日本一決定戦、「甲子園ボウル」の、観戦にやって来たのだ。

 「いやあでも美沙が、アメフトに興味持つなんて、意外やなあ。」

美沙の父親がそう美沙に話しかけると、美沙は素早くその言葉に反応した。

「お父さん、アメフトやない。フットボール。だって、勇樹くん…立川くんが、そう言っとったもん。

 立川くんはその呼び方に、こだわりがあるって…。」

「そうなんか。父さんは、正直その、フットボールのルールも分からへんけど、美沙は分かるんか?」

「うん!うち、勉強したから…。

 分からんことあったら、何でも訊いてな!」

「分かった。

 それでその、立川、勇樹君っていうのは、美沙のその…、」

ここまで美沙の父親が話そうとした時、ちょうどキックオフとなり、甲子園ボウルの試合が、始まった。

 甲子園球場は、それぞれの大学の応援団、ブラスバンドの音や、歓声に包まれ、美沙は父の言葉を、はっきり聞くことができなかった。

「えっ?お父さん、何て言ったん?」

「…いや、ええわ。大したことやないから…。」

「そうなん。まあええわ。

 試合、始まったな!」

美沙はそう言い、試合の行方を、固唾をのんで見守った。―


 いよいよ甲子園ボウル、当日だ。俺、立川勇樹を始めとした、関西第一大学、タイガースのメンバーは、ウォームアップを終え、ベンチに戻り、あと少しと迫った試合への、心の準備をしていた。

 「よし、とりあえず今日のスタメン、発表するで!

 まず、QBは…、

 橋本、行ってくれ!」

監督は、橋本充君を、先発QBに指名した。

 実は前の日、試合前日、俺は美沙ちゃんに改めて、

「明日の試合、見に来てくれる?」

と、お願いしていた。そして美沙ちゃんは、

「うん、もちろん!

 勇樹くんが活躍する姿、楽しみにしとくわ!」

と、言ってくれた。

 また、10月頃に、俺の肩は元通りになり、その頃から俺は、投球練習も再開していた。(一応、リハビリは予定通りに終わった。)そして、俺なりには、(もちろん自分自身の感覚であるが、)肩の状態を含め、コンディションは元通りになっている、という自負があった。

 だから、監督のその言葉を聞き、俺は控えであると分かった時、ショックが全くなかったか、と言えば嘘になる。ただ、俺は今までの俺とは違う。ここで腐ってはいけない。俺はベンチで声出しして、たとえフィールドに出られなくても、チームの勝利、4連覇に貢献するんだ―。俺は、そう心を決めた。

 俺たちの相手は、関東の強豪、関東第三大学(かんとうだいさんだいがく)、通称「ジャイアンツ」だ。俺はこの対戦カードが決まった時、

『タイガース対ジャイアンツって、プロ野球の、伝統の一戦みたいだな。

 場所も甲子園だし…。』

と1人で面白がっていたが、そんな雑念は、ベンチに入った時には、消えていた。

 ついに、試合前のコイントスだ。フットボールでは、コイントスに勝った方のチームが、先攻・後攻を決めることができる。たまたまその日のコイントスは、相手のジャイアンツが勝ち、相手は後攻を選択した。そして、俺たちは先攻になり、橋本君を始めとした攻撃陣は、その準備をした。

 キックオフ。相手キッカーの蹴ったボールを、こちら側のリターナーがキャッチし、前へ、前へと進んでいく。そして、自陣20ヤード付近で、リターナーは止められた。…まずまずのリターンだ。

 そして、俺たち自慢のQB、橋本君の登場だ。橋本君はセンターの選手からボールをスナップしてもらい、まず、味方レシーバーへのパスを、試みた。

 しかし、レシーバーはそれをキャッチすることができず、パスインコンプリート(失敗)となった。

 この時、俺はうちのチームの、異変に気づいた。特に、橋本君だ。

 その日の橋本君は、明らかに、本来の調子ではなかった。さっきのパスも、本来の橋本君なら難なく決めていた所を、少しのコントロールミスで、レシーバーはキャッチできなかった。

 そしてそれだけではない。そのレシーバーも、俺たちの本当の実力からすれば、質が多少悪いパスでも、キャッチすることはできるはずだ。しかし、今日のタイガースは、それができない。

 その原因ははっきりしている。…プレッシャーだ。

 俺たちタイガースは、甲子園ボウルの4連覇がかかっている、ということで、否が応にも注目されていた。それでも、予選の時は、このチームは本来の実力を発揮し、勝ち進んできた。

 しかし、予選と甲子園ボウルとは、違う。

 特に、まだ1年生の橋本君には、その荷は重かったのかもしれない。

 それでも俺たちは、(相手ディフェンス陣のミスにも助けられ、)何とか攻撃を、続けることができた。そして、敵陣20ヤード、タッチダウンまでもう少しという所まで、俺たちは攻めた。

 しかし、ここから先の攻撃が、続かなかった。相手も関東の強豪だ。相手のディフェンス陣は、最初はミスが目立ったものの、やはり自陣のエンドゾーンを近くにすると、より力が入るらしい。そのためこちら側の攻撃はうまく決まらず、攻撃は最後のターン、4th down(ダウン)になった。

 この攻撃で、タッチダウンを決めていれば、

(その後のキックも含めて)7点が入っていた。しかし、最後の攻撃となった以上、ここでフィールドゴールの、3点を確実に取りに行くのが、セオリーだ。

 また、今は両チームに点が入っていない状態であったので、たとえ3点でも、ここで先制点をあげることは、チームにとって重要だ。そうすれば、橋本君をはじめとしたうちのメンバーも緊張が解け、本来の力を、発揮できるだろう。

 「よし、坂上(さかがみ)、任せたで!」

監督は、3年生のキッカー、坂上肇(さかがみはじめ)君を、そう言って送り出した。ちなみに坂上君は、3年生ながら大事な場面でのキックを任されるという、優秀なキッカーだ。

 とりあえず、敵陣、敵のエンドゾーンまで20ヤードの距離で、フィールドゴールを決めるのは、難しいことではない。ここは、3―0で、次は相手の攻撃を、どう止めるかだ…。これは俺たちチームメイトだけでなく、見ている観客の誰もが、思ったことだろう。

 しかし、ここで信じられないことが起きた。

 坂上君が、キックを外した。

 繰り返すが、敵のエンドゾーンまで残り20ヤードの距離で、フィールドゴールを決めるのは、難しいことではない。それを、外してしまった原因は…、

 間違いなく、プレッシャーだ。

 「ドンマイ坂上!気にすんなよ!まだまだ、次があるから!」

俺は、ベンチに戻って来た坂上君に、すぐに声をかけた。しかし、坂上君は顔面蒼白で、試合に負けたような、顔をしている。

 「先輩、監督、俺、やってもうた…。」

そう声を絞り出した坂上君は、今にも泣き出しそうであった。

 「坂上、立川の言う通りや。試合はまだ序盤や。気にせんと、次のキックを決めたらええ。」

監督は、坂上君にそう言った。

 

 しかし、フットボールは流れのスポーツだ。1度相手に渡ってしまった流れは、簡単には、取り戻せなかった。俺たちは、あれよあれよという間に自陣深くまで攻められ、ついに相手の先制タッチダウンを許した。これで、0―7だ。

 また、自分たちのプレーがうまくいかないからか、流れを相手に渡してしまったからか、俺たちタイガースの選手の雰囲気は最悪で、みんな、イライラしていた。

 そして、次の攻撃だ。俺たちは何とか頑張り、また、相手のエンドゾーン前50ヤード付近まで、攻めることができた。

 しかし、ここから攻撃がうまくいかない。どうやら相手は、橋本君のプレースタイルやその弱点を、研究して来ているようだ。

 橋本君は、例えば自陣など、まだタッチダウンに結びつかないような時は、積極的にスクランブルを仕掛け、それが攻撃のスパイスになっているが、相手の陣内(付近)に入ると、そのスクランブルの精度が、若干落ちる。

 そして、橋本君はパスに頼るため、そのパスを警戒されて、攻撃がうまくいかないのだ。

 それでも、今まで予選で戦ってきたチームに対しては、その弱点も目立たず、うまくタッチダウンを取ることができた。しかし、さすがは関東の強豪だ。相手、ジャイアンツのディフェンス陣は、そこをうまく、読んでいる。

 また、こちら側の(RBを中心とした)ラン攻撃も、うまく相手ディフェンス陣に止められている。流れが悪い時には、何をやってもうまくいかない、ということか。

 そして、4th down、最後の攻撃になった。ここはフィールドゴールで3点を取り、3―7にして点差を縮める…こともできるが、この場面、敵陣50ヤード付近では、もしフィールドゴールに失敗すると、その地点から、相手の攻撃が始まってしまう。そのため、ここはパントでボールを蹴り出し、相手の攻撃を相手陣地深くからスタートさせる…という手が、セオリーだろう。

 そして監督は、パンターを兼務している坂上君に、

 「よし、坂上。今度はしっかりパント、決めて来い!」

と、言った。しかし…、

 坂上君の足は、震えていた。

「は、はい、分かりました…。お、俺、頑張ります…。」

 坂上君は極度に緊張している。

 それを見た俺は、監督にある提案を、持ちかけた。


 「何!?立川、お前をキッカーとして、この場面で出させて欲しいやって!?」

「はい、監督。」

「お前、何を考えてるんや?」

俺の提案を聞いた監督は、そう言って俺を怒鳴りつけた。

「いきなりでびっくりするかもしれませんが、俺、ここでキックを決めて、流れをこっちに引き寄せる自信があります!」

 「お前、ふざけんなよ!」

その様子を見ていたキャプテンのラインバッカーが、その様子を見て、俺にそう言った。

「お前、そうまでして、試合に出たいんか!そこで、目立つことしたいんやな!アホなことも、休み休み言え!ここは甲子園ボウルや!お前だけのために、この試合があると思ったら、大間違いやぞ!

 それに、お前は、俺らディフェンス陣や、オフェンシブラインや、キッカーやパンターを、心の中ではバカにしてたやろ!?俺、知ってんねんぞ!」

「そ、それは…、」

「それは違います、先輩!」

チームとしては最悪の、言い争いになりそうな状況で、坂上君が、キャプテンにそう言った。

 「確かに、立川先輩が怪我をする前は、先輩は俺たちのことを、バカにしていたと思います。でも、今の先輩は違います。立川先輩、肩の怪我でまだ投球練習ができひん時、実はこっそり、キックの練習をしてたんです。それで、俺にも、

『坂上、キックについて、教えてくれよ!』

って、質問もするようになって…。

 正直、今の俺の状態やったら、キックやパントを決められるかどうか、分かりません。でも、俺が練習を見て来た限り、先輩のキックは正確で、この場面なら先輩、決められると思います。

 だから、ここは立川先輩に任せてはどうでしょうか?

 そうしたら俺も、吹っ切れます!」

思わぬ坂上君の進言に、監督もキャプテンも、少しの時間、黙った。そして、

「よし、分かった。ここは立川に任すわ。」

と監督が言い、

「監督がそう言うんやったら…。

 でも、立川、お前がこのキックを外したら、俺は一生、お前のことは認めんぞ!」

と、キャプテンは言った。

 「そうと決まれば、時間もないから、立川、ここでキック決めて、3点、もぎ取って来い!」

俺は、監督にそう、はっぱをかけられた。


 俺がキッカーとしてフィールドに出て来た時、観客席から、大きなざわめきが起こったらしい。何でも、その日の実況と解説は、

『おっと、関西第一大学、ここで立川選手をキッカーとして、起用するみたいですね。』

『彼は知っての通り、QBとしての成績は申し分なく、去年までの甲子園ボウル3連覇にも貢献していますが、キッカーとしての経験はないはずです。

 さらに、ここはエンドゾーンから50ヤード付近。専門のキッカーでも、この距離のフィールドゴールは、決めるのが難しいと、言われています。』

『なるほど。ここは関西第一大学、奇策に打って出た、と見てよろしいでしょうか?』

『そういうことになりますね。ここはひとまず、彼のキックを見ましょう。』

と、言ったそうだ。

 しかし、周りの音は、その時の俺の耳には、全く入って来なかった。そして俺の目には、キックを蹴った後、それがゴールホストのど真ん中を通過する、ボールの軌道が、見えていた。

 そして、自分のチーム、相手チーム、観客が見守る中、俺はボールを、蹴った。

 『立川選手、フィールドゴールを決めました!これで、7―3です!』

 気づいたら俺は、俺たちタイガースの選手、また観客からの、歓声を受けていた。

「やったな立川!すごいやんか!」

フィールドに出ていた攻撃陣のチームメイトから、俺はそう言われた。また、俺がベンチに戻った後、坂上君から、

 「先輩、すごいですね!ありがとうございます!

 これで俺も、吹っ切れました。次は絶対、キック決めてみせます!」

と言われ、キャプテンからも、

「さっきは悪かった。お前、変わったな。ありがとう。」

と、言われた。

 そしてその瞬間、俺は美沙ちゃんとのある会話を、思い出した。


 ―「あと、最近は肩を使わない練習もしているんだ。」

「へえ~頑張っとるんやな!

 でも、うちよう分からへんのやけど、肩を使わへん練習って、どんなんがあるん?」

「それは、主に肩以外の部位のトレーニングだね。だから俺、最近はトレーニングマシンを今まで以上に使っているんだ。肩が完全に治った時に、すぐに復帰できるように、今から準備しておきたくて。

 あとは…、

 キックの練習かな。」

「えっ、そうなん?でもキックって、勇樹くん蹴る機会なんか、あるん?」

「QBとしてプレーするだけだったら、キックの機会は全くないね。

 でも俺今、フットボールが楽しくて楽しくてしょうがないんだ。QB以外にも、フットボールにはいろんなポジションがあって、それぞれ、奥が深いんだ。だから俺、実際に試合では使わなくても、キックのことをもう少し知っておきたくて、キックの練習、してるんだ。

 実はうちのチームには優秀なキッカーがいて、そいつ、3年生でレギュラーを張ってるんだ。だから、最近はこっそり、そいつにキックに関する質問して、みんなが帰った後に、練習してるんだ。

 …さすがにみんなの前だとちょっと、恥ずかしいからね。」

「へえ~そうなん!

 勇樹くん、努力家やなあ。

 あと、こっそり練習してるなんて、勇樹くん、かわいいなあ。」

「いや、それほどでも。あと、かわいいのかな…。

 でも、こういう気持ちになれたのも、フットボールに対して、今まで以上に真剣になれたのも、全部美沙ちゃんのおかげだよ。」

「そんな、うち何もしてへんで!」―


 あの時の美沙ちゃんは、少し照れた様子で、その笑顔は、めちゃくちゃかわいかった。

 …今はそんなことを考えている場合ではない。確かに俺のキックは決まったが、まだ3―7で、ビハインドだ。俺は、気を引き締めた。そして、こちら側の守備の時間になり、フィールドに出ようとしたキャプテンに、

 「しっかり、守ってくれよ。」

と、声をかけた。


 その後の俺たちタイガースは、キッカーの坂上君、QBの橋本君の調子も戻り、徐々に試合の流れを、引き寄せていた。自分で言うのも何だが、俺のキックは、相手にとっては予想外の打撃であったらしく、相手のオフェンス・ディフェンス陣の両方とも、俺たちの波に呑まれたような雰囲気であった。

 そんな中では、俺たちのQB、橋本君は、本来の力を発揮できる。橋本君は、相手ディフェンスの隙を突き、次々にパスを決めた。また、彼の一級品のスクランブルも、決まり始めた。そして、俺たちはいくつかのタッチダウンを奪った。

 また、俺のキックを見て緊張から解き放たれた坂上君は、その後はフィールドゴールやパントなど、キックをノーミスで、決めていた。さすが、3年生でレギュラーを奪取しただけのことはある、坂上君はそんなキックを、蹴っていた。

 しかし、相手もさすがは関東の強豪、関東第三大学だ。このまま簡単に、流れを明け渡してはくれない。相手チームの、QBを中心とした攻撃も強力で、(ディフェンス陣の調子は悪くないにも関わらず)俺たちは失点を重ねてしまった。

 

 そして、試合は終盤になった。この間、両チームは点を取り合い、気づけば、タイガース:34―40:ジャイアンツとなっていた。そして、攻撃権はこちら、タイガース側にある。確かに点数は相手の方が上だが、ここで自チームに攻撃権があるうちにうまく時間を消費し、試合終了直前、最後の最後でタッチダウンを奪えば、合計で41―40となり、1点差で逃げ切ることができる。そのためには、相手に攻撃権が渡らないように警戒し、自分たちの攻撃で、残り時間をできるだけ使わなければならない―。

 そして、俺たちの作戦は、うまくいった。こちら側のRBは奮闘し、ボールを相手にやることなく、確実に時間を使い、前進して行く。そして、1st&goal(ゴール)、残り時間はわずかだ。この局面では、俺たちは相手のエンドゾーン付近に来ており、あとワンプレーで、タッチダウンを決めることができる。そしてその後、ほぼなくなった残り時間で、相手は攻撃しなければならない。さすがの関東第三大学も、残り2~3秒の攻撃で、何ができるだろうか。だから、ビハインドではあるものの、この局面は俺たちにとって有利である…という、捉え方もできる。

 そして、俺たちの勝利をかけた、4回分の攻撃が、始まった。

 …しかし、ここで俺たちは、足踏みをすることになった。

 1st down(1回目の攻撃)、橋本君がスクランブルを試みるものの、相手ディフェンスに、止められた。(やはりこの局面で、橋本君のスクランブルは若干精度が落ちており、そのことを相手ディフェンスも分かっているようであった。)

 2nd down(2回目の攻撃)、今度は橋本君がパスを投げるものの、インコンプリート(パス失敗)となった。

 やはり、この場面、相手ディフェンスは…しぶとい。(相手ディフェンス陣も、ここを守りきれば40―34で逃げ切ることができるので、必死なのだろう。)

 そして3rd down(3回目の攻撃)今度はRBがランを仕掛けるが、これも相手に止められた。

 残す攻撃は1回。通常、残り1回の攻撃となり、敵陣深くまで攻め込んだ時は、確実にフィールドゴールで3点を取りに行くものだ。しかし、この場面でたった3点を取っても意味がない。ここは迷わず、もう1度タッチダウンを取りに行く、場面だ。

 ここで監督は、すかさず残り1回だけとなった、タイムアウトの権利を行使する。

 そして、タイムアウトが宣告され、俺たちは監督の元に、集まることとなった。

 フィールドから、さっきまで攻撃をしていた選手が、引き揚げてくる。そして、俺はそいつらの様子を見て思った…俺たちの攻撃陣は、動揺している。

 「おい、お前らまだチャンスはあるで!そんな顔するなや!」

監督はそう言うものの、特に攻撃陣の司令塔となる、QBの橋本君の落ち込みは激しいようで、その様子は見ているこっちにも伝わって来る。(相手に自分の手の内を読まれている、という気持ちが、彼をより落ち込ませているのだろう。)

 「よし、ここで選手交代や。立川、お前QBとして、あと1回の攻撃、決めて来い。」

 …えっ!?

 俺は、耳を疑った。

「監督、それはさすがにまずいんじゃ…。」

「何がまずいんや。お前、自信ないんか?」

「そんなことはありません。

 確かに、俺は試合前半に、キッカーとして出場して、悪い流れを変えた、っていう自負はあります。

 でも、このチームを今まで引っ張ってきたのは、橋本です。だから、この場面は、橋本に最後まで任せたら良いと思います。」

「立川、お前、大人になったなあ。」

監督がそう言った瞬間、俺たちのキャプテンが、口を挟んだ。

 「監督、俺は、最後は立川に任せるべきやと思います。

 正直、橋本の攻撃は、相手に読まれてます。どんな優秀なQBも、相手に動きを読まれていては、うまく攻めることができません。

 それに、俺、思ったんです。怪我をする前の立川は、はっきり言って、自己中心的な奴でした。…そのままの立川やったら、どんなに才能があっても、こんなチームの大事な場面、任せるわけにはいきません。

 でも、今の立川は違います。こいつは、チームプレイの大切さを知っています。それは、今日、控えのポジションでも一生懸命声を出すこいつを見て、それでキックとか、自分と関係ないプレイの練習を率先してやって来たこいつを知って、俺が思ったことです。

 だから、このチームの最後は、こいつ、立川勇樹に託したいと思います!

 みんな、それでええか?」

「そうや、最後は立川に任そ!」

「そうやそうや!」

俺のチームメイトは、口々にそう言い、その場を盛り上げる。

 「そういうことや立川。

 覚悟、決まったか?」

「―分かりました。そういうことなら俺、頑張ります。

 もちろん自信はあります。最後、タッチダウンとって、俺たちのフットボール、見せつけてやります!」

「そうですね!最後のキックは、俺に任せてください!」

キッカーの坂上君も、俺にそう言った。

 そして、タイムアウト終了の宣告を、審判がする。

 「頼むで、立川!」

 チームメイトや監督に、俺は送り出された。


 『おっとここで関西第一大学タイガース、立川選手をQBとして起用するみたいですね。』

『ええ。最後の望みを、彼に託したのでしょう。』

その日、その場面、実況と解説は、そう伝えたらしい。そして、その時の俺は、周りの歓声も全く聞こえず、集中していた。

 俺は、慣れ親しんだQBのポジションに、再び立った。

 自チームのセンターから、スナップされたボールを受け取る。そして、俺は無心になった。こういう時は余計なことを考えると、相手にそれを読まれてしまう。俺は、そう考えた。そして俺は冷静に、俺の得意とする、パスの受け手を探した。

 すると、不思議なことに、1本のラインが、俺の目に映った。それは、勝利の女神を呼び寄せるものか、はたまた悪魔の線か―。しかし、俺は信じた。これこそが、自分たちタイガースと、勝利の女神とをつなぐ、ホットラインだ。

 そして、俺はそのラインに沿ってパスを、投げた。

 『…タッチダウンです!関西第一大学、土壇場で同点に追いつきました!残り時間は、もうありません!』

『この後のキックを決めれば、逆転で関西第一大学の、優勝ですね!』

 ―そして、最初のキック以降、落ち着きを取り戻していた坂上君が冷静にキックを決め、俺たちは41―40で、関東第三大学、ジャイアンツに勝利した。

 「さすが立川、やるやん!」

「先輩、さすがです!」

優勝が決まった瞬間、俺はチームメイトにもみくちゃにされた。それは、俺が怪我をする前まで、ひたすらバカにして、バカにして、バカにして、バカにして…、とにかく、見下していた、チームメイトたちだ。

 でも、今の俺は違う。「タックル部隊」、「ブロック部隊」、「キック部隊」なんて、俺はもう呼ばない。この試合、ディフェンス陣は確かに点は取られたが、特に終盤、相手の猛攻をしのいでくれた。そしてオフェンシブラインは、最後のワンプレーの時、俺にパスのラインが見えるまでの、時間をブロックによって与えてくれた。そして、キッカーの坂上君は、最後、冷静にキックによる1点、決勝点を、もぎ取ってくれた。

 そう、俺たちはチーム全員の力で、勝ったのだ。相手は強かった。でも、それを打ち破った俺たちも、強かった。俺は胸を張って言える。俺は、このチームでフットボールができて、本当に良かった。

 そして、俺たちの青春の証、俺たちの「甲子園」が、終わった。


※  ※ ※ ※

2017年、4月。今日は社会人になって、

最初の出勤日だ。俺には母校、関西第一大学の甲子園ボウル4連覇に貢献したことが評価され、複数の社会人フットボールチームから、獲得のオファーが来た。

 ただ、残念なことに、俺の目標、NFLのドラフトには、かからなかった。やっぱり、俺たち日本のフットボールと、海の向こう、本場アメリカのそれとでは、悔しいがレベルにまだ差がある。しかし、俺には手応えがあった。いつか、俺は海の向こうで、QBとして思う存分暴れてやる―。俺は、そう思った。

 話を戻すが、俺は国内では引っ張りだことなり、俺の地元、東京の社会人チームからも、獲得のオファーを受けた。しかし、俺はその中から、神戸のチームを選んだ。その理由は…、

 「ああ、うちらもう社会人か…。勇樹くん、スーツ姿、似合っとるで!」

「そう?

 美沙ちゃんも、その服装、本当に似合ってるよ!」

「え~何か照れるなあ。

 でも勇樹くん、何で東京のチームに、行かんかったん?」

「いや、だってそれは…。」

「勇樹くんが東京に行くんやったら、うちも勇樹くんの彼女として、東京について行けたのに…。」

「えっ、来る気だったの?」

「あっ、もしかして今、東京に行ったらうちに黙って、浮気しようって思ったやろ!

 それとも、観念して神戸に残ったん?」

「いやいや、さっきのはびっくりしただけで…。

 それに、俺が好きなのは、美沙ちゃんだけだから。浮気なんてしないよ!」

 俺がそう言うと美沙ちゃんは、ちょっと照れた表情をした。

 

 そして、その日も夕方になった。慣れない会社での研修を終え、俺が向かったのは…、

フットボールのフィールドだ。

 ここに来ると、身が引き締まる思いがする。俺は、この場所から、また夢を追いかけて行くんだ―。そう思いながら、ウォーミングアップの後、

 俺は、このチームで最初の、

 パスを投げた。 (終)

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タッチダウン~もう1つの甲子園~ 水谷一志 @baker_km

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