嬢と僕~再会の季節~

@arara

prologue

空が高いな・・・。


ふと何気なく見上げた空はどこまでも青く澄み渡っており、4月特有の穏やかな陽光がポカポカとして気持ちがいい。


梱包用のダンボールが堆く積まれた台車を一人で押しながら、橋山直樹は自身にしては珍しい和やかな気持ちに包まれていた。


こんな気持ちになるのは一体何年ぶりなのだろう?


西急ホールディングスに新卒で入社してから十年と少し、ずっと殺伐とした忙しない日々に身を置いてきた。

上司からの威圧や怒号は勿論のこと、思い通りに動いてくれない部下、文句ばかりいっては僕を苛むアルバイトの者たちに何度やきもきさせられストレスを抱えてきたことだろう。

無論、それは今だってほぼ変わらないことではある。


しかし、だ。


橋山はひとりでににやりと口角を上げた。

変化が訪れたこともあったのだ。


今年度に入り、例年の如く人事異動が始まった。

橋山自身は今年度も今までと同じ店舗での勤務であった。しかしながら橋山がもっともストレスを抱える要因であった店長は異動になってしまったのである。


異動前には盛大に店舗社員による送別会を取り行い、名残り惜し気なムードに包まれた宴ではあったものの、一体内心どれほどの者が彼の異動に胸を撫で下ろしていたことだろう。

無論、橋山もその一人であった。


その安堵の思いは、日を経つごとに満ち満ちていく。

それは店長が出て行ったからだけではない。入れ替わりで赴任してきた新店長が、前店長とは真反対と言えるほどの穏やかで優しい性格を持った人物だったからということも相まってのことだった。


どれだけ今までの間、あの店長に拘束され萎縮させられてきたのか。

当時は日常と化していただけに顕在化してなかった思いが、今ならはっきりと感じられた。


何という解放感なのだろう・・・。


思えば、昨年度は店長だけでなく社員、アルバイト含め様々な立場のスタッフの入れ替わりが激しい年ではあった。


そうだ、あの袖谷だって・・・


思い返そうとして、橋山はいやいやと首を振る。

あいつのことを思い出すのはよそう。思い出すにはあまりにも苦々しい記憶しかないのだ。あいつには。


そんな自分の思考を振り払うかのように、待っていた横断歩道がタイミング良く青に変わる。

橋山は大通りの人の波に飲まれながらも、足取り軽くじきに着くであろう会社の従業員出入口に向け歩みを進めた。



その時だったのだ。



ふと、人の流れにそぐわない静止した何かがこちらを見つめているのが橋山の視界の角に入ってしまったのだ。


普段の橋山の視界の狭さを考えると、そんなものの存在に気付くことでさえ稀である。それでいてたとえ気付いたところでそれに対し注意を向けるなど、彼にとってはもっての外、本来ならばあるはずのないことであったのだ。


しかしながら、最近生まれた始めた心の余裕がそうさせてしまったのであろう。

彼は振り向いてしまったのだ。


そこには雑踏に紛れる人混みの中、じっとこちらを見据える女の姿が、その場からまるで一人浮き出たように佇んていた。

その顔は橋山がよく見知った顔だった。

いや、先ほどまで思い返そうとしていたあの女に他ならなかったのだ。



「っ!!!??」



う、そや・・・。


考えてる暇などなかった。すぐに橋山は目線を前方に戻すと足早にその場を駆け抜ける。

途中台車にぶつかりそうになった通行人から「うわっ!」や「危ねえなあ」という言葉をかけられたが、気を回している余裕などなかった。


心臓がバクバクと鼓動を鳴らしているのが自分にでもわかる。


何で、何であんなとこにあいつがおんねん!!何で・・・!?


ようやく従業員出入口に着いた橋山は、すぐに後ろを振り返ってみる。


勿論、あの女の姿はあるはずもない。いたらいたで恐怖でしかないのであるが。


「あ、橋山さんダンボール持って帰ってきて下さったんですね!ありがとうございます。」


「うわっ!!」


突如前方から聞こえた声に思わず大声を出して振り向いてしまった。


「え・・・あの、何か?」


そこには宅配物処理を行っていた梱包係のアルバイトが立っていた。勿論のことそんな橋山の反応にびっくりしたアルバイトは訝し気に橋山を見つめている。


「あ!いえいえいえいえ!すみません別に何もないです、はい!失礼しました・・・」


「はあ・・。」


いつも以上にしどろもどろな応答をする橋山に疑心感しか持てないものの、まあいつものことと言えばいつものことという気もするためそれ以上追及する気も起きず、アルバイトはまた自身の作業に戻っていった。


橋山もそんなアルバイトを見送り一息つくと、ダンボールを置くためにも梱包室に向かうことにした。


そうや・・・。ただの見間違えかもしれへんやんか。


しばらく経ち心が落ち着きを取り戻してくると、先ほど見たものはなんだか自分の勘違いのような気もしてくる。

丁度あの女のことを考えようとしてたから、たまたまあいつに似てた人をそう見てしまっただけなんや。そうに違いない。


だって自分の嫌っていた元職場の近くで突っ立ってるなんてあり得へんやろ?それも僕の方をわざわざじっと見てるなんて。


それにもし、仮にほんとにあの女がいたとして、それが何やねん。もう関係のない奴やんか。あいつがどこで何してようとほっとけばいい話やのに。

あほらしいな。何を僕はこんなに動揺してるんや。


そうしてようやく自分の心にけりをつけることができた橋山は、梱包室を後にするとまた自分の業務へと戻っていく。


しかし、この時の橋山はまだ知らなかったのだ。


この先、あの女こと袖谷麻里奈と再び対峙する機会が訪れることになるなんて、夢にでも。

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