「ありがとう」には「どういたしまして」を

「そっかぁ……ストーキングだけじゃなく脅迫までするようになったのかぁ……あはは」

「そうなのよぉ……どうしたらいいのかしらねぇ……あはは」

「「あははははは…………はぁ……」」


 あかりがストーカー行為だけでなく、脅迫行為すらしてしまうような立派な犯罪者になってしまったという事実に、目を背けたい現実に、夜とあおいは二人そろって乾いた笑みを浮かべ、深々と重いため息を吐いた。


 いくら相手が家族だからと言って、やっていることは立派な犯罪である。


 家庭内暴力。通称DVも、警察が動き加害者が逮捕されるのだ。警察に通報すればあかりも同様に逮捕される……とは思えない。


 ストーカー被害なんかがいい例だが、確たる証拠がなければ警察は動くことが出来ず、注意喚起や見張りなどが関の山で逮捕にこぎつけることはできないのだ。


 それこそ、ストーカー襲われたときに出来た傷や逆に相手につけた傷、犯行の様子を捉えた写真や動画などの物的証拠がなければストーカーを逮捕することはできない。


 つまり、あかりがストーカーをしていたと、脅迫されたのだと通報したところで、証拠がないのだからさして意味がない。


 ましてや兄と母が妹を通報だ。つまり、家族が家族を通報していることになる。下手をすれば悪ふざけや冗談などと捉えられ、今後警察に相談したり同じように通報したりしてもまた悪ふざけかなどと悪い方向に影響するかもしれない。


 まぁ、まるであかりを警察に突き出したいといったような口ぶりだが、夜とあおい、そして浩星もあかりを警察に突き出そうとは微塵も思っていない。


 確かに、やっていることは立派な犯罪だ。到底許される行為ではない。いつかしっかりと罰を受けなければ、手遅れになるかもしれない。


 けど、やっぱり家族なのだ。夜からしてみれば大切な妹で、あおいと浩星からしてみれば大切な娘なのだ。


 しかも、犯行の動機が愛ゆえに、である。可愛らしいではないか。やってることはまったく可愛くないけど。


 それに、あとあと確認してわかったことらしいのだが、あかりが手にしていた包丁はおもちゃの偽物で、二人に危害を加えるつもりはなかったらしいのだ。


 夜と一緒にいたい、そのためだけにここまでするのか、してしまうのか……と不安に思った二人は、こうなったら仕方がないと兄離れさせる計画を反故にしたというわけらしい。


 むしろ、これ以上離れ離れにさせたらもっと悪化するかもしれないし、今度は本物の包丁で脅されるかもしれないし……と怖かったから夜に丸投げしようと思ったのも事実らしいが。


「……事情はわかったけど、丸投げされる俺の身にもなってよ……」

「仕方ないじゃない。それとも、なに? 私たちの命が危険にさらされてもいいって言うの?」

「それはそうだけど……」


 これはこれ、それはそれというやつである。理屈では理解していても、心ではまだ納得していないのだ。


「それに、浩星とも話したんだけど……あかりは夜のそばにいるのが一番いいと思ったのよ。あの子のあんなに嬉しそうな顔だって久々に見たしね」


 親としては不甲斐ないけどね、と苦笑いを浮かべるあおい。


 確かに、親としては複雑な心境なのだろう。それこそ、あおいはおなかを痛めて産んだわが子が|自分≪母親≫よりも|夜≪兄≫に懐いているのだから。


「兄離れしてほしいってのも私たちの勝手だからね。あかりがそれを望んでないのに、強要してもするわけないじゃない?」


 あおいの言う通り、何かを無理強いされたところで本人にその意思がないのなら何をしても意味はない。


 嫌なことはやりたくないのが人間である。今のあかりを見る限り、兄離れをする意志なんて微塵もないだろう。


 むしろ、もう絶対におにいちゃんから離れないという意思を感じてしまう。


 ここまでくると、やっぱりあかりのブラコンは治まるどころか悪化しているとみていい。


 それもこれも、兄離れをさせるんだと無理矢理距離を置いた結果なのだろう。


 まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったし、悪化するのだとわかっていたらもっと別の方法を模索していたのだろうが、結果は誰にもわからないという言葉通り、あの日の夜たちにこの結末は予想出来なかったはずだ。だから、仕方ないのである。


「だからね。これも私たちの勝手なお願いなんだけど……あかりのことをお願い」

「なっ、頭上げてくれよ母さん!」


 机に額がぶつかるすれすれまで頭を下げて頼み込むあおいを、夜は慌てて制止する。


「いいえ、上げないわ。誰に対しても、それこそ家族だとしても、礼儀は重んじるものよ。あなたにもそう教えたでしょ?」

「そ、それはそうだけど……」

「わがままなのはわかってるわ。けど、私たちのことを助けると思って、あかりのことをお願いします」

「そう言われたら断れないのわかってて言ってるだろ、母さん……」

「えぇ、だから言ったのよ」


 自信満々に、ふふっと笑いながらも堂々と弱みに付け込んでくるあおいに、夜は乾いた笑みを浮かべる。


「わかったよ、あかりのことは任された」

「……ありがとう、夜」


 もともと、頼まれなくとも了承するつもりだった。


 まぁ、入学も決まってしまった上にここまで来られた以上断るに断れなかったというのもあるにはあるのだが……。


 あおいに先んじて言われてしまったため、渋々了承したような形になってはいるが、あおいと浩星の助けになるのなら、と。


 だから、ありがとうと言われる筋合いはないのだ。感謝されるようなこともしていない。


 けど。


「どういたしまして」


 夜はそう返した。


 礼儀を重んじる夜月家では、何かをしてもらったら「ありがとう」、返す言葉は「どういたしまして」と、そう決まっているのだから。

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