兄離れさせようとしたこの一年……何の成果も!ありませんでした!

 リビングの真ん中あたりに置かれているそこそこ大きめのダイニングテーブル。


 そこに向かい合うように座る二人の人影があった。夜とあおいである。


 先ほどまでいたはずのあかりはというと席を外してもらっている。正確に言うならば、自ら席を外したというべきか。


 それというのも、あかりから「おにいちゃんの部屋が見たい!」と打診があったのだ。


 部屋の中に見られて困るようなものはなかったはずだし、思春期男子によくあるベッドとかの下にいかがわしい本を隠しているなんてベタなこともしていない。というか、そもそも持ってすらいないし、リアルの女性のそういったものはあまり……この話はやめておこう。


 そんなわけで、あおいと二人で話をしたかった夜としては絶好の機会だったので、あかりには希望通り夜の部屋に行ってもらうことにしたというわけだ。


 まぁ、ちらほらと不気味な笑い声やら歓喜の声やらが聞こえたりもしていて、早速後悔しているのだが……気のせいだと言い聞かせることにする。現実逃避なんかじゃないよ。


「……それで、母さん。さっきのは質の悪い冗談とか、面白半分の嘘とかじゃなくて……?」

「……えぇ、本当よ……」

「嘘だろ……」


 わざわざこんな遠くにまで来ている時点で、悪ふざけとか冗談とかではないとわかりきっていたのだが……出来れば悪い冗談とかの方が後の笑い話になるという点でマシだったかもしれない。


 しかし、あかりが夜と同じ柳ヶ丘高校に、しかも一緒に暮らしながら通うことに対して、一つ気になることがある。


「兄離れさせるためにあかりとは距離を置くって話だったじゃん……」


 あかりの兄離れをさせるという話は一体どこに行ってしまったのか、ということである。


 流石に、一年前の会話のことを忘れ、あかりを送り出したあおいと浩星ではないだろう。


 年齢を重ねるにつれて物忘れが激しくなるとはよく聞く話だし事実そうなのだろうが、だとしてもまだあおいと浩星は四十代前半だ。まだ問題ないはずである。


 あかりの兄離れをさせるという計画だって元はあおいから提案されたものである。


 無理矢理だとしても精神的にも物理的にも距離を取り、一におにいちゃん二におにいちゃん三、四におにいちゃん五におにいちゃんなあかりの考えそのものを改めさせる。


 それが、三人で話し合って決めたことである。


 まさか、一年経って兄離れ出来たから二人暮らしを許容したなんてわけがない。


 そんな簡単に兄離れ出来るとは思っていなかったし、何よりも先ほどのあかりの様子を見れば離れるどころか悪化しているようにすら思う。というかしてる。間違いなく。


 だというのに、夜に一切の連絡もなく決まっているのである。


 別にあかりが受験をするために夜の許可が必要だからとかそんな話ではない。あかりがどの高校に入学したいかはあかり自身が決めること、夜が介入する余地はないだろう。


 だが、それが夜と同じ高校を受験したい、挙句の果てには入学が決まったともなれば話は変わってくる。


 兄離れさせるって話はどこ行ったと、二人暮らしってどういうことだよと、俺に一言くらい連絡あってもいいだろと、そう思うのはもはや必然ではないだろうか。


「二人暮らしなんて始めたらもっと悪化するんじゃ……」

「あ、それなら心配いらないわ! この一年ですでに行くところまで行ってるもの!」

「余計ダメじゃねぇか!」


 やっぱ兄離れはしてなかったらしい。というか悪化もしていたようだ。


「ならどうしてあかりのナギ高受験を認めたんだよ!」

「あの子の学力なら落ちると思ってたのよ! 受けてダメなら諦めもつくと思って受けさせてあげることにしたの!」

「我が子の受験失敗を待ち望む親がどこにいるんだよ!」

「ここにいるわ!」

「ここにいたわ……って、いや、そうだけどいたらダメだろ……」


 まぁ、仕方ないとは思うけど? でもそれはダメじゃない? とふと冷静になってしまう夜。


「も、もちろん、本心じゃないわよ? できることなら受かってほしかったもの。受験勉強も頑張っていたしね……」


 このままでは誤解されたままかも、と慌てた様子で弁解するあおい。しかし、言われずともわかっている。


 親にとって、子供とは宝そのものである。中には悲しいが例外もあるのかもしれないが、かけがえのない大切な存在なはずである。


 そんな子供が、自ら将来を見据えて進む道を決め、立ち向かおうとしているのだ。応援しない親なんていないだろう。


 それこそ、あかりのナギ高合格が決まった時だって。一番嬉しかったのは合格した当人であるあかりだろうが、一番大はしゃぎしていたのは案外あおいと浩星なのかもしれない。


 もちろん、夜には親の気持ちなんてわかるはずないのだが。


「それに、ね……受けさせてあげるしか選択肢がなかったのよ……」


 さっきまでの熱量はどこへやら。か細い声でぼそっと呟くあおいに夜は首を傾げた。


 様子からして、今から話そうとしていることこそが本当の理由なのかもしれない。


 だが、受けさせてあげるしか選択肢がない、とはどういうことなのだろうか。


 そんな疑問はすぐに解決し、それ以外にないと納得することとなる。


「まさか、夜と一緒の高校に行かせてって包丁突きつけられるとは思わないじゃない……」

「そっか、包丁を……って、いや、ちょ、ま、はぁ!?」


 どうやら、両親を脅迫してまで兄と一緒にいたいというあかりの狂気といえようその行動に。


 夜は素っ頓狂な声を上げることしかできなかった。

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