盟友としての資格

 亜希達の部屋を後にし、流石に寒かったため温泉に浸かった夜は、慎二がわざわざ斡旋してくれた夏希の部屋の前にいた。


 勝手に入るわけにはいかないからノックをして、ドアノブに手をかけて回すだけでいいのに、身体はまるで凍り付いてしまったかのように動いてくれない。


 自分には、夏希に会わせる顔がないと思っているが故に。


 夏希を探すのに必死でそんなことを考える余裕がなかったが、夏希が無事だったことに安堵するとふと考えてしまうのだ。


 もしかしたら、こんなことにはならなかったのかもしれない、と。


 どんな顔で、どんな言葉をかければいいのか。それがまったく思いつかない。思い浮かばない。


 だからこそ、夏希に会わせる顔がないと勝手に思い込んで、ドアを開けられずにいるのだ。


「何してるの? おにいちゃん」

「っ!? ……って、あかりか……」


 急に声をかけられ、振り向いて見ればそこにはあかりが立っていた。


「入らないの?」

「……なぁ、あかり。俺、ちゃんと夏希の盟友でいられてると思うか? 相棒でいられてると思うか?」


 会わせる顔がない。それは、盟友であることに、相棒であることに一抹の不安があるから。


 盟友なのに、相棒なのに、自分は何も出来なかった。


 そんな自分が、夏希の盟友に、相棒に相応しくないのではという考えが思い浮かんでしまった。


 否定したかった。胸を張って夏希の盟友なのだと、相棒なのだと自分に言い聞かせたかった。


 でも、何も出来なかったという変えようのない事実が、夜から自信を奪い去ってしまったのだ。


 それ故に、あかりに聞いてしまったのだろう。


「それを決めるのはわたしじゃなくて、おにいちゃんだよ?」

「でも、俺は……いや、そうだよな。悪い、今の忘れてくれ」


 確かに、これは夜自身の問題で、他人に答えを委ねたところで納得出来るはずがない。


 きっと、誰かに優しい言葉をかけてもらいたかっただけなのだろう。


 頑張ったねと言われて、自分を肯定してあげたかっただけなのだろう。


 夏希に相応しいのかとかそれっぽいことを言い連ねておいて、結局は自分のことしか考えていなかったのである。


 しかし、あかりのお陰でそんな迷いは吹っ切れた。ある意味では、夜が望んでいた言葉をあかりはかけてくれたのかもしれない。


「そういえば、あかりは何でこんな所に来たんだ?」

「おにいちゃんに会いたかったからだよ?」


 それ以外に理由なんてある? とでも言いたげな表情で小首を傾げるあかり。


「それと、雨のせいで今日の予定は全部中止になったって理事長が言ってたよ」

「まぁ、仕方ないか……」


 ウォークラリーが終わってからの予定も、すべて外で行われるものばかりだった。雨天中止だというのには頷ける。


 それに、夏希の一件も少なからず関係しているのだろう。生徒が一人、一時的とはいえ行方不明になっていたのだ。学校側も、旅人の宿側も対応に困るのは仕方がないだろう。


「それじゃあ、わたしは部屋に戻るね」

「あぁ。ありがとな、あかり」

「どういたしまして」


 あかりの背中を見送り、夜はノックをした。


 ど、どうぞ……という遠慮がちな入室許可を得て、部屋の中へと入る。


「……ナイト……?」

「足、大丈夫か?」

「うん、明日には普通に歩けるって……」

「そっか……」


 よかったと、そう言いかけてそっと飲み込んだ。


 骨折とか捻挫とかではなかったことに安堵はした。安心もした。本当によかったと心の底から思う。


 だが、それを口に出してしまえば夏希の耳にも入ることになる。


 辛くて苦しい目に合った夏希の耳に、だ。


 そんな夏希に、よかったなど口が裂けても言えない。言えるわけがないのだ。


 二人の間に流れるのは静寂。ぎこちない空気がどことなく流れている。


「なぁ、夏希……」


 そこまで口にして、言葉が詰まる。


 これ以上傷付けてどうするんだよだとか、今聞かなくてもいいだろだとかそんな考えが幾つも思い浮かぶ。


 だが、それはただ逃げているだけなのだ。


 傷付けたくないからと踏み込まず。


 今はまだその時ではないと後退する。


 それでは、いつまで経っても前に進むことなど出来やしないのだ。


 何事にも、恐怖や不安といった感情は付き纏う。


 だからこそ、逃げずに一歩踏み出さなくてはいけないのだ。


 それに、逃げていたせいで今回の事件が起きてしまったと言っても過言ではない。


自分が逃げなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。


 だったら、また逃げ出すわけにはいかないのだ。


 故に、夜は一度閉じてしまった口を覚悟を決めて開いた。


「……何があったのか、教えてくれないか?」


 ずっと聞きたかったこと。


 一体、何があったのか。一体、誰に何を言われ、されたのか。


 しかし、それを聞くということは夏希の心の傷を抉る行為に他ならなくて、傷付けたくないから聞けずにいた。


 今朝だって、聞いていれば何かしらの対策や対応が出来たのかもしれない。慎二に掛け合って、夏希を他の班に組み込ませることも出来たかもしれない。


 あくまでそれは可能性の話ではあるが、少なくともこのようなことにはならなかったかもしれないのだ。


 だからこそ、ちゃんと夏希の口から真実を聞きたいのだ。


 夏希を傷付けるためではなく、夏希を助けるために。


 夏希は目を伏せた。話したくなかったから。


 夜に迷惑をかけたくなかった。余計な心配をさせたくなかった。


 盟友であることに、相棒であることに一番不安を覚えていたのは夏希だったから。


 夏希自分には夜の隣に立つ資格があるのか。盟友として、相棒として相応しいのか。ずっと不安だったのだ。


 今まで、何度も夜が助けてくれた。手を差し伸べてくれた。そのお陰で、今の夏希がいる。


 けど、このままではダメなのだとも思っていた。


 ずっと助けられっぱなしでは嫌だ。今度は、夜を助けられるようになりたい。


 それ故に、自分の力でどうにかしようと思ったのだ。


 けど、結局何も出来なくて。夜に迷惑をかけてしまったし心配もさせてしまった。


 これ以上、ナイトに迷惑をかけたくない。心配もさせたくない。


 夏希はゆっくりと、口を開いた。

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